蒐書録#012:アンガス・フレッチャー『アレゴリー――ある象徴的モードの理論』ほか

先日、散歩がてら丸善ジュンク堂書店渋谷店を訪れた。

足を踏み入れるまでは、特に目当てのものがあったわけではない。ただ、ぶらぶらと見て歩こうと思っていたのだった。

同書店は、階が分かれているスタイルではなく、ひとつのフロアに全ての棚があるので、隅々を見て歩くのにはもってこい。

書店では、どこから見始めるか、どういう順路を辿るかで、結果も大きく左右される。

例えば、大きめの本や多めの本を手にしていると、それ以後は手に取る本が制限されたりする。あるいは「そうか、これを読むなら、あれもだね」と、本同士の磁力のようなものが働いたりもする。同じ作家の本をまとめて読もうなんていうのはその一例。

今回は数学書の棚から見始めた。本当は圏論の本も買おうと思って「これはいいな」と目をつけたものがあった。ただ、ちょっと大きい本だから、後で戻ってこようと考えたのに結局数学書の棚には戻らなかったため、手に入れ損ねた。

代わりに人文書の棚でアンガス・フレッチャーとゴットフリート・ベームを手にした。フレッチャーの本は、書店に赴くたび、「今日こそは」と思いつつ、先ほどの圏論の本と同じように「後で」となって今日に至る。『図像の哲学』は、画像を扱う仕事柄もあって手にした。というか、叢書・ウニベルシタスは、なろうことなら全部読む叢書に認定していることもあり、可能な限り眼を通すようにしているのであった。ベームは、同叢書1066番目の本である。

というわけで、店を出るときにはこれらの本を携えることになった。入店時には自分でも予想していなかった結果である。

というよりも、その折々の自分の関心や問題意識とその時々の書棚のレイアウトの組み合わせから生じる経験を味わいたくて書店を訪れるようなものである。

アトラクション(attraction)といえば、人を惹きつけるものという意味だけれど、私にとっては、これ以上面白いアトラクションもなかなかないのであった。だってほら、背表紙がきちんと見える状態で整理された本を眼にしながら歩けば、いやでもそこにある文脈や世相の反映や人類が積み上げてきた叡智や創造の数々と自分の組み合わせからなにかが生じてしまうわけだから。

厖大な書物が空間に見やすく配置されているということのありがたさを噛みしめるわけです。

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★アンガス・フレッチャー『アレゴリー――ある象徴的モードの理論』(伊藤誓訳、高山宏セレクション〈異貌の人文学〉、白水社、2017/04)

 Angus Fletcher, Allegory: The Theory of a Symbolic Mode, 1964

★ゴットフリート・ベーム『図像の哲学――いかにイメージは意味をつくるか』(塩川千夏+村井則夫訳、叢書・ウニベルシタス1066、法政大学出版局、2017/09)

 Gottfried Boehm, Wie Bilder Sinn erzeugen: Die Macht des Zeigens, 2007

★徳田雄洋『必勝法の数学』(岩波科学ライブラリー263、岩波書店、2017/07)

★『数学セミナー』第56巻第10号通巻672号2017年10月号「特集=不可能性の証明」(日本評論社、2017/10)