引き続き書庫の整理中に出会った書物について。当初予定していた「何を企んでいる?」シリーズは一旦脇において、ふつうにおもろい本をご紹介したい。


★哲学今昔


★桑木厳翼『哲學綱要 全』(太陽堂、大正十五年)


本書は、大正元年に初版が世に出た哲学概論の第十版として大正十五年に印刷されたもの。定価は参円弐拾銭。版元は「東京市神田区南神保町」にある太陽堂。著者は、文学博士桑木厳翼。


本文は、前後編にわかれる。前編は「哲学の由来」「哲学の概念」「哲学の構成」「哲学の問題」など、哲学とはなにかということをその歴史に拠りながら説く内容。後編は「現代の哲学」と題して「規範と規範学」「歴史哲学の問題」「自然科学者の哲学観」「哲学方法論断片」「論理学説と実験倫理学」「矛盾之原理と哲学」など、「現代」哲学の諸問題をケーススタディとして紹介している。はじめに「現代哲学」という言葉に対する疑義を三様に検討しているのも興味深い。そして最後に「附録 欧米哲学界の印象」という項目があって、欧米の土地柄や大學の印象が記されている。


前編後編は普通に勉強になる内容なのでここでは措くとして。愉快なのが「附録」である。桑木博士が伯林や巴里を訪れて得た印象が時代の空気を伝える。たとえば巴里でソルボンヌを訪れた博士の筆はこんなふうに彼の地の大學の様子を知らせる。

「哲學はかく行渡って居る、哲學と云う語は一般市民にも決して珍らしい感を興へぬ、大學外にも哲學の講義が諸所にある、大學の哲學講堂も中々繁昌する。尤もソルボンヌでは文學や或は史學の講堂ほど立錐の地もない程でもないが、然し流行の大帽に羽毛やら花飾やらを付た聴講者が半数以上なのが多いのを見ては、マダム・ド・スタエルの本国だと感ぜずには居られぬ。佛国大學の公開講義が全く自由な為に、中には随分本堂で腰を下す流儀の休憩人も居るらしい。耄碌した様な老翁老媼を見ることもあるが、然し中には熱心に聴講して居る老婆も少なくない。要するに佛国の人(或は巴里人、而して是が全国の進んだ部分の代表と見てようことは論があるまい)は決して哲學に冷淡ではない。ソルボンヌに初数日通って得た印象は既に此の如くだつたが、其後コレジュ・ド・フランスで世界に名を博して来たベルグソンの講演に列した時、哲學の講義も文學と同じく、或は其以上に巴里の人の心を惹く、と云ふことを覚つた。尤もソルボンヌにも此処にも、案内記を手にした獨米の旅客が聴講者中の一部を占めて居るが、其点は文學の講堂も変わりはない。而して此の事は他面に亦巴里は哲學上世界に対して誇り得べきことを示して居る」

嗚呼、哲学の都巴里よ。