「文体百般」のその後



新潮社の季刊誌『考える人』の2011年1月号から2013年4月号まで、全10回にわたって連載させていただいた「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」は、従来、文学作品の文章と内容について言われることの多かった「文体」という見方を、文学に限らない文章全般、そして文章の内容のみならずその外見にまで広げてみたら、何が見えてくるだろうかという関心から取り組んだエッセイでした。全10回のタイトルは以下の通りです。

第01回 文体とは「配置」である
第02回 短い文――時間と空間に縛られて
第03回 短い文――記憶という内なる制限
第04回 法律――天網恢々疎にして漏らさず
第05回 対話――反対があるからこそ探究は進む
第06回 科学――知を交通させるために
第07回 科学――世界を記述するために
第08回 批評――知を結び合わせて意味を生む
第09回 辞書――ことばによる世界の模型
第10回 小説――意識に映じる森羅万象


ご覧のように第1回で問題設定をした後、第2回と第3回で文章を読む人間の側の「経験の条件」あるいは「読書の生理学」とでもいうべき問題をまずは検討しています。紙か電子かを問わず、書物やテキストを読むという場面について考える場合、その文章を構成し、支えている物質的条件だけでなく、それを読む人間側の知覚や認知の側面もまた抜きにして考えることができないのではないか、という発想です。


その上で、法律から始まって、対話、科学、批評、辞書、小説と、各種領域の文体を検討してみたのでした。「対話」だけは、文章の内容による分類ではなく、表現形式による分類です。この「対話」を置くことで、残りの多くが「独話」であることがはっきりしてこようという心算でもありました。


とても「百般」には及ばずなんですが、今回検討にかけることができた範囲で眺めても、そこにはまだまだたくさんの謎が潜んでいることが分かったように思います。


この他にも、当初は漫画の文体、OSやtwitterの文体、数学の文体(これは数学を特集した最新号で少し検討できました)、哲学の文体、詩の文体、コンピュータ・プログラムの文体、広告の文体、ゲームのテキストの文体、パッケージの文体、取り扱い説明書の文体など、もっと多種多様なものを俎上に載せたいと念じておりました。


とはいえ、取り組んでみてすぐに分かったのは、毎回30枚前後の紙幅をいただいているにもかかわらず、たった数行の文章の文体を検討するだけでも、1万字は少ないということでした。「批評」の回に取り上げた『新約聖書』にいたっては、ほとんど一文を検討するためだけにその回を費やしたりしております。連載を通じて、自ずと取り上げるものを絞らざるを得なかった次第です。


目下は、この夏のうちに単行本化に向けた加筆改訂作業を進めております。刊行時期は未定ですが、来年の春ぐらいにお目にかけることができたらと思っています。編集はこの連載を担当してくださった新潮社の疇津真砂子さん、ブックデザインは敬愛するデザイナーにお願いできることになり、欣喜雀躍しているところでございます(もう少し進んだら詳らかにしとう存じます)。



私の単著としては、デバッグではじめるCプログラミング』翔泳社ISBN:4798114197)、『コンピュータのひみつ』朝日出版社ISBN:4255005443)と、コンピュータにまつわる書物が続きましたが、この第3の単著は言語表現に関わるものになろうかと思います。


進行中の仕事としては、三省堂ワードワイズ・ウェブにて連載中の「「百学連環」を読む」で、西周による講義の解読を通じて学術史の一面に光を当て直してみようとしているところ。この連載も2013年内に完結する予定です。また、手が止まってしまっておりますが、朝日出版社第二編集部ブログの連載「書物の海のアルゴノート」では、書物全般と読むという営みについて検討しようとしているところでした。


2013年下半期の文筆方面は、この「文体百般」単行本化の作業と、Plato, Prehistorianの翻訳、相棒・吉川浩満君との共著第3弾となる予定の『哲学の劇場(仮)』の執筆が主な仕事となりそうです。引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。


三省堂ワードワイズ・ウェブ > 「「百学連環」を読む」
 http://p.tl/9HWh


朝日出版社第二編集部ブログ > 「書物の海のアルゴノート」
 http://p.tl/4rWB