何を見ても何かを思い出す(体が勝手に)

SNSを眺めていたら、あるゲームの宣伝文句に「チェスとRPGが融合」と書いてある。

人間の記憶というのは面白いもので(主語が大きい)、何を見ても何かを思い出すようだ。

いわゆる非意志的記憶とでも言うのだろうか、自分でそうしようと思ったわけでもないのに、体が勝手に『アーコン(Archon: The Light and the Dark)』(1983)という30年以上前のゲームを思い出す。

現在のコンピュータ環境のすごいところは、こういう古いゲームでも動画を探すと誰かがアップロードしてあるところ。なんて、いまさら何を言っているのかというものだけれど、これは毎度感心してしまう。

『アーコン』はこんなゲーム。

もともと海外のパソコンゲームだったものを、日本のパソコンに移植したヴァージョン。

――と書きながら、ひょっとしたら意味が通じないかもしれないと思い直す。だって、いまはパソコンに海外も国内もないものね。

当時は、パソコンのメーカーごとに、また、同じメーカー内でも機種ごとにOS(基本ソフト)が違っていた。現在の状況でたとえるなら、iOS用のソフトは、WindowsやAndroidで動かないようなもの。

(念のためにいえば、世の中にはエミュレーターというソフトもあって、他の機種やOS用につくられたプログラムを、それとは別のOS上で動かすこともできる)

 

それはともかく、『アーコン』はRPGではなく、チェス+アクションゲームで、コマを動かして、相手のコマと同じマスに入るたび、アクションゲームの戦闘が始まるのだった。

チェス風の頭を使う戦略ゲームと、シューティングゲーム風の反射神経を問われるアクションゲームとが融合しており、両方の腕前を問われる。

ゲームのつくり方や発想について教える際、しばしばチェス・ボクシングを例に出す。一体誰がそんな二つのものをくっつけようなどと思いつくだろうか、という組み合わせの妙がある。そしてボクシングとチェスの様子のギャップに、そこはかとないコメディも感じる。

可笑しなボクシングといえば、モンティ・パイソンの「今夜のボクシング」。

 

 

久しぶりに古いゲームの映像を観て、そのままレコメンドに現れる別のゲームも眺めれば、記憶が30年ほど巻き戻る。

これも熱心に遊んだ『Xanadu』(1985)で、オープニング画面の「ボン、ボン、ボン」という効果音を耳にしただけで、当時パソコンを設置していた部屋の様子や熱中していた小説のことまで思い出される(学校での授業の様子などはあまり思い出せない)。

きっかけとなる知覚さえあれば、普段は意識することさえない過去の記憶の痕跡が甦る。これもまた、何度味わっても不思議な経験なのだった。そして仮に自覚はしていなくとも、こうした過去の経験の集積のうえに、現在のわたくしという人間の基礎がある。

ここしばらく、記憶をどうやってデザインできるだろうかなどと考えていることもあって、そんなことが気になるのだった。