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一橋大学大学大学院言語社会研究科紀要『言語社会』第2号(4月中旬刊行予定、非売品)の「特集=人文無双」の一環として物質と記憶のラプソーデイン――知のネットワークを組み替える」という論考を寄稿しました。


拙稿、研究の鬼たちが丹精込めて生み出した論文のあいだに、どこの馬の骨とも知れない迷い犬のようにまぎれこんでおります。迷い犬のゆくえを(生)暖かく見守ってみたい方は、メッセージなどで郵送先をそっとお知らせください。ヌキズリを進呈いたします。

1.はじめに
2.知のネットワーク——脳/記憶・物質・共同体
 a.学——知のネットワーク
 b.記憶——ネットワークのマトリクス
3.口誦による知のネットワークの組み替え
 a.記憶の技法——韻律と定型句(フォーミュラ)
 b.口誦詩による知の問題——詩人嫌いのプラトン
4.書物を利用した知のネットワークの組み換え
 a.巻子本/冊子体
 b.記法
 c.検索性
 d.余白と書き込み
 e.公共的な読書——成長する書物
5.ディジタル時代の知のネットワークの組み替え
6.おわりに


物質と記憶のラプソーデイン――知のネットワークを組み替える(冒頭)

「われわれの精神は、まるで等しくないものを結合する継ぎ手である」
――ノヴァーリス


1 はじめに


 今日、物質と記憶はどのような関係にあるだろうか。二〇世紀の半ばから高性能化と普及を続けるコンピュータとそのネットワークは、相互に連環する広大な外部記憶の領域を織り成し、私たちがものを読み知り考え書き交し論じるための条件を、日進月歩のスピードで変容させつつある。このような情報環境の変化のなかで、「人文学」と呼ばれる知のあり方はどのように変貌してゆくのか。これが当初念頭においた問題だった。


 だが、かつて人文主義(humanism)がルネサンス期に湛えていた、古典的書物を同時代に新生させることを通じて人間精神を涵養するといった側面、後の日本においては「教養主義」とも呼ばれた側面が、カノンの価値相対化とともに霧散したかのように見える昨今、人文学という学の輪郭と内実を捉えなおさないことには、その変貌もなにもあったものではない。さらには脳科学や認知科学が、従来自然科学において扱いがたいために不問としてきた人間精神の解明に乗り出して以来、人間精神とそこから生み出される文化的産物を固有の対象としてきたはずの人文諸学は、根底から揺さぶられ始めている。


 しかし、もし人文諸学が、文化的生産物を対象として人間精神に迫ろうという目標を掲げるほどの学であれば、その人間精神が科学の方法によっていかに記述されうるのか(されえないのか)を見届ける必要がある。このように考えたとき、変化する情報環境のなかでひとり人文学の行く末を考えるより、その手前で学や知の営み自体がどう変化してゆくのかをむしろ考察すべきではないか。こうした問題意識のもと、本稿では学知の基本である「知のネットワークの組み替え」について若干の考察を加えてみたいと思う。


一橋大学大学院言語社会研究科
 http://gensha.hit-u.ac.jp/research/bulletin.html