ゆらぎの連環

9月22日より、印刷博物館(東京都文京区)にて、企画展「百学連環——百科事典と博物図譜の饗宴」がはじまっている。


「百学連環」とは、西周(にし・あまね, 1829-1897)による造語で、ギリシア語のεγκυκλιοσ παιδειαに由来する……と、展覧会のタイトルにも使われている「百学連環」の語釈をしてから話を進めようと思ったのだが、ここではたと困った。


先に言ってしまうと、西は英語のencyclopediaの訳語として「百学連環」というすごい訳語を造りだした。この英語は、ラテン語のencyclopaediaからきており、このラテン語はギリシア語のεγκυκλιοσ παιδειαを音写したものだ。つまり、さしあたっての語源はギリシア語にある。


以下はほんとうにどうでもよろしいことかもしれないが、この展覧会の図録を読んでいたらおもしろいことに気づいたので——本来はこの展覧会がすこぶる興味ある内容であった旨を報告したいのだがその前に——まずはそのことを書き留めておきたい。


それはなにかというと、いま述べたギリシア語についてである。


図録の冒頭に、同館館長の樺山紘一氏による「百学連環、もしくは西周の思想」という展覧会全体への導入となる文章が置かれている。


ここに、西の講義「百学連環」の冒頭が引用されている。それはこんな文章だ。

「英国の Encyclopediaなる語の源は、希臘のΕνκψκλοπαιδειαなる語にして、即其の辞義は、童生を周環の中に入れて教育なすの意なり、今之を訳して百学連環と額す」

(展覧会図録、p.7)


ここで注意しておきたいのは、ギリシア語のつづり。見慣れない方にはにわかにわかりづらいかもしれないが、この文の冒頭で書いたつづりと樺山氏が引用している文章のつづりを並べてみよう。


1) εγκυκλιοσ παιδεια
2) Ενκψκλοπαιδεια(図録のつづり)


文頭のε(エプシロン)が大文字か小文字かは措くとして、両者はかなり形がちがうことがおわかりになろうかと思う。


管見では2はちょっと見慣れないつづりなのだが、ひょっとしたら樺山氏が依拠したと思われる西周全集』ではそうなっているのかもしれない。


この「百学連環」という文章は、もともと西の講義を聴いていた聴講生のノートから起こされたものである。つまり、上記2のつづりはなんだか怪しいように見えるのだが、それは聴講生がノートに2のように書き、それが『全集』で忠実に拾われた可能性はある。これについては後日『全集』を覗いてみることにして、ここでは図録の巻末に置かれた、上記文章の英訳を見てみたい。


上記樺山氏の文章を英訳した文章の該当箇所はこうなっている。

"The word Encyclopedia in England has its origin in the Greek word, Enkyklopaideia (Ενκικλοραιδεια), the meaning of which is to give education to young people by bringing them into the cycle. Therefore, I gave this translation, "Hyakugaku Renkan"

(展覧会図録、p.5〔ただし巻末からのページ数〕)


さて、これを上記の二つのつづりと並べてみる。


1) εγκυκλιοσ παιδεια
2) Ενκψκλοπαιδεια(図録和文のつづり)
3) Ενκικλοραιδεια(図録英訳のつづり)


2と3のあいだでまた変化が起きている。ちがいは4文字目のψがιになっていることと、8文字目のπがρになっていること。2と3のつづりが一致していないのは誤植かもしれない。


ところで、この展覧会には「百学連環」の聴講生がとったノートと、西が講義のために書いたメモが展示されており、そのページが図録にも収録されている。しつこいようだが、その二つの資料に見えるギリシア語を見てみよう。まずは聴講生のノートから。

「英国のEncyclopadiaなる語の源は、希臘のΕγκυλοσπαιδειαなる語より来りて即其の辞義……」

(同展覧会図録、p.12〔聴講生のノートより〕)


一方講義をしている西先生の覚書にはこう見える。

Εγκυκλυσπαιδεια

(同展覧会図録、p.11〔西周の覚書より〕)


ついでにこの覚書を見ると、「κυκλοσ circle」「παιδεια to bring up child」とギリシア語・英語辞典を引いたのか、英語で意味が記されている。また、「παιδεια」の直前にはどうも「ρ」を書いて消したような跡が見える。想像力を逞しくすると「ραιδεια」と書きそうになって、書き損じにきづいて「παιδεια」としたのかもしれない。


さて、以上の聴講生のノートと西先生の覚書にあらわれるギリシア語を先のものと並べてみよう。


1) εγκυκλιοσ παιδεια
2) Ενκψκλοπαιδεια(図録和文のつづり)
3) Ενκικλοραιδεια(図録英訳のつづり)
4) Εγκυλοσπαιδεια(聴講生のノートのつづり)
5) Εγκυκλυσπαιδεια(西先生の覚書のつづり)


五つのつづりはすべて違っている。


さらに、たまさかすぐ手近にあったという以上の理由はないのだが、『明治文學全集 第3巻 明治啓蒙思想集』(筑摩書房、1967)に収録されている「百学連環(抄)」冒頭を見てみる。

「英国の Encyclopediaなる語の源は、希臘のΕνκυκλοπαιδειαなる語にして、即其の辞義は、童生を周環の中に入れて教育なすの意なり、今之を訳して百学連環と額す」

(同書、p.46)


これで六つ目のサンプルが得られた。


1) εγκυκλιοσ παιδεια
2) Ενκψκλοπαιδεια(図録和文のつづり)
3) Ενκικλοραιδεια(図録英訳のつづり)
4) Εγκυλοσπαιδεια(聴講生のノートのつづり)
5) Εγκυκλυσπαιδεια(西先生の覚書のつづり)
6) Ενκυκλοπαιδεια(明治文學全集版のつづり)


見事に全部異なっている。1と5以外は、リソースが聴講生のノートであり、どうやらノートには複数の版があるようなので、どれに拠ったかで表記が揺らいでいるのかもしれない。にしても、図録の和文(2)の4文字目の「ψ」とその英訳(3)の同じ位置にある「ι」は目立っている。


ところでここで、英語の言葉を語源から用例の歴史まで載せている英語辞書『Oxford English Dictionary』で「encyclopedia」を引いてみると、そこには概要このように書かれている。

後期ラテン語 encyclopaedia、偽ギリシア語εγκυκλοπαιδεια、これは誤った形(読み間違えと言われている)〔中略〕εγκυκλιοσ παιδεια……

(電子版OED ver. 3.1より)


例によって並べるとこうなる。


1) εγκυκλιοσ παιδεια
2) Ενκψκλοπαιδεια(図録和文のつづり)
3) Ενκικλοραιδεια(図録英訳のつづり)
4) Εγκυλοσπαιδεια(聴講生のノートのつづり)
5) Εγκυκλυσπαιδεια(西先生の覚書のつづり)
6) Ενκυκλοπαιδεια(明治文學全集版のつづり)
7) εγκυκλοπαιδεια(偽ギリシア語)


だからどうという話ではないのだが、さて、どうしたものかと途方に暮れているのであった。


展覧会の内容については次回。


印刷博物館 > 企画展示
 http://www.printing-museum.org/exhibition/temporary/070922/index.html