2007-01-01から1年間の記事一覧
9月22日より、印刷博物館(東京都文京区)にて、企画展「百学連環——百科事典と博物図譜の饗宴」がはじまっている。 「百学連環」とは、西周(にし・あまね, 1829-1897)による造語で、ギリシア語のεγκυκλιοσ παιδειαに由来する……と、展覧会のタイトルにも使…
日経ビジネスオンラインの「毎日一冊! 日刊新書レビュー」のコーナーに書評を書いています。 小さな新書も、それぞれがその先にある大きな問題やフィールドへのリンクみたいなもので、関連する書物や研究などに踏み込んでいくと(当然のことながら)それぞ…
昨今、スパムコメントが多いため、コメント欄を一時的にはてなユーザーに限定しています。あしからず。
先ごろ、『フーコーの後で——統治性・セキュリティ・闘争』(芹沢一也+高桑和巳編著、慶応義塾大学出版、20076/08、ISNB:4766414047)を上梓された芹沢さんが主宰する「SYNODOS」では、こんな企画が予定されているようです。 Semminar 08 五十嵐太郎+芹沢一…
吉川浩満(id:clinamen)とともに、図書新聞(2840号、2007/10/6号)にB.ガーランド『脳科学と倫理と法——神経倫理学入門(Neuroscience and tha Law)』(古谷和仁+久村典子訳、みすず書房、2007/07、ISBN:4622073153)の書評を寄稿しました。 脳指紋法のよ…
★バルテュス+セミール・ゼキ『芸術と脳科学の対話——バルテュスとゼキによる本質的なものの探求』(桑田光平訳、青土社、2007/05、ISBN:4791763394) Balthus + Semir Zeki, Quête de l'essentiel (Les Belles Lettres/Archimbaud, 1995) なんともかみ合わな…
ひょっとしたらこれから読もうとしている書物が、これまでにも何度か遭遇した、辛い記憶を自己憐憫で染め上げた〈セカイの中心で怨を叫ぶ〉文章であったらどうしよう、そんな不幸や絶望をきもちよく語る書物であったらどうしよう——長い遺書のようなこの書物…
ミシェル・フーコー(Michel Foucault, 1926-1984)の書物の魅力は、めくるめく読書体験をもたらす文章の力とともに、その問いの立て方にあるように思う。ある問いについてめぐらされた思考に触れるとき、第一の関門は読み手がそこで提出されている問いにど…
NBonlineというウェブサイトで「毎日1冊!日刊新書レビュー」という新刊新書書評のコーナーが始まった。 なんの因果か相棒(id:clinamen)ともどもこの書評に書評子として参加することになり、目下以下の2冊の書評を寄せたところ。 ★奥武則『論壇の戦後史——1…
「人間の精神は、体が触発される変容の観念を通してでなければ、 人間の体そのものを認識しないし、また体が実在することを知らない」 ――スピノザ『エチカ』第2部命題19(佐藤一郎訳) ひとは、自分の身体がなにをなすのかを知らない。というよりもむしろ、…
ヤブカラボウですが、四谷アート・ステュディウムでは、2007年度の受講生を募集中です(講義は04月20日より開始)。 同ステュディウムのカリキュラムの中に、「編集オルタナティヴ」という講義があります。これは、 「世界は一冊の美しい書物へと到るために…
ベンチに腰掛けて読書をしていたら、だれかが私の肩をたたく。なんだろうと思って見ると、先ほどから隣に座っていた見知らぬ男性。「ちょっといいですか?」それは、くっきりとした目鼻立ちをした青年で、灰色と碧色がまざりあったようなちょっと印象的な眼…
*「2006年の印象に残った書物」に追記したものと同じ内容です。同エントリーがやたらと長くなって更新箇所が埋もれがちなので、追記分を別途掲載する次第。 ★グレッグ・イーガン『ディアスポラ』(山岸真訳、ハヤカワ文庫SF1531、早川書房、2005/09、ISBN:4…
2007年01月03日の朝日新聞「モノサシ探し――文化の現場から(1)」(執筆=野波健祐さん)にコメントを寄せました。 昨今の古典人気(光文社古典新訳文庫やクラシック・ベスト100など)を受けて、教養や知のあり方について、どんなふうに眺めているか、そもそも…
【追記】2007年01月10日:07を追加。 【追記】2007年01月08日:06を追加。 【追記】2007年01月07日:05と「美術」の項目(書目のみ)を追加。01のコメントを加筆訂正。 【追記】2007年01月05日:04を追加。 2006年中に目を通した書物のなかから、印象に残っ…