物質と記憶


日々流れていく厖大なデータを、どうやって扱えばよいかということを考えております(例によって考えるだけなんですが)。


といっても、これは今にはじまったことではなくて、歴史を覗いてみると、活版印刷によってつくられる本が増え始めて以後、いろいろな人が「どうすればいいのよ、これ」と言ってきたことでもありました。私が目にした中では、ヴィーコライプニッツのような人たちが、本が増えすぎて全体を見渡せないがどうしたものかとぼやいている例もあります。


目下は、技術環境と利用方法の変化によって、ますます日夜耳目に入るデータ量が増えているように感じます。もちろん、ニュースや娯楽として受け取る分には、「はいはい」といって右から左へ見聞きしておけばよろしいわけですが、もうちょっと別の視点で、そうはいってもなんとかマッピングしておきたいものだと思うような場合、これはなかなか難儀な状況でもあります。


言い方を換えると、これは限られた能力や物質でもって、どうやって馬鹿みたいに増え続けるデータを取り押さえたらよいかという問題でもあります。「物質と記憶」の問題と言ってみたくなるようなことであります。


私が考えている対処法は、これもいまさらなにをてなもので、要するにどれだけデータが増えようと、それらをいかに限られた紙幅にマッピングしてみるかということに尽きるだろうということです。いま、「紙幅」と書いたのは、物理的な紙のことを念頭に置いてのことでした。目の前に置いて、一望で見渡せ、(ミクロな分子レヴェルではともかく)変化せずに固定されてある紙にまとめてみるということです。また、コンピュータをそうした作業の補助ツールとして活用するには、どういう使い方があるかということも、改めて検討に値することだろうと思っています。


この30年ぐらいコンピュータと付き合ってきて、そんなふうに考えているところです。