一台のプリンターがあれば


使っているプリンターが故障した。


相棒とのミーティングに出かける寸前につくっておいたメモをプリントしようとしたら、プリンターはふつうに印刷しているふりをするのに印字されない。ぬぬ?


インクがないのだろうか、とインク・カートリッジをかえるも症状はかわらず。これはどうやらプリントヘッドが寿命になったらしい。


#というか、必要な印刷物を当日出かける寸前に印刷するのをやめなくては。でもたいていの場合直前まで手をいれているのだから仕方がない。って誰にエクスキューズしてるんだ。


ではというので、プリントヘッドを入手しに電器店へ出向く。


探すことしばし。目的のブツがあった。価格は約9000円。書物が9000円ならたじろがないが、プリンターの消耗品が9000円というのにはたじろいでしまうワタシ。だってフレイザー金枝篇』(国書刊行会)が一分冊買えてしまうではないか(ピエール・ベール著作集は無理だとしても)。


与太はともかく。数年前なら迷わず購入したところだが、昨今プリンターは安いのである。見よ、売り場には10000円で買えてしまうプリンターまである始末だ。


さらに。あと5000円も出せば、スキャナー/コピー機能つきのプリンタ(しかも各種メディアをさすスロットまで備わっている)も手にはいる。なぜかくもプリンターは安いのか? と問いたい。


ちなみに今使っているプリンターはまだプリンターとスキャナーが分離していた時代の代物で、印刷するよりほかに能はない。


くはは、と迷うこと五秒。スキャナー/コピー機能つきマシンを買うことに決定した。


ちかくにいた店員氏に機能の不明点を確認し、疑問を解消したところで支払い、受け取り、持ち帰った。


もうこれからは図書館で借りた資料を家でコピーできるんである。持ち歩きたくない巨大で重たい本も、読みたいところだけコピーすればいいんである。アジビラや地下出版も自由自在なんである。どんな文書でもおもいのままである。


それに比べたら多少、造型が甘いのは気にならない。バリなどは自分できれいにけずりとればいい。デザインが多少おかしいのも目をつぶろう(そもそもまともなデザインのプリンターが存在しないのだし)。


ヨリス・イヴェンスヴェトナム戦争を取材したドキュメンタリー映画のなかで、地下にもぐったヴェトナムの戦士たちが、破壊した米軍戦闘機からとれる部品を使ってつくられた印刷機を廻している場面が思い出される。「こうした部品があれば印刷機をつくることができます。印刷機が一台あれば、新聞をすり、人々におこりつつあることを知らせることができます」


がぜんやる気がわいてきたのである。