ケインズではなくシュンペーターを

われわれの中の誰もが自分自身に対してのみ責任を負い、他の誰にも責任を負わないと仮定する。そして、誰もが所得を最大にしようとして、どういう風に行動するかを計算する。そうすると、個々の行動が他の行動にどういう風に作用し反作用しあって、一つの経済構造をつくり出していくのかということをパノラマのように映し出すことができる。(中略)


しかし、こうしたシミュレーションの背景にはすべて仮定条件が存在している。諸種の仮定条件を設定することによってはじめて、複雑な人間の行動を数学的に説明することが可能になっている。さらに付け加えれば『数学的に説明できる』というその事実こそが、経済学者が仮定条件を設定することを好む理由でもある。そして、仮定条件が設定されるのは、通常の場合、『それが現実に即したものと考えられるから』という忘れられてはならない大前提がある。『現実に即したものと考えられるから』であって、『現実に即しているから』ではない――という点に留意してほしい。経済理論によって現実を語ろうとするときに忘れてはならないのはこの点だ。
しかし、わが国のエコノミストたちは、知らず知らずのうちにそのことを忘れてしまっている。『仮定条件にすぎない』ということに対する謙虚さを失ってしまうのだ。『そのように動くことが人間の真の本性である』とか『それが人間の理性が命ずるところの規範なのだ』といういかがわしい主張に川っていきがちだ。だからこそ、良心的な経済学者たちは、『理論経済学のひとり歩きは危ない』とたしなめてきたのである」

木村剛「常識に還れ」37「ケインズではなくシュンペーターを」(『フォーサイト』2004/02)


エコノミストたち」の言動がどのようなものなのか不案内なのでなんとも言えないが、もし木村氏がここに書いているような人々がいるのだとしたら(そしてその人々がなにがしかの影響力を持ちえているとしたら)、恐ろしくも滑稽なことだ。ここにも「ウッカリ」の罠がある。本来、経済行動を合理的に理解・説明するためにつくった仮説を、そのまま現実の記述だとウッカリ取り違える罠。