★川口喬一『昭和初年の『ユリシーズ』』(みすず書房、2005/06、amazon.co.jp)
本書は、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce, 1882-1941)の『ユリシーズ』(Ulysses)(1922)が、ヨーロッパの片隅からはるばる東の果ての島国へたどり着き、かの地でたどった紆余曲折を資料の渉猟から浮かび上がらせた労作。本書に目を通すと、文学史的な関心を満足させるのみならず、一冊の小説がもちうる力の大きさ、起こしうる混乱の大きさ(?)――ヨーロッパの片隅で刊行された一篇の小説がどのように海を渡り異国の人びとに影響を与え熱狂させたのか――を改めて教えられるという意味でもすこぶる興味深い。
本書によれば、ジョイスを日本に最初に紹介したのは、イサム・ノグチの父としても知られる詩人・野口米次郎(のぐち・よねじろう, 1875-1947)の功績である。彼は欧州訪問の一環として行ったイェイツとの会見で、同席したエズラ・パウンド(Ezra Weston Loomis Pound, 1885-1972)と出会う。パウンドは、よく知られているようにジョイスの作品を欧米に紹介するにあたって強力な支援者として働いた人物のひとりである。そのパウンドの後押しでジョイス作品を掲載していた雑誌『エゴイスト』に野口も作品を寄稿するようになる。野口はこの交流から得られる情報を使って国内の雑誌『学鐙』——丸善の読書雑誌で、この頃、内田魯庵が編集を担当——でジョイス紹介の文章「画家の肖像」を寄せる。
こう乱暴に要約した経緯を概観するだけでも、そこにはさらにたくさんのエピソードが満ちていることがうかがわれよう。しかし野口による日本へのジョイス紹介は序の口である。中心となる話題は、『ユリシーズ』がどのようにして日本語にうつされ受容されていったかというその経緯だ。
杉田未来(高垣松雄)、土居光知、堀口大学らによる受容(第二章)から、『ユリシーズ』といえば「「意識の流れ」という書法をとりいれた」という紋切り型の起源(作品そのものを自分の目で読めば必ずしもそれだけではないことがわかる)、伊藤整らによる翻訳(第三章)、西脇順三郎、春山行夫の評論(第四章)、岩波文庫版と第一書房版(伊藤整らの翻訳)の競合(第五章)と、国内での議論が(すく)ない状態で、各訳者・論者がどのように同書を訳し、論じたのか、その果敢な試みの数々がときに原文と訳文の比較を通じて検討にかけられる。こうした議論は、ジョイスへの関心から読めるのはもちろんのこと、海外思潮の受容を大きな動力源のひとつとしてきた日本文学史の一側面を検証するうえでも教えられることが多い。
また、第六章では、アメリカでは禁書の扱いを受けて「猥褻文書」としての名を高めた『ユリシーズ』が日本で巻き起こした発禁騒動に筆を割き、翻訳の困難、受容の困難という、作品にとって二重の苦難を論じてエピローグへといたる。
この、『ユリシーズ』の軌跡を辿ってみるとき、読者はただ一冊の小説を「読む」という営為の不可解さにあらためて注意を向けられると同時に、「どれひとつ自分も読んでみよう」という気持ちをそそられるのではないだろうか。幸い(?)、その後も果敢な翻訳者たちが後につづき、目下も何種類かの邦訳が刊行されている(上掲書影参照)。
*表題は、ジャック・デリダ『ユリシーズ グラモフォン——ジョイスに寄せるふたこと』(Ulysse gramophone)(合田正人+中真生訳、叢書・ウニベルシタス723、法政大学出版局、2001/06[1987]、amazon.co.jp)から採った。
⇒The James Joyce Centre(英語)
http://www.jamesjoyce.ie/home/
⇒The Internet Ulysses(英語)
http://www.robotwisdom.com/jaj/ulysses/