『新版 讀書の伴侶』(基督教學徒兄弟團、1964/01)#0215


学生向けの読書指南書たることを目指してつくられた本で、初版は1952年(昭和27年)に刊行されている。


本書の中心をなすのは、森信三、西谷啓治、伊吹武彦、伏見康治、矢内原伊作高坂正顕、壽岳文章、松村克己、猪木正道、久山康といったメンバーで行われたシンポジウム。序文はこんなふうにはじまっている。

日本人の読書の仕方については、根本的な反省を必要とする時が現在〔1952年当時――引用者註〕訪れている。それは、大正から昭和にかけての読書の仕方によって育てられて来た日本の知識階級の脆弱さと空虚さとが、今次の戦争を通じて根底から明らかとなったからである。


一体、日本人の読書は、日本に資本主義社会が形成され、封建社会イデオロギーであった儒教に代って、新時代の指導理念であるヒューマニズムが、欧米諸国より移入されるにつれて、著しい変化を経験した。すなわち堰を切ったごとく日本に流入した欧米文化は、紹介され翻訳されて、書物の洪水となって日本の隅々まで浸みとおり、日本人の読書は短い期間に驚くべき豊富さに達したのである。


しかしそこには、読書が表面的には盛んになったにもかかわらず、その蔭にあって著しい退化現象が生じて来た。それは読書の目的が、人格の形成よりもむしろ、単なる文化の知的な理解や享受に移って来たからである。

(同書、p.3)


というわけで、1952年の時点で考えられる教養のための読書について、賢者たちが長時間にわたって論じあった記録。このときすでに、参加者たちが「昨今」の大学生が本を読まなくなり、教養が崩壊していると嘆いているのが興味深い。大学の大衆化が進み始めた時期で、学生が増えた分、できないやつまで学校に来るようになった、というのが先生方の見立てだ。他方で、それでもできる学生を抽出してみれば、かつてのできる学生たちと同じくらいの人数はいるのではないか、という冷静な意見も出されている。


以下にかかげる目次を眺めるとわかるように、シンポジウムとはいえ、かなり細かく丁寧に読書の案内をしようと配慮されているのがわかる。

第一部 読書の意義と方法
・日本人の読書とその性格
・危機における人格形成
・読書の態度
・古典の読み方
・読書の順序
・魂の出逢い
・読書の意味
・読書の習慣を作る方法
・語学の学び方
・読書の技術
・読書の弊害
・書物の購め方


第二部 人間の成長と読書
・少年期の読書
・青春期の読書
・短歌
・俳句
・日本の詩
・西洋の詩
漢詩
・日本の小説
・西洋の小説
・芸術に関する書物
・宗教に関する書物
・社会に関する書物
・哲学に関する書物
・歴史に関する書物
・自然科学に関する書物
・保健に関する書物


附録
・教養書百選
・関係図書目録


読みながら思ったのだけれど、そういえばどうやって本を選ぶか、どのように読むかといったことを学校で教わったためしがなかった。自分で読み始めて、芋づる式に書物から書物、作家から作家、領域から領域へのリンクをたどりつづけていまにいたる。なんでも学校で教えればいいというものではないけれど、一度はこの本が試みているように、本を選び読むということについて基本的なことから応用的な技術まで、きちんと教える機会があってもよいのではなかろうか。


わたしが手にした本は、古本で、いたるところに前の持ち主による書き込みがあってこれを眺めるのも楽しい。扉には「出席者は多分偉い人達なのだろうから、注意深く読むこと」とか「’俺の読書’ということ」とある。また、目次のところには「芸術に関する書物」以降のところに「今のところ、さし迫って必要でないのでところどころ拾い読みをする。完読して、知識を頭に入れとくのも一法かと思うが、比較的難解なのでいずれ読むことにする」とも書き込みがある。自分への宣言・釈明はなにを企図してのことだろうか。


それはさておき。巻末に「教養書百選」というブックリストがついている。1952年当時の必読教養書なのだろう。前の持ち主はこの「教養書百選」にも読んだ本にチェックがいれてある。この本を手にした時点で都合32冊を読んでいることがわかる。