2024年これからの予定

2024年の予定を記します

*リンクは、当ブログの記事へのものです。

■イヴェント

・08/03:西村靖敬+鳥澤光+山本貴光「〈ルリユール叢書〉(幻戯書房刊)から世界文学の翻訳を考える――文學の仲介者ヴァレリー・ラルボーとともに」(紀伊國屋書店本店)

・08/28:斎藤哲也+吉川浩満+山本貴光「個人的なことは哲学的なこと」(ゲンロンカフェ)

■執筆

・【寄稿】宮崎智之『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』(ちくま文庫、2024年6月)解説

・【寄稿】「共に書く、友と書く」(『現代思想』2024年6月号、青土社)

・【寄稿】「何者でもなく心を遊ばせる時間」(『ユリイカ』2024年6月号、青土社)

・【連載】「アーカイヴとウェブ上の記憶をめぐる作業日誌」(DISTANCE.media)

・【翻訳】DK社編『哲学ってなんだろう?』(拙訳、東京書籍、2024/03/08)

・【解説】エリック・ジマーマン『遊びと創造』(高崎拓哉訳、BNN、2024/04/17)

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『渓嵐拾葉集』を読みたい

『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』を読んでみたい。

そう思ったのは、深夜にちくま学芸文庫の棚を眺めるうちに、佐藤弘夫『鎌倉仏教』(ちくま学芸文庫サ30-1、筑摩書房、2014;レグルス文庫、第三文明社、1994)に目が留まり、その目次に「最高学府としての比叡山」という項目を見つけ、その前後を読み、次のような一節を目に入れたからだった。

 比叡山は、たんに仏教に関する学問の宝庫であっただけではない。その荘園領主化にともなって、寺院内には医学や天文暦学・農業・土木など世俗的な知識と技術が発達し、それぞれの道についての専門僧が出現してくるのである。

 光宗によって十四世紀前半に編集された『渓嵐拾葉集』は、中世の比叡山におけるさまざまな知識や技術の実態を知る上で、好箇の史料である。『渓嵐拾葉集』は、当時の叡山に伝えられていた故事や伝承・諸説を整理し記録した叢書という形をとっている。その内容は日本天台の教義や作法から、算術・工芸・天文・医学・歌道まで多岐にわたっている。それゆえ、この書をひもとくことによって、比叡山にどれほど多様な分野の知識が伝えられていたかをうかがい知ることができるのである。

(同書、pp. 31-32)

『世界大百科事典』(平凡社、JapanKnowledge版)で『渓嵐拾葉集』の項目を見ると、「本書は,《阿娑縛抄(あさばしよう)》《覚禅抄》と並ぶ,中世の仏教教学集成の代表的な書である。全体は,顕,密,戒,記録,医療,雑記の6門に分けられ,さらに各部門を細分して森羅万象を説明しようとした百科全書的な性格を持っている。」(大隅和雄)と見える。

また、『国史大辞典』(吉川弘文館、JapanKnowledge版)の『渓嵐拾葉集』の項目には、「本書は、のちに散失するに至ったが、元禄十一年(一六九八)、覚深が百一巻を収集し、目録を作成した。現在、『(大正新修)大蔵経』七六に収められているものは、元禄年間の書写になる叡山真如蔵本と東京浅草寺蔵本で、百十三巻に区分されている。覚深本との間に、若干の出入りの存するところである。」(田村芳朗)とあり、さしあたり『大正新修大蔵経』を見ればよいことを教えられる。

関連書がないかとAmazon.co.jpで検索をかけ、田中貴子『「渓嵐拾葉集」の世界』(名古屋大学出版会、2003)があることを知るも、古本はなかなかの値段。再版か法蔵館文庫あたりで出してくださらないだろうか、などと思ったするのは必要が生じた読者の身勝手な願いである。

念のためとTwitter(現X)を検索してみると、当の田中貴子先生が、まさにそういうことを知りたいのよ、という投稿をしてくださっていた。

「大蔵経」や「神道大系」も一通りは確認せんければなあと思うものの、巻数が多いので何をどうすればよいのかと途方に暮れながら、とりあえずはというので前者については先頃『大正新脩大蔵経総目録』(大蔵出版、2007)を手にしたのだった。オンラインで公開されており、検索しながら拾い読むのはそれで用が足りるとして、通読・精読したい場合には、いまのところ本に優る道具はないと感じてもおります。つべこべ言わずに読みましょう。うん。

 

関連ウェブサイト

★名古屋大学出版会 > 田中貴子『「渓嵐拾葉集」の世界』
 https://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0472-9.html

★大正新修大蔵経テキストデータベース
 https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/

★精興社 > 『神道大系』総目録
 https://sbs.seikosha-p.com/shintoh/lineup.html

★CiNii > "渓嵐拾葉集"の検索結果
 https://www.cir.nii.ac.jp/all?...
★J-Stage > "渓嵐拾葉集"の検索結果
 https://www.jstage.jst.go.jp/result/global/...

カテゴリー・ミステイク(違)

Hatena Blogのバグなのか、私が使っているブラウザとの相性によるのか分からないけれど、記事に「カテゴリー」をつけようとすると、うまくいかないという現象が頻発している。

記事を書いてから、「カテゴリー」を入力するフォームに、"work""book"などを入力する。続いて"哲学の劇場"などと2バイト文字でもカテゴリーを入力しようとすると、そこで「カテゴリー」入力欄全体が真っ白になって入力できない。

原因は不明だけれど、しばらく前からこの現象が起きるので、記事にカテゴリーをつけられずにいる。

「学術5千年マップ」を空想する

ここしばらく、過去5千年の学術の歴史ということをぼんやりと考えている。

ここで5千年というのは、人類が文字を使った痕跡が残っている時代から現在までおよそというくらいのつもり。さらに古い文字史料が見つかれば、この数字はさらに大きくなる。

「学術」というのも手がかりのようなものに過ぎない。「学問」と「技芸術」、Sciences and Artsの訳語であり、これを2文字に省略したのが「学術」だとすれば、その範囲は結構広い。

また、「学術」といえば、いまならもっぱら大学で営まれるものという印象もあるかもしれないが、ここでは、そうした制度が存在しない時代や場所についても考えてみたい。そもそも現在のヨーロッパに起源をもつ大学のような学術を担う組織が広まったのも、人類の歴史というスパンで見ればそんなに古い話ではない。

そうなると、その場合の「学術」とはなにを指すのかということにもなるが、これをきっちり定義して臨むというよりは、歴史のさまざまな場所を訪ねて、そこで行われていた営みのなかに、類似するなにごとかを見出してみたい。その結果、最終的に「学術」という言葉を放棄して、別の呼び方をするのでも構わないと思っている。

それなら「思想史」くらいにしておくとよさそうにも思う。ただ、「思想史」とは「思想」の「歴史」であり、「思想」とは、言い換えれば思考されたことであり、それはもっぱらのところ人の精神活動を指している。私としては、人の精神活動もさることながら、それを可能にしている制度や道具といった物理環境、技術環境、あるいは社会環境のような要素も含めて考えたいので、「思想史」だとちょっと足りない感じがする。

これを踏まえて角度を変えて考えると、まず地球の歴史というものがある。地球も含む宇宙の歴史を考えてもよいのだけれど、目下は地球の人類の営みを眺めてみようという心づもりなので、いったんは地球の歴史でよい。

地球の歴史とは、人間の活動だけでなく、人間が暮らしている自然環境や、人間がつくる社会環境などをすべて含む、地球に生じた変化の総体を念頭に置いている。もちろん、そのような地球史の全体像は誰にも分からない。なぜなら、そのほとんどは痕跡があるのかないのかも分からないまま消えていったからだ。

ここで肝心なのは、人間の社会だけでなく、自然環境も視野に入れて歴史を考えるというところ。ブローデルの『地中海』のように、とまでは言わないまでも、理念としては人間と社会だけを見るのではなく、その条件である自然も視野に入れておきたいというつもりである。

そのような意味での地球史のうち、過去5千年といえばごくごく短い期間である。その五千年のあいだにも、地球上では誰にも把握しきれないほどの変化が起きてきただろう。ここで考えたい学術史とは、そうした全変化のうち、なんらかの痕跡、人間が世界を理解しようとして知識や創作を行った痕跡に関心を向けて、これを整理・把握する試みである、とこれを書きながら思った。

私が好む見方を使えば、環境とそれを構成する要素同士の関係の全体をも視野に入れたエコロジカル(生態学的)な学術史となろうか。

そんなことは到底不可能であるけれど、不完全でもよいから、この無限遠に据えた目標に向かって漸近できまいかと考えている。というのは、20年前なら文字通りの絵空事だったわけだが、現在はインターネット上で世界各地の図書館や大学をはじめとする組織が構築・公開している各種のアーカイヴがある。

これを材料として、ある程度はアルゴリズムによる統計処理や自動処理を用いつつ、材料を入手できる限りの範囲では、こんなふうになっているという5千年の学術史の姿を描いてみたい、てなものである。

現時点での妄想のようなものに過ぎないが、デジタルゲームをつくる際、一種の世界を構築するわけだが、なにかそれと似たようなモデルをつくり、ユーザーが触って体験できるようなものにしたい。

かれこれ四半世紀くらい、そんなことをふにゃふにゃと考えるふりをしてきたわけだが、そろそろちょっぴりなりともなにかの形にしてみたいと思ったりしているのだった。

 

書評:アレックス・ライト『世界目録をつくろうとした男』

「日本経済新聞」2024年7月13日号に、アレックス・ライト『世界目録をつくろうとした男 奇才ポール・オトレと情報化時代の誕生』(鈴木和博訳、根本彰解説、みすず書房、2024)の書評を書きました。(リンク先は要ログイン)

ポール・オトレ(1868-1944)は、デジタルコンピュータ以前の世界で、すべての出版物を元にした膨大な「世界目録」という知識のカタログの作成を続け、これを中核とした施設や果ては都市まで構想した人でした。その発想は、世界平和の実現という理念と結びついています。

このたびみすず書房から翻訳が刊行されたアレックス・ライトの『世界目録をつくろうとした男』(鈴木和博訳)は、そんなオトレという人物の生涯と仕事の全体像を縦糸として、折々の協力者たちや社会情勢を横糸に描かれた評伝です。

原書はAlex Wright, Cataloging the World: Paul Otlet and the Birth of the Information Age (Oxford University Press, 2014)です。情報をどう整理するかということに関心がある向きは、いっそう得るところの多い本かと思います。

関連す本とし、ル・コルビュジエ&ポール・オトレ『ムンダネウム』(山名善之、桑田光平訳、筑摩書房、2009)も邦訳があります。オトレが構想した国際情報組織「ムンダネウム」の概要と、ル・コルビュジエによるその建築計画などを収めた本です。

オトレは、先日刊行されたピーター・バーク『博学者』(井山弘幸訳、左右社)にも、パトリック・ゲデス(ゲッデス)、オットー・ノイラートとともに博学者の一人として登場しています。ゲデスとノイラートは、いずれもオトレと交流をもち、それぞれに断片化した知識の統合について考えた人でした。

『世界目録をつくろうとした男』の最後の二つの章は、オトレ以後の状況として、インターネットのはじまりから、その主要なアイデアや技術について整理しています。ネットは便利な反面、商業利用が始まって以来、なんでもありの混沌の巷と化しており、同書はその辺について考える手がかりにもなります。

www.nikkei.com

www.msz.co.jp

 

 

「記憶という庭を世話する」(DISTANCE.media)

ドミニク・チェンさんとともに編集委員を務めているウェブメディア「DISTANCE.media」で「記憶のケア」という新しい特集が始まります。

その巻頭言のようなエッセイ「記憶という庭を世話する」を書きました。

高橋宗正さんの写真とともにお楽しみいただければ幸いです。

distance.media

また、同特集の記事として、2024年3月に開催したイヴェント「記憶のデザイン」で行った柴崎友香さんとの対談のレポートも掲載されました。文章は、宮本裕人さん、写真は上記と同じく高橋宗正さんです。

同記事のなかに対談の動画そのものへのリンクも貼られています。

distance.media

近く、同イヴェントで谷川嘉浩さんとドミニク・チェンさんの対談の様子もレポートされる予定です。どうぞお楽しみに。

そうそう、DISTANCE.mediaはおかげさまで開設から1年が経ちました。まだまだ実装したいアイデアがあれこれありますので、ときどき訪れてご覧いただければ幸いです。

月替わりでトップページを飾るd Viewというコーナー、7月は津上みゆきさんの作品を展示しています。こちらもご注目くださいませ。

distance.media

 

「おこしやす⁉西洋古典叢書」で國方栄二先生と話しました

京都大学学術出版会のYouTubeチャンネルの番組「おこしやす⁉西洋古典叢書」にお邪魔して、國方栄二先生とお話ししました。

「西洋古典叢書」とは、古代ギリシア・ローマの古典作品を原典から日本語に翻訳して提供するシリーズです。これまで160巻以上が刊行されてきました。私は創刊時からのファンで、ずっと購読しています。

そんな様子を察知してくださったのか、同編集部からお声かけをいただいて、今回の対談となったのでした。

「おこしやす!西洋古典叢書」の[人]編第3回「西洋古典 気になる名言」というテーマで、同叢書から生まれた『西洋古典名言名句集』を中心にお話ししています。

お楽しみいただけたら幸いです。

www.youtube.com

www.kyoto-up.or.jp