2024年8月3日(土)に、紀伊國屋書店新宿本店のアカデミックラウンジで、「〈ルリユール叢書〉から世界文学の翻訳を考える」と題したトークイヴェントに登壇しました。
幻戯書房が2019年に創刊した海外文学の翻訳シリーズ〈ルリユール叢書〉が50点に達したことを記念するイヴェントでもあります(現在は55冊刊行)。
イヴェント会場の紀伊國屋書店新宿本店アカデミックラウンジでは、〈ルリユール叢書〉のブックフェアも開催中です。普段はなかなかまとめて目にする機会の少ないこの叢書が一堂に会しています。
また、フェアの棚では「ルリユール叢書刊行50点突破記念小冊子(非売品)」も配付されています。同叢書の訳者たちが、自分の担当した本の紹介と、関連する本のおすすめが収められています。部数に限りがあるようです。
さて、トークイヴェントの出演は、西村靖敬さんと鳥澤光さんと私の3名、それと司会進行として〈ルリユール叢書〉を企画編集している中村健太郎さんです。
西村靖敬さんは、フランス文学をご専門とする研究者で、〈ルリユール叢書〉の1冊として刊行されている、ヴァレリー・ラルボー『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』の訳者でもあります。ご著書に『文学の仲介者ヴァレリー・ラルボー』(大学教育出版、2017)、『1920年代パリの文学』(多賀出版、2001)などがあります。
また、鳥澤光さんは、ライター/編集者として、さまざまな雑誌やメディアでご活躍中で、文芸方面では『文學界』(文藝春秋)にて新人小説月評も担当しておいででした。私は、自分では目に入らない面白いマンガや小説を、鳥澤さんの投稿などから教えてもらっています。
今回のイヴェントでは、ヴァレリー・ラルボーを中心に、文学作品の翻訳についてあれこれと話を伺いました。西村さんは、大学のフランス語の授業でラルボーの掌篇に触れたとのことで、当時のテキストを持参して見せていただきました。
ラルボーは、母語であるフランス語に加えて、英語やスペイン語をはじめ、いくつかの言語を使ったポリグロットでした。複数の言語にまたがって文芸を中心にものを読み書きし、自ら翻訳した作品も少なくありません。
また、目利きとしては、まだ世評が定まる前のジェイムズ・ジョイスを高く評価して、『ユリシーズ』刊行前に、ジョイスの詩や小説がもつ面白さや新しさを語るばかりか、作家を支援し、『ユリシーズ』のフランス語訳にも手を貸しています。ラルボーのジョイス論は、丸谷才一編『現代作家論 ジェイムズ・ジョイス』(早川書房、1974)の巻頭に入っています。これを読むと、すぐにでもジョイスの文章を読みたくなります。
そんなラルボーの言語感覚や翻訳観が面白くないはずはなく、実際、『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』に集められた翻訳論を中心としたエセーの数々は、文芸や言語表現がもつ力とその秘密を垣間見させてくれます。
その書名からは少々分かりづらいのですが、ヒエロニュムスとは、4世紀から5世紀にかけて活動したキリスト教の教父の1人です。彼の仕事では、とりわけ『ウルガタ聖書』と呼ばれるラテン語訳聖書の編集・翻訳がよく知られているでしょうか。下の写真は、この際自分でも吟味してみたいと思い立って手にした『ウルガタ 第5版』(ドイツ聖書協会、2007)です。古いものでよければ、Internet Archiveその他で閲覧できると思います。
ヒエロニュムスはこの聖書をつくる際、旧約についてはヘブライ語の原典からラテン語に訳したと言います。当時の聖書やキリスト教方面での翻訳がもっていた意味については、加藤哲平『ヒエロニュムスの聖書翻訳』(教文館、2018)に詳しく論じられており、これがまたたいそう面白く興味が尽きません。
イヴェントでも、その辺りのことを少し話したり、問いかけたりしてみました。
また、いまではあまり読まれなくなっているラルボー作品の面白さについても、『A. O. バルナブース全集』(上下巻、岩崎力訳、岩波文庫)他についておしゃべりできたのもうれしいことでした。目下、新刊書店で手にできるラルボーの翻訳書は、この岩波文庫と『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』くらいでしょうか。
岩波文庫にはもう1冊、やはり岩崎力訳で『幼なごころ』が入っていますが、これは残念ながら目下は品切れ中。重版されるといいなと思います。
イヴェントでは、西村さんが作成したラルボーの作品リストが配られました。
私は『聖ヒエロニュムスの加護のもとで』の面白さを、まだ読んでいないみなさんになんとかお伝えしたいと考えて、引用集をつくったのですが、当初そこにコメントを加えることで、ただ抜粋しただけではない文書として会場のみなさんにお配りしようと思っていたところ、コメントを書く時間を捻出できないまま当日になってしまったのでした。5ページにわたる引用集には、他に『罰せられざる悪徳・読書』(岩崎力訳、みすずライブラリー、みすず書房、1998)や、上のほうで紹介した「ジェイムズ・ジョイス」(渡辺一民訳)、加藤哲平『ヒエロニュムスの聖書翻訳』などからの抜粋も並べてあります。
というので、配付は諦める代わりに当日ディスプレイに表示しながら話しました。一例だけここにもお示ししてみましょう。
翻訳には非常に純粋かつ大いなる喜びがある。というのも、気に入った作品を翻訳するということは、単なる読書によって可能となるよりもさらに深く作品に入り込むことであり、より完全にそれを所有することであり、いわばそれをわが物とすることだからである。
(「Ⅲ 翻訳者の喜びと利得」p. 77)
今回のイヴェントに向けて、改めて『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』を読み返してみて、「そうだ、ラルボーが言うように、気に入った作品(あるいは気になっている作品)を翻訳してみよう」という気分になり、このところよく味わいたいと思っているあれこれの文章の原文をノートに書き写し、ゆっくりと翻訳してみるということをしているのでした。
なお、〈ルリユール叢書〉については、以前「じんぶん堂」に「〈ルリユール叢書〉の楽しみ」という文章を書いたことがあります。そもそもどんな叢書なの? という方はご参考になるかもしれません。
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