『コンピュータのひみつ』のひみつ その2

さて、「コンピュータってなんですか?」というお話でした。


みなさんなら、これになんと答えるでしょうか。あるいは、周囲にいるコンピュータに詳しい人に尋ねてみたら、あるいは、お手元の本を開いたら、どんな答えが返ってくるでしょうか。


「コンピュータ」とは、英語の computer を音写したなんちゃって翻訳語。でもこれ、日本語に限らず、他の言語の言葉をそのまま音写した語は注意が必要です。


例えば、英語にもなっているphilosophyなどは、その最たる例。


これは、仏語(philosophie)、独語(Philosophie)、スペイン語(filosofia)、イタリア語(filosofia)、オランダ語(filozofie)などなど、ヨーロッパ各国語でもほとんど同じ形をしています。遡れば、ラテン語のphilosophiaにいきあたりますが、これもギリシア語のφιλοσοφιαを音写したものです。そして、ようやくギリシア語に辿り着いたところで、語の意味が判ります。


哲学の入門書などを繙くとしばしばお目にかかるように、この言葉は二つの語の合成語。φιλοとσοφιαからできています。


σοφιαは「知識」や「学識」といった意味の他に、「巧みさ」「熟練」といった意味を持つ名詞。φιλοのほうは、φιλεω、つまり、「愛する」「愛好する」「キスする」「〔なにかを〕することを好む」といった意味の動詞に由来して、φιλο-〜という形で「〜を愛する」という複合語を作る語です。ギリシア語の辞書で、φιλο-から始まる語を眺めると、それは愉快です。


φιλιππος(フィリッポス/馬を愛する)
φιλογαστοριδαι(フィロガストリダイ/腹を愛する人=美食家)
φιλογελως(フィロゲロス/笑い好きな)


から始まって、「農業好き」「体育好き」「樹好き」「民衆好き」「正義好き」「訴訟好き」「名誉好き」「騒音好き」「嘆き好き」……と、ついここに全部書き写したくなるほど、愛に満ちあふれたページが続きます。


つまり、ギリシア語において、はじめてφιλοσοφιαという語は、それに対応する意味、知ることを好む、知を愛好する、という意味との対応がとれるわけです。ラテン語以下、ヨーロッパ諸語は、この言葉を自前で持っているのではなく、いわばラテン語を経由して音写して済ませていると言ってもよいでしょう(私としては、では、このギリシア語は、どこから来たのかということが気になって追跡中です)。


幸い(?)、philosophyという語が、本格的に日本に入ってきた明治期には、外来語を音写するだけで済ませずに、漢語に翻訳・造語する努力が払われていました。これは、当時の知識人たちに、漢文の素養があったから可能だったことであります。



philosophyは、よく知られているように、啓蒙知識人の一人、西周が、「希哲学」などの試行錯誤を経て、「哲学」に落ち着いたわけです。このとき、西は、朱子学漢籍における「賢哲」といった語を念頭に置いていたため、おそらく同時「哲」という字を目にした人々(漢籍に通じた人々)は、そうした原義を脳裡で響かせていたでしょう。


残念なことに「希う(こいねがう)」の1字が取れたため、漢籍の素養が失われるに従って、「哲学」は「テツガク? なにそれおいしいの?」という意味不明の言葉になったり、いつの間にやら、(これまた日本では明治以来の)制度的な「学」の一つという位置づけになっていたりしてゆくわけですが。


それはともかく、いま述べたかったのは、英語や仏語におけるphilosophy, philiosophieという語が、ギリシア語の音写であるということでした。そこでよやく話は元に戻ります。computerという語をコンピュータと言って済ませるということは、philosophyをフィロソフィーと言って済ませるようなものです。



こういう語は、とりわけ注意が必要だと思います。つまり、判った気になっていても、その語自体は、漢語ほど文字の姿が意味を表さないため(なにしろ、それは単なる音の連なりですから)、どうかすると、人によって連想する意味が大きくずれているなんてこともあります。ゲーム会社にいた頃、商品開発の現場でしばしば「コンセプト」という言葉が使われていました。これなども、1人ずつつかまえて「コンセプトってなんですか?」と問い糾したら、みんな違う答えが返ってきます。


さて、そんなふうに考えてみると、コンピュータというカタカナ語(の理解)も、相当に怪しいのではないか。学校などでも、しばしば「コンピュータってなんですか、どういう意味の言葉ですか」と学生に尋ねてみますが、多くの場合、よくて「計算機」止まりです。もっとも、かく申す私にしても、大学生の頃までは、その程度の理解だったように思いますから、偉そうなことは言えません。



でも実は、この「コンピュータってなんなの?」という問いに、どう答えられるかということ、コンピュータ理解の程度は、現代社会を生きるうえで、そうは言っても結構重要なことだろうと思うのです。ちょっと大袈裟に言えば、現代における必須の教養(これも、もはや意味不明の概念ですが、よりよく生きるための知恵くらいの意味としておきます)だろうとも。


(つづく)


朝日出版社 > 『コンピュータのひみつ』
 http://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255005447/


Amazon.co.jp > 『コンピュータのひみつ』
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4255005443/tetugakunogek-22