「人工知能という言葉は結局何を意味しているのか?」

「人工知能(AI:Artificial Intelligence)」という言葉は、技術の実情にたいして、いささか人の想像力をかきたてすぎるところがある。

もともとの意図はともかくとして、現在ブームのようになっている人工知能の大半がやっていることをなるべく直接表現するとしたら、「パターン抽出機械」といったところだろうか。

これは別に人工知能の研究や応用をおとしめるものではない。ただ、レトリックとして「人工知能」という名称は誤解を招きやすい擬人法表現だと思う。

コンピュータ用語には、「記憶(memory)」や「学習(learning)」など、同様の擬人法が使われている。例えば「記憶」は「記録」といえば済むところだけれど、「記憶」というとなんだか人間の脳を連想させもするわけである。

「人工知能」といえば、なにやら人間の知能を模して、どうかしたらそれを超えたなにかをつくれるかのような想像も働くところ。ただし、実際には「知能」とはなにかということが、そもそも分かっているとはいいがたいのが現状である。

人工知能と言うためには、よく分かっていないものを人工的にこしらえるとはどういうことか、ということが本当は問題にもなるのだけれど、昨今はパターン抽出による成果が目に見える形で挙がりつつあることもあって、そうした問いはどこかへ忘れられたままになっているようだ。

一周まわって、コンピュータには何ができるのか、何ができないのかをどのように理解しているかが問われる状況とも言えそう。