河出書房新社から「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」(全30巻)が刊行されたのは、2007年11月から2011年03月にかけてのこと。
かつて多種多様な文学全集が出ていたのが嘘のように(例えば田坂憲二『文学全集の黄金時代』をご覧あれ)、そうした企画が少なくなっていた21世紀に、まさかの世界文学全集刊行を知り、よろこんで巻を追って読み始めたのは、そうかもう10年前のことなのね。当初は24巻が予告されていたところ、好評を受けて6巻が追加となり、結果的に全30巻。
世界文学の名作を網羅するとか、これが文学史のキャノンであるといった選び方とはまったく違って、選者の池澤夏樹さんが独断で選びおすすめするスタイル。装いもカジュアルで、眉間にしわを寄せて読むというよりは、寝ころびながら気軽に読める本だった(箱入りで威圧されるようなザ・全集も嫌いではない)。
一人の作家が選んでいるという点で、ボルヘスの「バベルの図書館」にも通じる楽しみもある。両者の大きな違いは、本の厚さだろうか。ボルヘスはご本人の短篇好みを反映してか、一冊ずつ薄めにまとめられている(後に国書刊行会から出た「新編 バベルの図書館」は、オリジナル版数冊を合本しているのでそのようには見えないけれど)。ともあれ、ある人のセレクション、趣味判断につきあってみるという点でも楽しい。
同全集が完結して7年後、今度はこれまたまさかの「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」(全30巻)の刊行が2014年11月に始まった。
もちろん喜んで読み始め、とうとう残るは角田光代訳『源氏物語』3巻を残すばかり(2018年完結予定)。作家たちによる古典の新訳をはじめ、これは若人たちにも好適ではないかと学校の講義などで折に触れて紹介したりもした。ともあれ楽しみながら読み通せるという体験は、古典にたいする印象を大きく左右すると思うから。ああそうだ、かつて橋本治さんの『桃尻語訳 枕草子』をはじめて目にしたときの驚きと似た感触が、この全集にもある。翻訳で読んで興味がわいた読者は、放っておいても原文を探したり、他の翻訳にも目を向けたりするものだ。その手前ではるかに重要なのは、ファーストコンタクトの第一印象ではなかろうかと思う。
同全集にことよせた私事のようなことで恐縮だけれども、2014年に『文体の科学』(新潮社)という本を出した。その後、同書をおもしろがってくださった池澤夏樹さんと対談する機会を頂戴して、池澤訳『古事記』についてあれこれおしゃべりをした(「古事記のインターフェイス」と題して『新潮』2015年04月号に掲載)。あの『古事記』は、訳文だけでなくタイポグラフィにも工夫が凝らしてあって、読み進める快楽を味わえるように整えられている次第を伺いながら検討してみたのだった。
それから時は流れて2017年。忘れた頃に河出書房新社の編集部・坂上陽子さんから同全集『近現代作家集III』の月報のご依頼が舞い込んだ。なにを間違ってか小学生の時分に全集好きになってしまったわたくしは、全集と名のつくものに携われるのもうれしく、二つ返事でお引き受けして書いたのが「宇宙全部入り――玄関から銀河帝国の滅亡まで」である。
あなうれし、と感じ入っているところに、このたびの『池澤夏樹、文学全集を編む』に収録する池澤さんへのロングインタヴューの聞き手を務めよとの依頼が届いて、これはさすがに宛先をまちがえたかのかしらんと思ったら誤配ではなかった。
これを機にと、二つの全集既刊分を読み直し、池澤さんが様々な機会に話したり書いたりした両全集にかんする記事を読み、あちこちの文学全集などについて調べたりして、編集部の惜しみない全面協力を得ながら準備を整えたのだった。
当日、なにを尋ねてもにこやかに答える池澤さんのお話しぶりに耳を傾ける時間は瞬く間に過ぎ去ったけれど、今回同書に掲載されたインタヴューは28ページ分と、読み応えのあるものになった。
――というわけで、池澤ファンも、両全集の愛読者も、これから読んでみようかなという人も、池澤流文学論、全集論、編集論、人間論をお楽しみいただけたら幸いです。また、『池澤夏樹、文学全集を編む』は、下にお示しする目次のとおり、どこからなりとも入ってゆける森のような本です。
目次はこんなふう。
・目次(裏面に両全集既刊分全書影)
・「世界文学全集 宣言」池澤夏樹
・「日本文学全集 宣言」池澤夏樹
・「緒言」池澤夏樹
■池澤夏樹ロングインタビュー
「「人間とは何か」ーーその手がかりとしての文学」(聞き手=山本貴光)
■対談
・「記憶が紡ぐ歌、そして物語へ」石牟礼道子×池澤夏樹
・「日本を変革する新しい文学運動の始まりーー「日本文学全集」刊行開始にあたって」大江健三郎+池澤夏樹
■鼎談
・「世界文学は越境する」鴻巣友季子+沼野充義+池澤夏樹
■講演
・「世界文学と『苦海浄土』ーー熊本県立図書館での講演から」池澤夏樹
■座談
・「王朝文学は連環する」森見登美彦+川上弘美+中島京子+堀江敏幸+江國香織
■創作
・「六本木」岡田利規
■インタビュー
・「角田光代、『源氏物語』を訳す」(聞き手=瀧井朝世)
■論考
・「文学全集とその時代」斎藤美奈子
■エッセイ
・「「世界文学全集」への旅」鈴木敏夫
・「帯をほどいて」中村佑介
■池澤全集 この一冊
・『日本語のために』
「最良の日本語サンプラー」柴田元幸
・『失踪者/カッサンドラ』
「迸る書記」木下古栗
・『わたしは英国王に給仕した』
「夢みる給仕の昼と夜」池澤春菜
・『短篇コレクション』Ⅰ・Ⅱ
「崩れていく世界を生きること」藤井光
・『大岡昇平』
「大岡昇平と戦後派」奥泉光
・『竹取物語/伊勢物語/堤中納言物語/土左日記/更級日記』
「五人の作家と旅をする」絲山秋子
・『日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集』「古典から聞こえてくる他者の声」関口涼子
・『中上健次』
「私の日本文学全集体験」木ノ下裕一
■編集鼎談
・「メイキング・オブ・文学全集」池澤夏樹+木村由美子(「世界文学全集」編集長)+東條律子(「日本文学全集)編集長)・日本文学全集&世界文学全集 完全ガイド
とうとう刊行が始まる角田光代訳『源氏物語(上)』、一足お先に拝読します。
ページのあいだから、なにやら香をたきしめたようなよい香りがして、これも文章の力なの……!? と思ったら……