★エチエンヌ・スリヨ『美学入門』(古田幸男+池部雅英訳、りぶらりあ選書、法政大学出版局、1974/03)
Etienne Souriau, Clefs pour l'Esthétique (Editions Segheres, 1970)
フランスの美学者エチエンヌ・スリヨ(Etienne Souriau, 1892-1979)による美学入門書。原題は直訳すると『美学への鍵』。
全体は、以下の四章にわかれている。
第一章 美学の起源
第二章 現在的諸与件の系統研究ーー美的対象に関する問題による諸理論の分類
第三章 さまざまな方法
第四章 現在の問題点
■第一章 美学の起源
「美学の起源」と題された第一章では、美学の歴史を概観する。
「美学」(Aesthetica)といえば、バウムガルテンの『美学』(Aesthetica, 1750)が引き合いに出されるのだけれど、「たとえこの年が美学の命名式の年であるとしても、それよりはるか以前に哲学者達はこの問題に関心を抱い」(p.2)ていた。そんなわけで、ここでは――
・プラトン
・アリストテレス
・プロチノス(プロティノス)
・キリスト教の美学の問題
・異教の美学
・東洋――回教・インド・中国・アフリカ
・聖アウグスチヌス(聖アウグスティヌス)
・聖トマス・アクイナス
・ルネッサンス
・古典主義
・バロック
・バウムガルテン
・ロマン主義
・カント
・シェリング
・ヘーゲル
・ショペンハウアー(ショウペンハウアー)
といった面々(あるいは潮流)について駆け足で言及される。とはいえ、なにしろ邦訳書にして35ページ分のこと。読者は各自ここから原典なり研究書に足を伸ばすこと、いいね? という概論。見る人が見ると「あれがない、これがない」ということにもなるのだろうけれど、著者のスリヨももちろんそれはわきまえていて、ちゃんとやろうと思ったら60人以上は引き合いに出さなけりゃならなくなる、と言っている。
ちなみに、スリヨがとりわけ重要だと述べているのは、次の六人。つまり――プラトン、アリストテレス、プロティノス、聖アウグスティヌス、トマス・アクイナス、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
1970年に書かれた書物としては、ショーペンハウアーで終わるのはどうなのか、と思っていると、19世紀中葉まではまだ時代じだいの美学の主要テーマを何人かの思想家に代表させるという見立てができたけれど、それ以降はあまりにも複雑だし、未整理なので同じように整理するわけにはいかない、とのこと。本書から30年経た今はどうなっているだろうか。これはまた別の書物で検討してみよう。
☆美学とは何か
さて、「美学」以前に美学的な問題について考えた思想家たちを概観するにせよ、当の「美学」がなんなのかがわからないことには概観もできない。スリヨは第一章の冒頭で美学のおおまかな定義を与えている。
美学とは何か。われわれの進むべき方向を見定めるために、美学をかりに、予備的に定義しておこう。美学とは内省的思考の一形式である。それは、あらゆる寺院、大伽藍、宮殿、彫像、絵画、旋律、交響曲、詩……を創造した自らの活動力について深く考える人間精神のことである。
もし誰かが「いや、それは違う。美学とは、夕陽や嵐の光景の前で、あるいは美しい顔や美しい肉体を眺めて感動する自らの感受性について熟慮する精神のことだ」と言うならば、こう答えよう。それは当初の定義に含まれている、と。嵐を描く画家、美しい肉体を彫る彫刻家がそれらを創造するためには、その嵐、又はその肉体の前で感動しなければならないこと、そしてたぶん彼らは、水夫や恋する人とは別様に感動する術を学ばなければならないことは明らかである。だから、この二つの定義を二者択一すべき反対概念のように対立させてはならない。それらは互いに固く結びついているのである。
(p.1)
#つづく