坪内祐三『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』(新潮社、2005/02、amazon.co.jp)#0234


坪内祐三(つぼうち・ゆうぞう, 1958- )氏の新著は、氏が小学生だった1960年代半ばから大学生になった1980年代初頭までに愛読した雑誌たちについての回想録。


当たり前のことながら、読者の年齢層によってこの、雑誌をめぐるエッセイ集から受ける印象はまったくちがっているのだろう。わたくしの場合は、坪内氏が大学生だったころに小学生だったものだから、坪内氏の回想はすでに歴史の範疇(というとちょっとオオゲサか)の話として興味深い。それはともかく。それぞれの雑誌をきっかけとして、坪内氏の体を通過していったさまざまな同時代の出来事や固有名、関連書などの文脈的な知識が呼び寄せられてゆく坪内作品の愉悦は本書でも遺憾なく発揮されている。


1970年代の少年マガジンのすばらしさを讃えた文章のなかで、雑誌の「ハミ出し」部分に載っている二行記事を紹介してくれている。おもしろいので同書から引用させていただく。

トラブルメーカーで有名な武智鉄二監督による映画『ビデ夫人の恋人』ができる。上映時間1時間40分中、約1時間がベッド・シーンというから映倫泣かせ。12月中旬の一般公開が楽しみだね。

(ただし原文は漢字に総ルビ)


わずか二行のハミ出し記事のなかにおそるべき情報が圧縮されている。同書にはもう一文紹介されているので、気になる方は同書所収の「あの頃の『少年マガジン』は素晴らしい”総合雑誌”だった」を参照されたい。まことに愉快な一冊。


また、唐人原教久氏によるマガジン・スタンドの装画(表紙)には、ちょっとミニチュアっぽく本書に登場する雑誌たちの表紙が描きこまれていて愉しい。各エッセイの冒頭に掲載されている実物の書影と見比べるのもよい。ミニチュア雑誌といえば、グリコから発売されているタイムスリップグリコ 思い出のマガジン」もついオマケにつられて(というか端的にオマケがほしくて)手にしてしまう。というか、このサイズあるいはもそっと大きめのサイズでまとめて復刊してくれないだろうか。場所もとらなくてうれしいのだけれど。


本書に収録されたエッセイの初出は小説新潮2002年2月号 - 2004年11月号。


2004年12月には、『文庫本福袋!』文藝春秋社、2004/12、amazon.co.jp)も刊行されている。


⇒超近代の思想 > 坪内祐三
 http://noz.hp.infoseek.co.jp/Tsubouchi/


⇒新潮社
 http://www.shinchosha.co.jp/


⇒グリコ > タイムスリップグリコ 思い出のマガジン
 http://www.ezaki-glico.net/chara/tsg_magazine/index.html



ヴォルテールカンディード 他五篇』植田祐次訳、岩波文庫赤518-1、岩波書店、2005/02、amazon.co.jp)#0235


ヴォルテール(Voltaire, 本名=フランソワ・マリー・アルエ, François-Marie Arouet, 1694-1778)のコント六篇の新訳。収録作品はつぎのとおり。

・「ミクロメガス 哲学的物語」
・「この世は成り行き任せ バブーク自ら記した幻覚」
・「ザディーグまたは運命 東洋の物語」
・「メムノン または人間の知恵」
・「スカルマンタドの旅物語 彼自身による手稿」
・「カンディードまたは最善説〔オプテイミスム〕


従来の吉村正一郎訳も岩波文庫赤518-1(赤518番はヴォルテールに割り振られた番号)で、カンディードのみを収録していた。旧版と新版はISBNが同じようなので、古本で買う場合は注意されたい。



田中正造文集(二) 谷中の思想』(由井正臣+小松裕編、岩波文庫青N107-2、岩波書店、2005/02、amazon.co.jp)#0236


全二巻構成の第二巻。この第二巻には、1904年(明治37年)の谷中村〔やなかむら〕への入村から、1912年(大正02年)までの資料を収録している。


⇒作品メモランダム > 2004/12/10 > 『田中正造文集(一)』
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20041210#p3



★クック『太平洋探検4 第二回航海(下)』(増田義郎訳、岩波文庫青485-4、岩波書店、2005/02、amazon.co.jp)#0237
 The Journals of Captain James Cook on his Voyages of Discovery(ed. by J.C.Beaglehole, 4 vols., Hakluyt Society, Cambridge University Press, 1955-1967)


第三分冊につづいて、第二回航海の記録。全六分冊の予定。



江戸川乱歩全集 第25巻 鬼の言葉』(新久保博久+山前譲監修、光文社文庫え6-20、光文社、2005/02、amazon.co.jp)#0239


第19回配本の本巻には『鬼の言葉』『鬼の言葉・拾遺』『探偵小説十五年』『随筆探偵小説』を収録。巻末エッセイは、鬼海弘雄氏。



小林秀雄全作品 別巻1 感想(上)』(新潮社、2005/02、amazon.co.jp)#0240


1958年(昭和33年)から5年にわたって雑誌『新潮』に連載して中断。書物としての刊行を禁じたベルクソン論。第五次全集刊行にあたって別巻として刊行され、第六次全集である「全作品」でも同様に収録される。第五次全集の刊行時に編集部によって付された「緒言」は、このたびの特別収録にあたって説明をしている。以下は本書巻頭の言葉から抜粋したもの。

……著者の没後十数年を経る間に、かつての『新潮』連載稿に拠って、著者を、あるいはベルグソンを論じる傾向が次第に顕著となり、もし現状で先々までも推移すれば、著者の遺志は世に知られぬまま、著者の遺志に反する形で「感想」が繙読される事態は今後ともあり得るとの危惧が浮上した。よって、著作権継承者容認のもと、第五次「小林秀雄全集」および本全集「小林秀雄全作品」に別巻を立ててその全文を収録し、巻頭に収録意図を明記して著者の遺志の告知を図ることとした。著者には諒恕を、読者には著者の遺志に対する格別の配慮を懇願してやまない。


結果的には図書館でコピーを拵える手間が省けるのだから有り難いわけだけれど、この説明はいかにも苦しい(たしか第五次刊行時に山城むつみ氏が批判していたように思う)。単行本としての出版を禁じるのは著者の自由だけれど、連載していた雑誌を探して読むのは読者の自由だろう。小林秀雄の遺志を伝えることが目的なら、遺志のみを全集の末尾に添付しておけばよく、本文を収録する必要はない。本文も刊行するから読んでもこれを論じないように、ということはよもや含意されていないと思うけれど。結局のところ、今回の本の帯にも「……晩年には出版も禁じた」とあり、著者による出版禁止はむしろ売り文句としての機能を担わされているようにも見えてしまう。



佐藤忠男ATG映画を読む 60年代に始まった名作のアーカイヴ』(ブック・シネマテーク09、フィルムアート社、1991/07、amazon.co.jp)#0241


フィルムアート社から刊行の、ブック・シネマテーク第9弾。1962年に始まるアートシアターギルド(ATG)の活動(会社としての発足は1961年)を、171本の上映作品の記録でたどる一冊。


武井昭夫『芸術運動の未来像』現代思潮社、1960/12)#0242


武井昭夫(たけい・てるお, 1927- )氏が1954年から1960年にわたって書いた評論から、芸術とその運動に関するものを集めた初の評論集。


武井氏は2004年に、『わたしの戦後 運動から未来を見る 武井昭夫対話集』(スペース伽耶、2004/07、amazon.co.jp)という対話集を刊行している。私はまだ読んでいないけれど、対話者には、柄谷行人、絓秀美、青木実山口正紀斎藤貴男などがクレジットされている。