★ジョン・K.ノイズマゾヒズムの発明』 (岸田秀加藤健司訳、青土社、2002/01、amazon.co.jp)#0355*
 John K. Noyes, The Mastery of Submission: Inventions of Masochism (Cornell University Press, 1997, amazon.co.jp)


19世紀末に病理学者リヒャルト・フォン・クラフト=エービング(Richard von Krafft-Ebing, 1840-1902)によって「マゾヒズム」という症例が作り出された。彼がオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホ(Leopold von Sacher-Masoch, 1836-1895)の作品と生活に見て取り、ザッヘル=マゾッホの名にちなんで命名した性倒錯の形式は、やはり作家のマルキ・ド・サドMarquis de Sade [Donatien Alphonse François de Sade], 1740-1814)の作品から取り出された「サディズム」と対になり、後にジークムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)によって普遍化が推し進められることになる。


現在、わたしたちが「SM」(サド&マゾ)という言葉で想起するものは、そのような精神病理の分類概念が通俗化されたなれの果てである。



サディズムとマゾヒズムの組み合わせが思われているように相補的なものではないことについては、ジル・ドゥルーズGilles Deleuze, 1925-1995)がザッヘル=マゾッホを誤解から救い出し正当に評価するために書いたマゾッホとサド』(Présentation de Sacher Masoch)蓮實重彦訳、晶文社、1973 [原書は1967]、amazon.co.jp)における批判に詳しい。


⇒作品メモランダム > 2005/04/06 > マゾッホを読む
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050406/p1


本書は、概念としては19世紀末に命名され、時代・状況の変遷とともにさまざまに形を変えてきたマゾヒズムの諸形態を過度の単純化から解放し、マゾヒズムがそれぞれの局面においてどのような問題を孕んでいるかを検討にかける書物だ。


John K. Noyes
著者・ジョン・K.ノイズ(John K. Noyes)は本書執筆の動機を次のように述べている。

本書は、マゾヒズムという観念の元となった一連の問題について論じ、それらの問題が過去一世紀間、どのように残り続け、どう変化したのかについて述べる。マゾヒズムの物語を語るには、多くのやり方があろうし、実際、幾度となく語られてきた。このような物語をまたまた語ろうとする書物は、その語り方自体において、何か今までと異なったこと、新しいこと、のみならず、何かよりよいことさえ主張できるのでなければならない。わたしが、この研究に取り掛かるきっかけとなったのは、マゾヒズムが議論されるとき、たいてい何か重要な点が見逃されていると確信したからである。この「何か」を理解するためには、世紀の変わり目〔19世紀と20世紀の変わり目——引用者註〕にこの話題を引き受けていた精神病理学、精神分析、精神医学の言説に言及するより、レオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホの作品に相談するほうが役に立つ。ザッヘル=マゾッホを研究することによって、われわれが「マゾヒズム」と読んでいるものは、実際は、その物語の一部に過ぎないと確信するようになった。

(同書、19ページ)


密度が濃く読むのはなかなか骨の折れる本だけれど、政治、心理学、文学、映画等々……文化の諸領域において見られるマゾヒズムの諸形態を考察するうえでは非常に教えられるところの多い労作である。構成は以下のとおり。

・序章 マゾヒズムの発明
・第一章 殴られる女、生物学、コントロールのテクノロジー——マゾヒズムの政治学
・第二章 理性、情熱、一九世紀リベラリズム——クラフト=エビングザッヘル=マゾッホ
・第三章 罰、贖罪、快楽のテクノロジー——普遍的マゾヒズムの発明
・第四章 帝国主義の男、文明化させる女、ヨーロッパのマゾ男
・第五章 支配の物語、挫折の空想——フロイトマゾヒズム
・第六章 死の衝動を超えて——マゾヒズムの歴史・コントロール・ジェンダー
・第七章 消滅し、ふたたび現れる主体——マゾヒズム、近代性、ポスト近代性
・原注
・謝辞
・訳者あとがき
・参考文献
・索引



当然といえば当然なのだが、本書の「第一章 殴られる女、生物学、コントロールのテクノロジー」において著者が、DSMamazon.co.jp)——つまり、精神障害の診断・統計マニュアル』(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)、通称DSM——における「マゾヒズム」の扱いを分析しているのを読むまで、DSMをあたってみようという発想にいたらなかった。DSMというのは、アメリカ精神医学協会(American Psychiatric Association)が発行するマニュアル本で、各種精神障害が分類されていて、それぞれにチェックすべき症状が記されている。もちろん、このマニュアルをどのように使うかにはさまざまな問題が含まれておりそれだけでも大きなトピックスである(門外漢としては、これを「あ、オレってこれにあてはまるじゃん」というふうに使うのではなく、このマニュアルを使う精神科医がどのようなフィルターによって分類を施すのかをわきまえるために見ておくのがよいと思う)。目下は、DSM-IVが最新ヴァージョンで、同協会ウェブサイトにはオンライン版(登録が必要)もある。ノイズは、DSMの各ヴァージョンにおけるマゾヒズムの扱いを批判的に検討している。


⇒John K. Noyes Homepage(英語)
 http://web.uct.ac.za/depts/german/staff/noyes/jkn-home.htm


⇒American Psychiatric Association(英語)
 http://www.psych.org/
 アメリカ精神医学協会のウェブサイト


青土社
 http://www.seidosha.co.jp/index.html