★ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』(清水徹訳、岩波文庫赤560-3、岩波書店、2004/05、amazon.co.jp)
おかげでわかったのだが、われわれは自分の考えるところを、何とあまりにも他人の考えの表現形態に従って、判断していることか! そうわかるまでは無数の言葉がわたしの耳もとでぶんぶん唸っていたが、以後、それらの言葉に託された意味がわたしを揺りうごかすことはめったになくなった。
もしわたしたちが知っていれば、わたしたちは語りはしないだろう――わたしたちは考えはしないだろう、わたしたちはたがいに語りあうことはないだろう。
――「科学だって! 科学者たちがいるだけです、きみ、科学者たちと科学者のいろいろな瞬間があるだけさ。人間ですよ…… いろいろと手探りしたり、辛い夜をすごしたり、口が苦かったり、明晰なすばらしい午後があったり。すべての科学の第一の仮説、あらゆる科学者にとって必要かくべからざる観念とは何か、ご存じかね? 世界はあまりよく知られてはいない、ということですよ。そうなんだよ。ところが、たいていの場合、ひとは逆を考えている。
――「いちばんむずかしいのは、何があるのかを見ることなんですね」わたしは溜め息をついた。
――「そのとおり」と、ムッシュー・テストが言った。「言い換えれば、言葉をとりちがえないことさ。つくづくと感じとらねばいけないことなんだが、言葉というものは、のぞみのままに排列できるし、言葉でつくる結びつきのひとつひとつが、かならずしも何かに対応しているわけではないんだ。二百ほどの言葉を忘れねばならぬ、それを耳で聞いたら翻訳しなければならない。