京谷裕彰編『薔薇色のアパリシオン――冨士原清一詩文集成』(共和国、2019)

このたび共和国から刊行された、京谷裕彰編『薔薇色のアパリシオン――冨士原清一詩文集成』(共和国、2019)は、生前一冊の詩集も出さないまま、1944年に36歳で戦没した詩人、冨士原清一(1908-1944)の(ほぼ)全作品集です。

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生前刊行されたのは、二冊の翻訳書と、ニューヘブリディーズ諸島(現バヌアツ)の地誌のみだそうで、このたび共和国から刊行された『薔薇色のアパリシオン』は、この三冊を除き、現時点で知られている冨士原清一の詩文と翻訳を編んだもの。一巻ものの全集ですね。

私自身は、冨士原清一について、かつて鶴岡善久編『モダニズム詩集I』(現代詩文庫特集版3、2003)に掲載されていた数編を目にしただけでしたので、とても新鮮な心持ちで読み進めているところです。

『薔薇色のアパリシオン』の巻末につけられた年譜を見ると、冨士原清一は17歳頃から詩作をはじめ、1927年、19歳のときに橋本健吉(北園克衛)らと日本初のシュルレアリスム専門誌『薔薇・魔術・学説』を創刊とあります。

アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』が1924年のことですから、当時の通信事情などを鑑みても、はやい時期の受容といってよいのではないでしょうか(とは、よく調べずに思ったことです。当時、日本からヨーロッパへは船で40、50日ほどかかっていた模様)。

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「魔法書或は我が祖先の宇宙学」(1930)の一節を引いてみます。

蒼白なる科学者よ あの層雲の伏魔殿に注意し給へよ 最小口径砲と羽飾のついた鳥糞射出口及び潜伏処の望遠鏡 これらは三位一体である この明快な真理の微風の後で科学者は捕虫網の如く微笑する
「魔法書或は我が祖先の宇宙学」(1930)

像を結びそうで結ばないこの感じ。眼に入る言葉からイメージが喚起されるのに、それが直前に眼にした言葉のイメージと整合しない感じ。その、ちぐはぐなのになにかがつながっている面白さ。

いま引いたくだりに触れて、私の脳裏には、珍しいものを集めて並べた驚異の部屋(ヴンダーカンマー)のような、なんの役に立つのか皆目見当のつかない科学者の奇妙な装置を陳列した部屋を訪れたような、そんな気分がもたらされるので気に入っています。

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そうそう、8月30日に予定している古田徹也さんとのゲンロンカフェでの対談では、古田さんのご著書『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ)を巡って話す予定です。そこでは、『不安の書』(高橋都彦訳、彩流社)を中心にフェルナンド・ペソアのことも話そうと考えていたところでした。この『薔薇色のアパリシオン』に触れて、『言葉の魂の哲学』の観点から、シュルレアリスムの詩を読むとどう見えるのかということも話し合ってみたいと思いました(と、急に宣伝)。

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この本に集められた詩文には、いまご紹介したようなシュルレアリスムの詩も多いのですが、今回見つかったという中学在学中の詩文もあります。詩人の仕事を、初期のものから時系列で辿ってゆく楽しみを味わえるのはやはり得がたい経験です。なにしろこうして順に読むとき、詩人の変身の様子と、変身を通じて変わらずにあったものとを共に見ることができるのですから。

『薔薇色のアパリシオン』は、冨士原清一の詩文と訳文を集めて編んである他に、共和国の他の本と同じように、巻末の附録も充実しています。清一が訳したダンディ『ベートーヴェン』の「訳者の言葉」の他、高橋新吉と瀧口修造の追悼文、そして詳細な年譜と解題、編者あとがきが収められています。

清一とは「直ぐ近くのアパートに自分もいたので好く一緒に飲んで喧嘩したりした」という仲だった高橋新吉の追悼文を読むと、清一の詩について「ホンヤクの臭さはなく、いづれも彼の鍛錬場で陶冶された後打ち出された一振の短刀にも比すべき作品で、高貴な味ひのあるものであった」と評しています。それこそ月並みな感想ですが、実にうまいことを言うものですね。共和国からは、その高橋新吉の作品集、松田正貴編『ダダイストの睡眠』(境界の文学、2017)も出ています。

手元に届いたばかりの『薔薇色のアパリシオン』に触れて、詩人はこのようにして甦るのだ、と感じ入った次第です。

つい最近も、高見順『いやな感じ』(共和国、2019)の再刊をはじめ、日本文学の見失われた過去に(も)光を当て直す共和国と下平尾直さんの仕事を、今後とも応援してゆこうという思いを新たにしました。

一度眼にしたら忘れがたい装幀は、宗利淳一さんによるもの。600部限定とのことなので、気になる方はおはやめにどうぞ。

また、同書に挟み込まれた「共和国急使」第31号によると、近く同書のコレクターズエディションが、同社通販サイト「共和国ANNEX」で、66部限定で発売されるとのことです。

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www.ed-republica.comgenron-cafe.jp

本の雑誌編集部『働くわたし』(本の雑誌社)

本の雑誌編集部『働くわたし』(本の雑誌社、2019年8月28日刊行予定)に、ブックガイドを書きました。

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さまざまな職業に従事する女性たちへのインタヴュー集です。

公式サイトから目次を引用します。 

・福本奈津子(十勝ばんえいクリニック) 獣医

・田口玲子(OZO BAGEL) ベーグル店店主

・早瀬真夏(亜細亜印刷) 印刷機オペレーター

・柚木和代(J.フロントリテイリング株式会社) 関連事業統括部長/執行役常務

・椎名ゆかり 海外マンガ翻訳・研究

・土器屋由紀子(認定NPO富士山測候所を活用する会) NPO理事

・五十嵐友理(鷗来堂) 事務

・石田由美子(東京開智法律事務所) 弁護士

・五味洋子(五味醤油)

・五味雅子(五味醤油)

・梅村由美(SCAI THE BATHHOUSE) キュレトリアル・ディレクター

・松倉宏子(鷗来堂) 校閲者

・鹿毛静穂(肉とハーブ マツノヤ) 代表兼オーナーシェフ

・小倉和子(ヘアーサロンオグラ) 理容師

 

[働くわたし ブックガイド]
・働くわたしの来た道 山本貴光

・原田マハを読む/谷洋子の知られざる生涯 佐藤寛子

・均等法世代のつぶやき ムラタ タカコ

 「働くわたしの来た道」と題して、10冊ほどご紹介しています。

 

www.webdoku.jp

 

 

★073/1021:カール・クラウス『黒魔術による世界の没落』(山口裕之+河野英二訳、現代思潮新社、2008)

★073/1021:カール・クラウス『黒魔術による世界の没落』(山口裕之+河野英二訳、エートル叢書18、現代思潮新社、2008)

*手元に来た本を記録するシリーズです。

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Karl Kraus, Untergang der Welt durch schwarze Magie. (Kösel-Verlag, 1960)の抄訳。

原書49篇から18篇、ページ数では4割を訳出とのこと。

収録された文章は次のとおり。

・黙示録

・勝利者の像

・印刷と転載

・私を黙殺する権利と義務

・地震の後で

・ハラキリと文芸欄

・ライオンの頭、あるいは技術の危険性

・ハイネとその顛末

・ハイネとその顛末 あとがき

・二つの生き方のあいだで

・ネストロイと後世

・ヨーロッパ文化の到来だ

・ニグロ

・白人女と黒人男

・あいつぁユダヤ野郎じゃねえか!

・貴族との交際への憧れ

・フランツ・フェルディナントと才覚者たち

・黒魔術による世界の没落

・解説

・訳者あとがき

冒頭の「黙示録(読者への公開書簡)」にこんな一節がある。

われわれは機械を作り出すのに十分な複雑さを備えていた。いまやわれわれはあまりに原始的になり、機械を自分に仕えさせることもできない。

(同書、7ページ)

なんだかSNSで連日どこかでなにかが「炎上」しているのを眺めているときの気分を思い出す。

偶然ではあるけれど、現在、人工知能の深層学習技術などが「黒魔術」と呼ばれているのを連想すると、味わい深いタイトルでもあります。

 

版元である現代思潮新社による同書の紹介ページはこちら。

www.gendaishicho.co.jp

Instagramからちょっと離れて

先日、Instagramの不具合について書いた。

このところ、画像を投稿する際、コメントを入力しても反映されないという症状と、他の人に「いいね」をつけると、ブロックされたアクションなので駄目ですと言われる症状に見舞われていた。

直ったりぶりかえしたりを繰り返すのだが、発生条件を特定できず、どうせ見てはいないだろうと思いつつ、念のためInstagramにも不具合の報告をしてみた。一応毎日一度は直ったかどうかを確認してみる。昨日は駄目で、今日試したところ復活していた。

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Instagramの代わりに、当ブログに同じような投稿をしようと考え直して、いくつか投稿してみた。

私としては、Instagramとブログとで同じように投稿すればよいと考えていたのだけれど、いざやってみると気分が違う。

どう違うのか。ソフトウェアのインターフェイス(操作系)の経験にかんする観察として書き留めておこうと思う。

Instagramは、画像を投稿するのが主目的だ。画像に添えるコメントは、あくまでもキャプションをつけるぐらいの軽い気持ちで書ける。まあ、そんなにいろいろ書かなくてもいいやという気楽な気分で投稿できるのがよいところ。

ただ、Instagramへの投稿も、ちょっと手間がかかる。当初はiPadから投稿していた。こうすれば、iPadで撮影した写真をそのままアップロードするだけでよいので楽ちんである。

ただし、iPadのInstagramアプリは、iPadを横置きにしても縦置き画面のままなので、コメントの入力がやりづらい。また、私は本の書誌を書く際、翻訳書は原書の書名なども書くようにしている。英語の本はまだよいのだが、フランス語やドイツ語、あるいはギリシア語やロシア語などの書名を入力するには、iPadの入力アプリは非力すぎて手間が多い。

というので、現在はもっぱらパソコンからInstagramに投稿している。なによりコメント入力が段違いにしやすい。他方で、iPadで撮影した写真をiCloudからダウンロードする必要があるので、その点は手間がかかる。

理想的には、iPadからコメントが入力しやすい状態になることだ。入力アプリがもっと使い勝手のよいものになるとよいのだけれど、そうも言ってはいられないのでPCから投稿している。

 

さて、同じような内容のことをこのブログに投稿する場合はどうか。

これはあくまでも私の場合だが、ブログにInstagramのノリで投稿するのは、ちょっと違和感がある。なにかこう、もう少し言葉を書く必要があるように感じてしまう。

というのは、ブログがもともとテキストの掲載を主たる目的にしているツールだからなのだろう。かといって、1冊ごとに詳しくコメントを書くとなると、今度はInstagramにぽんぽん投稿するような軽快さが失われる。そうなると、Instagramなら一度に10冊でも20冊でも投稿できるところ、ブログではそうもいかなくなってしまう。

ちなみにiPadで撮影した写真をiCloudからダウンロードする手間は、PCからInstagramに投稿する場合と変わらない。

まあ、長く続けるのであれば、無理にコメントを多く書くのではなく、Instagramへの投稿のようにするのがよかろうと思う。何事も無理なく続けられる条件を設定するのが肝心である、というのが少しばかり人間をやってきて得た教訓の一つである。

 

Instagramの利点は、見る人も気楽にブラウジングできるところだろう。電車などでもいろいろな人がスマートフォンの表面をスワイプしながら、Instagramの画面をスクロールしているのを見かける。写真をさっさっと流して、気になるものがあったらタップして拡大する。そんな使い方に特化してつくられたアプリである。

他方で、Instagramの不便なところは、過去の投稿を効率よく探し出す手段がないことだ。私はいま、4200点ほど投稿している。ここからなにかを探し出すのは至難である。もっとも、そういうときのためにタグの機能があるわけだから、これをもっと活用すればよいのかもしれない。

ブログのよいところは、検索しやすく、投稿同士の関連づけもできるので、投稿したものを活用しやすい点である。複数の本を並べ直したり、組み合わせたりしたい私のような者にとっては、ブログのほうが合っているようにも思う。

 

当面は両方に投稿してみようと思う。

 

というわけで、同じ写真とコメントを投稿するのでも、Instagramとブログとでは、気分が違うということについて記録してみた。なんだか当たり前のことのように感じられるかもしれないが、アプリケーションを設計する場合には、これがなかなか当たり前のように意識できなかったりするものである。

 

私のInstagramのページはこちら。

www.instagram.com

ケイティ・サレン&エリック・ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ』第4分冊の発売日が決まりました

遊んで楽しめるゲーム(意味のある遊び)をつくるには、どんなことを検討すればよいか。この点を多角的に考えさせてくれるゲームデザインの教科書、ケイティ・サレン&エリック・ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ――ゲームデザインの基礎』(全4分冊、拙訳、ニューゲームズオーダー、2019)電子書籍版の第4冊は、9月4日発売予定となりました。

目下は最後の確認を進めているところです。

2011年、2013年にソフトバンククリエイティブから刊行された旧版が、長らく品切れだったこともあり、今回の新版(電子書籍版)刊行は、訳者としてもたいへん嬉しく思います。

2019年内に、書籍版も刊行が予定されています。発行の形態などにつきましては、いずれニューゲームズオーダーから案内があると思います。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

フェルナンド・ペソア研究誌『複数のペソア(Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa)』

フェルナンド・ペソアの研究誌『複数のペソア(Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa)』がAcademia.eduで公開されています。PDFをダウンロードできます。以下は、創刊号から第15号までのリンクです。

 

第15号(2019年春号)

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 15, Special Issue: Santo Tirso | Jerónimo Pizarro - Academia.edu

 

第14号(2018年秋)

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 14, Special Issue: A New Act in Pessoa's Drama | Jerónimo Pizarro - Academia.edu

 

第13号(2018年春)

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 13 | Jerónimo Pizarro and Onesimo Almeida - Academia.edu

 

第12号(2017年秋)特集=フェルナンド・タヴォラ・コレクションに見るポルトガル・モダニズムへの新たな洞察

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 12, Special Issue, "New Insights into Portuguese Modernism from the Fernando Távora Collection" | Jerónimo Pizarro and Ricardo Vasconcelos - Academia.edu

 

第11号(2017年春)特集=ポルトガル・モダニズム1915-1917――オルフェウ世代の文脈・諸相・遺産

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 11, Special Issue, "Portuguese Modernisms 1915-1917— Contexts, Facets & Legacies of the Orpheu Generation." | Jerónimo Pizarro and Patricia Silva - Academia.edu

 

第10号(2016年秋)特集=仮面の内側――フェルナンド・ペソアの英詩

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 10, Special Issue, "Inside the Mask: The English Poetry of Fernando Pessoa." | Jerónimo Pizarro and Patricio Ferrari - Academia.edu

 

第9号(2016年春)特集=オリエントとオリエンタリズム

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 9 | Jerónimo Pizarro and Fabrizio Boscaglia - Academia.edu

 

第8号(2015年秋)特集=ジェニングス

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 8, Special Issue, "Special Jennings Issue" | Jerónimo Pizarro - Academia.edu

 

第7号(2015年春)

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 7 | Jerónimo Pizarro and Paulo de Medeiros - Academia.edu

 

第6号(2014年秋)

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 6 | Jerónimo Pizarro and Paulo de Medeiros - Academia.edu

 

第5号(2014年春)

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 5 | Jerónimo Pizarro and Paulo de Medeiros - Academia.edu

 

第4号(2013年秋)

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 4 | Jerónimo Pizarro and Paulo de Medeiros - Academia.edu

 

第3号(2013年春)

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 3 | Jerónimo Pizarro and Paulo de Medeiros - Academia.edu

 

第2号(2012年秋)

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 2 | Jerónimo Pizarro and Paulo de Medeiros - Academia.edu

 

第1号(2012年6月)

(PDF) Pessoa Plural - A Journal of Fernando Pessoa Studies, No. 1 | Jerónimo Pizarro and Paulo de Medeiros - Academia.edu

 

 

★072/1020:『ナイトランド・クォータリー』第17号(アトリエサード、2019/05/31)

★072/1020:『ナイトランド・クォータリー』第17号(アトリエサード、2019/05/31)

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第17号の特集は「ケルト幻想――昏い森への誘い」。

チーフエディターをお務めの岡和田晃さん、インタヴュー、翻訳、評論、ブックガイドと大活躍。

 

目次

・表紙作品:戸田和子(うつのみや妖精ミュージアム所蔵)

・いわためぐみ「昏い森への誘い――ケルト幻想に寄せて」

・アーサー・マッケン「変容」(遠藤裕子訳)

・ピエール・コムトワ「幻の巻狩」(大和田始訳)

・ジェレマイア・カーティン「聖マーティン祭前夜 (ジョン・シーハイによって語られた話)」(下楠昌哉訳)

・ジェフ・C・カーター「かかる警句のなきがゆえに」(待兼音二郎訳)

・デイヴィッド・テラーマン「木の葉のさだめ」(待兼音二郎訳)

・リサ・L・ハネット「食べさせてあげなきゃ」(徳岡正肇訳)

・アンジェラ・スラッター「赫い森」(岡和田晃訳)

・橋本純「いつか野に咲く麦になるまで」

・松本寛大「ケルトの馬」

・岡和田晃「Night Land Gallery うつのみや妖精ミュージアム 常若の国への招待状」

・「井村君江インタビュー"General Literature"としての幻想文学とケルト研究」(岡和田晃構成)

・深泰勉「ケルト妖精譚とホラー映画の微妙な関係」

・いわためぐみ「カナザワ映画祭が東京で「大怪談大会」を開催!」

・藤原ヨウコウ「~夜の国の幻視録 その1~「Visionary celtic」」

・岡和田晃「アーサー・マッケンから流れる、ケルト精神の水脈――「パンの大神」、『翡翠の飾り』、ヘレン・マクロイ『牧神の影』」

・朝松健「深き森の闇より――ケルト文芸復興・魔術結社・幻想作家を巡る装飾的夢想」

・徳岡正肇「Hellblade: Seuna's Sacrifice――「闇」と戦うピクトの女戦士が歩む、復讐と幻想の旅路」

・徳岡正肇「ボードゲーム「ケルト(Keltis)」レビュー ――ドイツの数学者が幻視したケルトとは」

・深泰勉「アイリッシュミュージックの歌姫の浸透と拡散」

・岡和田晃「ブックガイド」

 ・ケルトな幻想児童文学への招待

 ・M・ジョン・ハリスン〈ヴィリコニウム〉シリーズと転覆の美学

 ・「ケルト幻想」の淵源を知るために ──豊穣なる「ケルト研究」の世界

 ・今号のケルト幻想ホラー小説群を、より広い視座から味わい尽くすために

 

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