ここしばらく、過去5千年の学術の歴史ということをぼんやりと考えている。
ここで5千年というのは、人類が文字を使った痕跡が残っている時代から現在までおよそというくらいのつもり。さらに古い文字史料が見つかれば、この数字はさらに大きくなる。
「学術」というのも手がかりのようなものに過ぎない。「学問」と「技芸術」、Sciences and Artsの訳語であり、これを2文字に省略したのが「学術」だとすれば、その範囲は結構広い。
また、「学術」といえば、いまならもっぱら大学で営まれるものという印象もあるかもしれないが、ここでは、そうした制度が存在しない時代や場所についても考えてみたい。そもそも現在のヨーロッパに起源をもつ大学のような学術を担う組織が広まったのも、人類の歴史というスパンで見ればそんなに古い話ではない。
そうなると、その場合の「学術」とはなにを指すのかということにもなるが、これをきっちり定義して臨むというよりは、歴史のさまざまな場所を訪ねて、そこで行われていた営みのなかに、類似するなにごとかを見出してみたい。その結果、最終的に「学術」という言葉を放棄して、別の呼び方をするのでも構わないと思っている。
それなら「思想史」くらいにしておくとよさそうにも思う。ただ、「思想史」とは「思想」の「歴史」であり、「思想」とは、言い換えれば思考されたことであり、それはもっぱらのところ人の精神活動を指している。私としては、人の精神活動もさることながら、それを可能にしている制度や道具といった物理環境、技術環境、あるいは社会環境のような要素も含めて考えたいので、「思想史」だとちょっと足りない感じがする。
これを踏まえて角度を変えて考えると、まず地球の歴史というものがある。地球も含む宇宙の歴史を考えてもよいのだけれど、目下は地球の人類の営みを眺めてみようという心づもりなので、いったんは地球の歴史でよい。
地球の歴史とは、人間の活動だけでなく、人間が暮らしている自然環境や、人間がつくる社会環境などをすべて含む、地球に生じた変化の総体を念頭に置いている。もちろん、そのような地球史の全体像は誰にも分からない。なぜなら、そのほとんどは痕跡があるのかないのかも分からないまま消えていったからだ。
ここで肝心なのは、人間の社会だけでなく、自然環境も視野に入れて歴史を考えるというところ。ブローデルの『地中海』のように、とまでは言わないまでも、理念としては人間と社会だけを見るのではなく、その条件である自然も視野に入れておきたいというつもりである。
そのような意味での地球史のうち、過去5千年といえばごくごく短い期間である。その五千年のあいだにも、地球上では誰にも把握しきれないほどの変化が起きてきただろう。ここで考えたい学術史とは、そうした全変化のうち、なんらかの痕跡、人間が世界を理解しようとして知識や創作を行った痕跡に関心を向けて、これを整理・把握する試みである、とこれを書きながら思った。
私が好む見方を使えば、環境とそれを構成する要素同士の関係の全体をも視野に入れたエコロジカル(生態学的)な学術史となろうか。
そんなことは到底不可能であるけれど、不完全でもよいから、この無限遠に据えた目標に向かって漸近できまいかと考えている。というのは、20年前なら文字通りの絵空事だったわけだが、現在はインターネット上で世界各地の図書館や大学をはじめとする組織が構築・公開している各種のアーカイヴがある。
これを材料として、ある程度はアルゴリズムによる統計処理や自動処理を用いつつ、材料を入手できる限りの範囲では、こんなふうになっているという5千年の学術史の姿を描いてみたい、てなものである。
現時点での妄想のようなものに過ぎないが、デジタルゲームをつくる際、一種の世界を構築するわけだが、なにかそれと似たようなモデルをつくり、ユーザーが触って体験できるようなものにしたい。
かれこれ四半世紀くらい、そんなことをふにゃふにゃと考えるふりをしてきたわけだが、そろそろちょっぴりなりともなにかの形にしてみたいと思ったりしているのだった。