寺田寅彦に「地図をながめて」という随筆がある。
ある文章を拵えながら、この随筆のことを思い出し、「ああ、寺田寅彦の巧みなたとえ話をここ〔拵え中の文章〕に使わせていただいたなら、自分ではうまく言えないことを印象深く読み手に伝えられるにちがいないことよ」と思い立った。
「よし」と思って書棚にある『寺田寅彦全集』に目をやった。何冊あるのだかわからないほどたくさんある。(ああ、こんなときのために全巻構成目次を哲学の劇場につくっておくのだった)と後悔しても詮無いので、「しからば」と文庫ばかりを並べてある棚を見る。小宮豊隆が編集した『寺田寅彦随筆集』(全五巻、岩波文庫)がどこかにあるはずだ。
(小宮豊隆といえば、先日写真展で観た工事現場でヘルメットをかぶった好々爺ぶりが忘れ難い)
黄色版、青版、白版、赤版の一部までは背表紙が見える。だがしかし、緑版(日本文学)がおさまっているはずの書棚下部は、積み上げられた山の向こうにうずもれている。しかも山は幾重にもおりかさなり高い。いまこの瞬間、実はその向こうに岩波文庫緑版の姿はなく、魔空空間が拡がっていて古きものたちが跳梁跋扈しているといわれても確認するすべがない。ピンク色の渦巻状の顔をもち、背中から羽のはえた猿のようなものがいるかもしれないのである。
さりとてハッパをかけるわけにもゆかず、調査隊の焦りは募る一方であった。
「隊長!」(いつから隊になっていたかは秘密)
「なんだ、隊員」
「自分は思うであります。こういう緊急の場合は、手段を選んでいてはいけないと思うであります」
「たまにはいいことを言う。で、どんな手段がある?」
「は。自分の故郷の父がいつも言っていたです。あ、自分の故郷は……」
「うむ。故郷の思い出話はこの事件が解決したら聞いてやる。要点を言ってみろ」
「は。モノをやたらと買うばかりが能でないぞ、たとえば本があるじゃろ、あれなんがは本屋が自分の書斎だと思えばこんなにエエことはねぇんだから、お前もそう心得てナ。やたらと本などを買って無駄な銭使うことはねぇだなや。そんだら無駄な場所もとらんし、いいことづくめじゃろ? 家を本だらけにして鼻息を荒くしちょる輩はオレのだちにもおるが、ありゃぁいかん。第一にひととしていがんさ。本を持っておることを物知りと勘違いしてナ、かえって世間のことなんぞなァーんもわかっちょらんけん、こないだもな……」
「……うむ、つまりだ。書店を探せ、という提案だな?」
「は。簡単に言うとそうなります」
追伸
その後の調査により『マーラーと世紀末ウィーン』は、『文化史のなかのマーラー』(筑摩書房、1990/10)の文庫化と判明。てか、買う前に中を見るように>自分