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「あわい」の重なりから生まれる空前絶後の異時空間

 ★『イナンナの冥界下り』(セルリアンタワー能楽堂、2015.11.13)

 

『イナンナの冥界下り』を観た。

自分ではほとんど使わない言葉だけれど、「空前絶後」とは、こういう場合に使う言葉なのだと思い知った。

時を遡ること5000年、古代メソポタミアのシュメール文明でつくられた神話に取材した舞台である。

いかなる理由によってかは分からねど、絶大な力をもつ女神イナンナ(なにせ天と地を治めている)が冥界に赴く。女神は、冥界の七つの門をくぐりぬけ、一つの門を開けるたび、身に帯びていた力(「メ」)を奪われ、最後にはとうとう死んでしまう……

――という楔型文字で記された物語をもとに、これを能楽を中心とする舞台につくりあげたのが、この『イナンナの冥界下り』である。

それを、こともあろうにシュメール語と日本語で、能楽とコンテンポラリーダンスで、能管と三味線とダルブッカとダフ(中東の打楽器)とライアーという竪琴で、コロス(古代ギリシア悲劇を連想させる合唱隊)を含む歌で、一つの役を身体の動きを演じる者と語る者との組み合わせで、人間と人形とで……もはや何を言っているのか分からないかもしれないけれど、こうしたいくつもの古今東西の芸能の粋を集めて構成しているのである。いうなれば、幾重もの「あわい」が重なり合うことで生まれる、どこでもないどこか、異時空間が能楽堂に出現したのだった。

といったことであれば、後知恵でこそ述べることもできる。だが、舞台を目の当たりにするあいだ、そんなことを考えるいとまはなかった。

なによりもまず驚いたのは、能楽師の安田登さんやイタリア古楽の辻康介さん、竪琴の三野友子さんの歌が始まるやいなや、意識より先に身体が反応したことだった。なにか自分で自覚するような感情の動きがあったわけでもないのに、目が潤み始めた。照れ隠しとかではなく、人が感動するという映画などでも滅多に涙が出ることのない質なので、自分でも心底驚いた。心はむしろ無心というような状態で、波立つわけでもないのに、シュメール語の歌を聴くや否や、身体が勝手に反応したのだった。

それも一度や二度ではなかった。心は凪いでいるようなのに涙が出る。また、時には涙と笑いが同時に訪れて、いたく混乱する場面もあった。まさに名状しがたい情緒の動きに襲われて、最初はそれでも少しばかり意識のどこかに残っていた、物事を客観視するような姿勢はすっかり消え去っていた。舞台と客席のあいだに置かれた蝋燭の炎のゆらめきと、短いフレーズが波のように幾度も繰り返される楽曲の効果も絶大である。

しかも、女神イナンナはなぜわざわざ冥界に赴くのかも分からない。安田登さんの新著『イナンナの冥界下り』(コーヒーと一冊、ミシマ社、2015/12)に提示されている「現代語訳」の冒頭はこんな具合だ。 

大いなる天より大いなる地へとその耳を立てた(心を向けた)。

神は大いなる天より大いなる地へとその耳を立てた。

神イナンナは大いなる天より大いなる地へとその耳を立てた。

 

我が主は天を捨て、地を捨て、冥界に下った(上った)。

イナンナは天を捨て、地を捨て、冥界に下った。

エンの地位を捨て、ラガルの地位を捨て、冥界に下った。

ウルクのエ・アンナを捨て、冥界に下った。

 

ともかくそうしたのだ、というほかはない。なにごとについても、すぐ動機を問い、動機を知って安心することに馴れ過ぎている現代人にとっては、不可解とはこのことであろう。だが、イナンナの身体を演じる蜜月稀葵さん(声は辻康介さんが演じる)の動き(動かないでいることも含めた動き)を中心に据えた舞台上の出来事を見ていると、そうした分かりやすい因果など、すぐにどうでもよくなってしまう。

加えて、シュメール語による朗誦と、日本語による朗誦とが織りあわさり、日本とも中東とも、古代とも現在とも言えない、「あわい」の空間から生まれる音の響きは、私たちを「分かること」と「分からないこと」の往復運動へといざなう。後で私は、田川建三さんが『新約聖書』の翻訳について、そんな昔の異語で書かれたことがそうそう簡単に分かろうはずもない(大意)と述べていらしたことを思い出した。

息を呑みながら『イナンナの冥界下り』を観るあいだ、意味と無意味のあいだとをたゆたって、意味や因果の拘束からひとときなりともほどき置かれたという感じがする。というよりも、この舞台を観るあいだ、自分に訪れた状態から逆に、日ごろどれだけのものに縛られているのかを感得したといったほうがよいかもしれない。観終って、凝り固まった身体がほぐれたようにさえ感じた。

――と、いましがた目にし、耳にし、体感してきた出来事について、そうしようと思えば、いくらでも述べることがあるように思う。たぶんそれは、後にも先にも味わったことのない出来事だっただけに、自分の経験のなかにあるパターンや分類に収めて片づけられないからではないかと睨んでいる。

口上を述べる役どころでもあった浪曲師・玉川奈々福さんの説明によれば、この『イナンナの冥界下り』は、今後さまざまなヴァージョンアップを図りながら、変化してゆくものであるらしい。つまり、毎回の公演が常に空前絶後となるわけだ。この長期にわたる予定であるというプロジェクトの行く末を見届けたいと思う。

 

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