オノ・ヨーコの作品は(自分でも気づかないうちに)かたくこわばってしまった頭をいろいろな方向から、いろいろなチャンネルをつかってもみほぐし、粉砕してくれる。――ってっても、それが芸術の力なのだからそんな一般的な感慨をもらすだけ野暮なのだけれど、見聞が狭いせいもあって同時代の作品に接してこれだけの効果を実感できる機会がなんだか乏しいのである――彼女がつくってきたテキスト、イラスト、オブジェ、映像、イヴェント、音楽、インスタレーションに接していると(それが何度か接したことのある作品であっても)、脳裏にこびりついていた頑固な先入見の数々が霧散してゆく。少しくおおげさに書けば、爆破されるんである。
白く塗装されたチェス・セットを見たことがあるだろうか。1966年にはじめて制作、後に「プレイ・イット・バイ・トラスト(信頼して駒を進めよ)」(PLAY IT BY TRUST)として作成が再開された作品では、チェス盤を刻み込まれたテーブルや対の椅子はもちろんのこと、チェスの駒まですべて白く塗られている。
このチェス・セットでゲームをすると、やがて自分の駒と敵の駒の見分けがつかなくなってゆく。プレイヤーが二人とも熟練者ならそれでもゲームは整然と進められるかもしれない(1966年の作品には「駒がどこにあるか覚えていられるあいだだけ使えるチェス・セット」と命名されていた)。だが、それほどの経験を持たないプレイヤー同士のゲームでは、簡単に敵味方の区別が不明になってしまうだろう。
敵対するはずのゲームで、駒が近接すればするほどどれがどれだかわからなくなり、敵対を維持することが難しくなるという状況。敵味方の区別がたったそれだけのことに依存して成りたっていると考えてみることもできるし、記憶の脆弱さにいやおうなく気づかされもする。
作者は「信頼して駒を進めよ」と言う。何を信頼するのか? 相手を信頼するのか、自分の記憶に責任を持つのか、いまプレイしつつあるゲームがチェスであることを確信するのか……云々。
(ゲーム屋としては、これをコンピュータ上でつくれば、記憶力そのものをゲームの勝敗に組み込むような別の遊びを創造することもできるという方向にも想像を刺激されたりもする)
――これはほんの一例である。この調子でひとつひとつの作品に接していったらいくら時間があっても足りない。
会場におかれたオノ・ヨーコ専用電話――その電話にはときどきオノ・ヨーコが電話をかけてくるらしく、そのとき近くにいたあなたは受話器をとり彼女との会話をたのしんでほしい、と説明がある――のそばでしばしぶらぶらとしてみたのだったけれど、
本展は、2000年にニューヨークのジャパン・ソサエティーにより企画され、昨年、水戸芸術館に巡回ののち、広島市現代美術館、東京都現代美術館(04/17-06/27)を経て、鹿児島県霧島アートの森(07/17-09/12)、滋賀県立近代美術館(10/02-12/12)へまわる予定となっている。