「ページと文体の力と科学」から「本の最終局面へ」

10月14日(土)は青山ブックセンター本店にて、『アイデア』No. 379「ブックデザイナー鈴木一誌の仕事」(誠文堂新光社)刊行記念連続対談が開催され、鈴木さんとお話をしてきました。

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(画像は『アイデア』ウェブサイトよりリンク)

 

その場でも述べましたが、いわゆる人文書をそれなりに集め読んでゆくと、やがてあることに気づきます。他と異質な存在感をもつブックデザインを施された一群の本があることに。

今回の特集号を読んで、改めて感得しました。私の人文書経験のある部分は、間違いなく鈴木一誌さんの仕事によって記憶に刻まれています。例えば、『西洋思想大事典』(平凡社)や『事典哲学の木』(講談社)のように日常的に何度も読む本はその典型です。

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(画像は『アイデア』ウェブサイトよりリンク)

 

ここで重要なことは、本の姿形は、それ自体が一種記憶の手掛かりであるということです。私は、鈴木さんのブックデザインを通じて、それらの本を記憶しています。

書棚から本を取り出すときも、中を読むより先に、本のカヴァーを目で眺め、手で触れるわけです。そうしてようやくページを読むのですが、その際も、設計された紙面の形(フォーム)に沿って目が動きます。

ページをめくるとき、鈴木さんもインタヴューで述べているように、私たちの意識は一瞬本から離れます。言うなればしらける。そして次のページがあらわれて、また没入する。本を読むとき、この作業を繰り返し行っているのですね。

そして、基本的に1冊の本のページは同じフォーマット(形式)で設計されているので、読み手である私の認知は固定されたフォームに馴れて安定します。

一度に目に入る見開きは、よほど巨大な本でない限りは、手にもって一望できるサイズで、本とは人間の身の丈と機能にあった装置であると、つくづく思いました。

 

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(イヴェント当日配布された資料)

 

それはさておき、先日のその対談は2017年10月30日24時まで、応募者限定で配信されているとのことです。

ご覧になりたい方は、誠文堂新光社が運営するサイト「よみもの.com」の下記のページをご覧くださいませ。

 

なお、『アイデア』No. 379「ブックデザイナー鈴木一誌の仕事」(誠文堂新光社)刊行記念連続対談の第2弾は、鈴木さんと、同特集でインタヴューとデザインを務めた郡淳一郎さんと長田年伸さんによる鼎談「本の最終局面へ――編集=デザインのハードコア」。2017年10月28日(土)に同じく青山ブックセンターで開催される予定です。私も聞きに参ります。

 

 

連続対談第2弾の案内ページ。


上記の特集号はこちら。リンク先で、誌面の一部をご覧いただけます。


鈴木さんの新著『ブックデザイナー鈴木一誌の生活と意見』(誠文堂新光社)の「まえがき」ほかが読めます。