中沢新一『ポケットの中の野生』新潮文庫、新潮社、2004/01、amazon.co.jp


このつど新潮文庫にはいった中沢新一『ポケットの中の野生』新潮文庫、新潮社、2004/01、amazon.co.jp)は、ポケットモンスターを「贈与」と「対象a」という二つの概念で解釈した書物*1


かつてゼビウスが出たときにも中沢新一はこのゲームについての批評を試みていた。「対象a」という概念自体が万能ナイフみたいなものだから、っていうと使えないものみたいだな、ええと、カードゲームのオールマイティみたいなもので、なににぶつけてもおもしろい話ができる小噺生成装置みたいなものなので、ちょっぴりずるい気がしなくもないけれど、そうはいってもゲームを語る批評の言葉自体がそもそも貧しすぎるのだから、中沢氏のようにであれゲームについてこんな風にも解釈できるよ、という議論が出てくるのはありがたい。


もちろんゲーム開発の現場では「対象a」などというヤヤコシイことは何も考えず、単に「どうしたらおもしろいゲームが作れるかなぁ」と思ってやっているわけだが、批評のよいところはそうした作り手の無意識や意識外(要するに意識しようがしまいが結果的に作品に結実してしまうなにか)のことを「こんな風にもそれは読めるよ」と教えてくれることだ。そういう示唆を受けて、別段その分析に用いられた概念装置をつかったりすることはないものの、「そうか、そういう風にも見えるのね。ならば、こうしたらもっとおもしろくなるんじゃない?」と作品に手を加えたりする。


作り手としては、広告と攻略ばかりではなく、そういう言葉がもっとたくさん出てくるとおもしろいのだが。


他方で、ゲームを対象化することが難しいのもたしかだ。ゲームを分析しようと思ったら、それを成立させているルールとその構造を見通す必要があろうし、そのうえで個々の要素のふるまいを考えねばならない。ひょっとしたらそんな必要はないのかもしれないけれど、なんだかそんな風に思うのである。



これはゲームに限らないけれど、作品の総体が潜在させていることがらが問題で、とくにゲームの場合はその潜在性がプレイヤーの操作によって変化するというやっかいさをかかえこんでもいる。映画や音楽ならリニアに作品が展開してゆくので、途中で止めたり戻したりしない限り、権利上は誰もが同じように展開する作品に立ち会うことになる。ゲームの場合にやっかいなのは、プレイヤーの操作が介入する時点で、すでに誰ひとりとして同じゲーム体験をしえないことにある。もちろん、映画でも音楽でも、受け手と文脈によって誰ひとりとして同じ作品体験をするわけではないのだが、同じゲームをクリアするまでに巧い人なら30分、下手な人なら3時間という差は生じない。この点では読み手のスピードによって作品を享受する時間の長さが変化する書物と似ていなくもないが、アドヴェンチャーゲームブックやフリオ・コルタサル『石蹴り遊び』のように分岐する小説でもなければ、やはりそれはリニアであるのだし。


??と、とりとめもなく考えてみたけれど、とどのつまり、ヴィデオゲームでは、メモリとCPU上に展開するプログラムに対してプレイヤーが操作を加えることで作品を享受する体験が成立する、というそのことが他の作品とは少しばかり違うのだろう。


あるとき、ICCのシンポジウムで現代美術のマルチメディア作品をめぐって行われた蓮實重彦浅田彰のやりとりを思い出す。蓮實重彦が「マルチメディア作品の特徴はインタラクティヴ性だとおっしゃるけれど、そんなことは映画でもあることだしもっといえば、絵画にだって小説にだってあることにすぎません」という趣旨のことをいい、浅田彰はそれをうけて「そのレヴェルではそうなんだけれど、マルチメディア作品がインタラクティヴであるというのは、作品を体験すること自体がすでに物質的にインタラクティヴであらざるをえないようなことなんですよ」という趣旨のことを言っていた。蓮實重彦が述べる意味でのインタラクティヴ性はもちろんどんな形態の作品にもある。後者のそれは、メモリ上に展開するプログラム=作品自体の状態が、プレイヤーとのやりとりでそのつど異なる状態を経ながら生成されることにある。


プログラムとその実行された結果というソフトウェアの結構は、ヴァーチュアリティについて考えるよい装置だと思うのだが、こんな単純なことを述べるにもてまどるようではしかたがない。戦国無双から解放されたら、も少し頭を整理しよう。


⇒哲学の劇場 > 作品の愉悦 > 2004年01月31日(土)——潜在性を展示する方法
 http://www.logico-philosophicus.net/hedonism/index.htm#20040131


⇒哲学の劇場 > 作家の肖像 > 中沢新一
 http://www.logico-philosophicus.net/profile/NakazawaShinichi.htm

*1:親本の岩波書店版は1997年9月に刊行