池内了寺田寅彦と現代——等身大の科学をもとめて』 (みすず書房、2005/01、amazon.co.jp)#0377*


言えばつまらないようなことだけれど、科学者寺田寅彦(てらだ・とらひこ, 1878-1935)の魅力は、文系/理系という偏狭な壁をかるがると越える知性のたたずまいにある、と思う。


地球物理学や実験物理学、あるいは現在ならさしずめ複雑系の科学とでも呼ばれそうな領域に及ぶ応用科学の業績のみならず、哲学をみすえた基礎科学論、あるいは、俳諧をはじめとする文学への傾倒、創成期の映画作品への意欲的な評論、教育論などなど、味わいのある文章を残している。


本書は、天文学、宇宙物理学を専門とする科学者池内了(いけうち・さとる, 1944- )氏が寺田寅彦の愉悦へと誘う書物。その池内了氏は、高校時代にお兄さん(独文学者の池内紀氏)に勧められたことがきっかけで寅彦のファンになったという。


主眼は、現代の眼から寅彦が広範囲にわたって書き継いだ文章を読み直すことにある。


映畫はきみ、影絵の連句みたようなものだよ
寅彦の文理を越えた活躍ぶりを今の科学者/文学者が見たら、「それはきみ、なにしろ明治から昭和初期にかけてのことだからね。いまのように専門分化がはじまるころのことでしょう。当時はまだ一人の科学者が科学全般に広く目配せができた時代なんだよ。今同じことをしろったって到底無理だよ」と言うかもしれない。それなら逆に寅彦と同じ条件下にいたら、彼と同じだけの視野を持つことができたかというと、それも甚だ怪しい。たとえば科学に関心のない科学以外の専門家(たとえば文学者)はそもそもどんな条件下であっても科学を理解しようとすることは少ないだろうし、逆に科学以外の諸学に関心のない科学者はどんな条件下にあっても科学以外の諸学にとりくむことは少ないだろう。莫迦みたようなことを言うのをお許し願えば、それは学問や世界(自然/社会)に向き合う姿勢の問題とでも言うしかない問題ではないだろうか(もっとも単純に文理を架橋しようといってどちらも骨抜きにしてしまう進め方にも賛成はできないのだが)。


というわけで、本書にしたがって現代の眼で以って寅彦の仕事を見直すということは、寅彦の仕事が現代にどうつながっているか/いないかを見直すことであると同時に、寅彦が持ち、現代人(とまとめる乱暴をいまは許したまえ)がなかなか持ちえないその彼我の姿勢のちがいを見直すことでもあるのだろう。本書はそのための格好の鏡になってくれる。


目次は以下のとおり。

・はじめに——寺田寅彦との出会い
・第一章 「二十世紀の豫言」と現代
・第二章 寺田寅彦が提唱した新しい科学
・第三章 技術と戦争を巡って
・第四章 科学・科学者・科学教育
・第五章 自然災害の科学
・第六章 科学と芸術
・第七章 寅彦と宇吉郎、そして現代
・注
・あとがき


本書には寅彦の文章から多数の引用が織り込まれている。そのなかから一文だけここにも引いておきたい。

教育でも機関が不完全で不便な時代に存外真剣な勉強家が多くて、あまりに軽便に勉強のできる時代には、また存外その割に怠け者が多いようなものである



なお、寺田寅彦の全集はこれまでに数次刊行されているが目下の最新版は『新版 寺田寅彦全集』(第I期全17巻、第II期全13巻、岩波書店、1996-1999)。一家に一セットそろえて愛読されたい。というのも大変なことなので、手軽に読めるものとして、岩波文庫にはいっている寺田寅彦随筆集』(全5巻、小宮豊隆編、岩波文庫緑37-1〜5、岩波書店、1947/02-1948/11、amazon.co.jp)をお薦めしたい。


今年は寅彦没後70年。


早稲田大学国際教養学部 > 池内了
 http://www.waseda.jp/sils/jp/about/faculty/ikeuchi_satoru.html


青空文庫 > 寺田寅彦
 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person42.html
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