部屋を整理していたら、昔手にいれたあれこれの本がいろいろと出てくる。



ジョルジュ・ペレック『考える・分類する――日常生活の社会学(阪上脩訳、りぶらりあ選書、法政大学出版局、2000/02、amazon.co.jp
 George Perec, Penser / Classer (Hachette, 1985)


ジョルジュ・ペレック(1936-1982)の本。ペレックがさまざまな新聞・雑誌に寄稿した文章を集めたへんてこで愉快な本。表題作品から抜書きをしておこう。


★「《考える/分類する》」より

(U)パズルのような世界


一つの規則によって、全世界を分類するというのは、じつに人をひきつけることであり、一つの全般的法則が現象全体を規定することになる。北半球と南半球、五大陸、男性と女性、動物と植物、単数と複数、右と左、四季、五感、六母音、七日、十二ヵ月、二十六文字。


残念ながら、そんな分類は、うまくいかない。かつてうまくいったためしがないし、今後もうまくいかないだろう。


そうはいっても、なおこれからも人びとは、これこれの動物が奇数の指や中空の角をもっているということで、分類するということを長くつづけるだろう。

(同書、p.120)

(C)分類


分類のめまいというものがある。私は、国際十進分類法(C.D.U)数字を見るたびに、それを感じる。どういう奇跡の連続によって、実際に全世界で、668.184.2.099 が化粧石鹸の仕上げ工程を意味し、629.1.018-465 が救急車のサイレンを意味し、


621.3.037.23
621.436:382
616.24-002.5-084
796.54
913.15


が、それぞれ、電圧は50ボルトをこえない、ディーゼル・エンジンの貿易、結核予防、中国と日本の古い地理学、を意味すると認めるにいたったか!

(同書、p.125)

(P)私がどう分類するか


分類に関して、問題は、つづかないことである。私が分類し終わったときには、もうその分類は時代おくれになってしまっている。


私は、みんなそうなると思うが、ときに整理狂になってしまう。整理すべきものの多さと真に満足できる基準にしたがって配分することが半ば不可能なため、私は決して最後まで整理しつくしたことはなく、まったくの無秩序よりは少しはましな仮のあいまいな整理でやめてしまうことになる。


それらすべては、まことに奇妙な分類となる、という結果になる。たとえば、書類がいっぱい入ったファイル、その上には〈分類すべし〉と書かれている。あるいは〈緊急1〉というラベルをはった何も入っていない引き出し(〈緊急2〉の引き出しにはふるい写真が何枚か入っており、〈緊急3〉の引き出しには新しいノートが入っている)。


結局、私は自分を整理するのだ。

(同書、p.126)


で、いつでも自分を整理しきれない次第。



子供のころ、百科事典や図鑑に掲載されている動植物がどのように分類されているのか、とても不思議だった。カモノハシという分類ができないおかしな動物がいる、といわれてなにか話しが逆立ちしてやしないかと思った。長じてから、博物学や分類学の本を読み調べるうちに、根拠あっての分類とはいえあやしいと感じるようになった。生物学者・池田清彦『分類という思想』(新潮選書、新潮社、1992/11、amazon.co.jp)に出会って、遅ればせながら分類とはいかなる営為であるのかを理解した。それは世界をそのように分節して眺める、という思想の表明にほかならない。ペレックがユーモラスに書いているのもこのことだ。


同書『考える・分類する――日常生活の社会学』に収録されている「本を整理する技術と方法についての短い覚え書き」「眼鏡に関する考察」などもおすすめ。


ジョルジュ・ペレックについては以下のようなサイトがある。


ジョルジュ・ペレック研究
 http://perec.jp/


★ASSOCIATION GEORGES PEREC(仏語)
 http://www.associationperec.org/


池田清彦氏については、以前、以下のような書誌を作成した。


★哲学の劇場 > 作家の肖像 > 池田清彦
 http://www.logico-philosophicus.net/profile/IkedaKiyohiko.htm