ここのところ立て続けに興味深い映画書が刊行されている。順にメモランダムを作成していこう(もちろん、映画書以外も)。
★カレル・チャペック『チャペック映画術』(田才益夫訳、青土社、2005/10、amazon.co.jp)
チェコの多才な作家カレル・チャペック(Karel Čapek, 1890-1938)の邦訳オリジナル編集による映画論集。全3部構成で、映画論12編、小編シナリオ、長編シナリオ2本を収録している。
本書に収録された映画論は、1910年からチャペックが歿する1938年までの幅をもっている。この時期のチェコにおける映画と映画論についてはほとんどなにも知らないのだが、ものの本によれば、チェコスロバキア最初の映画監督ヤン・クリゼネツキー(Jan Krizenecky, 1868-1921)がパリで買ってきた撮影機兼映写機「シネマトグラフ・リュミエール」で撮った最初の短い劇映画を公開したのが1898年(ただし映画館ではなく建築と工学の展覧会で上映されたようだ*1)。旧チェコスロバキアの首都プラハに最初の映画常設館ができたのが1907年。チャペックは本書に収録されたもっとも日付の古い文章「活動写真」(1910/10/04)にこう書いている。
〔演劇は〕四世紀のあいだを通して、舞台のなかの現実か、あるいは客席のなかの幻想かをめぐる戦いを続けてきた。いま、四年の経過のうちに映画はこの四世紀を追い越して、あらゆる現実性を支配した。幻想を支配し、喜劇や悲劇をも支配し、形式も動きのドラマ性も、そして将来には言葉も音楽をも支配する力をもつだろう。
(同書、10ページ)
この4年という歳月は、丁度上記した常設映画館の出来た1907年を起点としていることがわかる。つまり、チャペックはプラハの映画シーンの立ち上がりからこの「新しい」表現形態に注意していたのだろう。同文章にはこんなくだりもある。
これらのあらゆる技術的可能性に装備され、あらゆる自由と無制約にたいする希望にいっぱいになりながら映画は天才の出現を待っている。やがて私たちは最高に残酷な悲劇的物語、もっと倒錯した空想によって生み出され、そして悪魔的厳しさや趣向をもってリアル化された物語を見るだろう。
(同書、12ページ)
1910年といえば、チャペックはようやく20歳(といっても早熟のチャペックは14歳で最初の詩を、15歳で最初の評論を週刊誌に寄稿している)。これから本格化するであろう映画の展開に胸を高鳴らせているその期待感が伝わってくる(こんな期待感を、近年私たちはもった試しがあっただろうか?)。
本書に編まれた映画論は、前代未聞の表現に遭遇した初期の映画論者たちと同様に、映画の可能性と限界、既存の諸分野(文学や演劇)との違いを手探りで考えてゆく開拓的なおもしろさが溢れている。たしかに21世紀の眼からみればいくぶん素朴といえなくもない趣きもあるけれど、すでに評価が定まっていたり、権威ある論者によるお墨付きの作家や作品をなんの危険もなく研究の対象に選び批評するのとはまったく異なる地平で行われるこの思考の痕跡には、現在にまで通じる、つまりは映画の本質を普遍的にとらえた評言もあり、あらためて映画を観るということを考えさせられもする。
などといえば、軽快簡潔に書かれたチャペックの散文に重石をつけることになるかもしれないが、映画と言葉の関係が気になる向きは読んでおいて損はないものだと思う。
同書の目次は以下のとおり。
■1:チャペックの映画論
・「活動写真」(1910/10/04)
・「活動写真の様式」(1913/6)
・「アメリカン・ワールド・フィルム・カンパニー(A.W.F.Co.)」(1917/04/26)
・「映画のドラマツルギー」(1918/01/02)
・「フェアバンクスの微笑」(1923/10/09)
・「チャップリンのリアリズム」(1925/01/02)
・「目の世代」(1925/02/22)
・「映画の限界」(1927/11/18)
・「新時代の先駆者」(1937/04/08)
・「新しい時代のチャップリン」(1928/02/22)
・「映画対演劇」(1938/06/12)
・「おとぎ話と現実」(1938/06/12)
■2:小編シナリオ集
・「電車を追いかける人ほか」(1929/06/23)
・「タキシードを着た男」(1936/05/24)
■3:チャペックの映画台本
・『金の鍵』(サイレント映画)
・『絞首台のトンカ(トンカ・シベニツェ)』(トーキー)
管見では、邦訳されたチャペックの映画論としては、本書のほかに『新聞・映画・芝居をつくる』(『カレル・チャペック・エッセイ選集』、飯島周訳、恒文社、1997/12、amazon.co.jp)に収録されたものがある。チャペックの小説やエッセイは多数が翻訳されている。
⇒成文社 > カレル・チャペック > 日本語で読めるチャペック兄弟の本
http://www.seibunsha.net/capek/c01.html
また、イヴァン・クリーマによるカレル・チャペックの評伝『カレル・チャペック』(田才益夫訳、青土社、2003/07、amazon.co.jp)も田才氏によって邦訳書が刊行されている。
そういえば、チャペックと同時代のプラハの人といえばフランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883-1924)が思い出される。ハンス・ツィシュラーの『カフカ、映画へ行く』(瀬川裕司訳、みすず書房、1998/08、amazon.co.jp)はカフカが観た映画を追跡した書物で、同時代のプラハ映画事情を知る一助となるかもしれない。
⇒田才益夫のホームページ
http://www.tasai.jp/
訳者田才益夫氏のウェブサイト
⇒青土社
http://www.seidosha.co.jp/
⇒成文社
http://www.seibunsha.net/index.html
『チャペック小説選集』(全6巻)の版元
⇒Who's Who of Victorian Cinema > Jan Krizenecky(英語)
http://www.victorian-cinema.net/krizenecky.htm
映画のパイオニアたちにスポットを当てたサイト