★とかく世間は罠だらけ

哲学の劇場に、『INNOCENCE』についてのコメントを書こうと思ったのはよかったのだが、気がつくと「電脳化」とか「心身問題」といった言葉の説明を書いている罠。



ピーター・P.トリフォナスの『エーコとサッカー』(富山太佳夫訳、ポストモダン・ブックス、岩波書店、2004/03、amazon.co.jp)は、本文より今福龍太の解説のほうがおもしろいという罠(このシリーズ邦訳既刊三冊に総じていえる傾向かもしれません)。


日本版によせたシリーズ編集者(リチャード・アピニャネージ)のまえがきに「遠距離情報通信、デジタル・テクノロジー、遺伝子工学などのさまざまな技術革新は、われわれの(中略)環境世界をヴァーチャル・リアリティの世界に変貌させつつある」なンて書いてあるのを読んでがっくしする罠。ヴァ、ヴァーチャル・リアリティって……。


(日本を意識したと思われる「パチンコもポケモンもテレビゲームも、ポストモダンの重要な側面ではない」という突然で文脈と意味がいまひとつ不明な断定も謎でした。誰かが強力に主張しているんだろうか、「パチンコ、ポケモン、テレビゲームこそがポストモダンにおける重要な側面である!」とか)