あるゲームのローカライズ作業に従事している。ここでいうローカライズというのは、日本国内で作成したゲームを、諸外国語用につくりなおすという意味である。


今回は、英・伊・西・独・仏の5カ国語。そう、明日には新たに10カ国が加わって加盟国が25カ国になるというEU諸国向けである。


翻訳などはむろんそれぞれの言語のネイティヴが行い、私なんぞはデータを加工したり、プログラムで実装されたものがおかしくないかをチェックしながらこまごまと修正をいれたりするだけなのでほとんどが機械的な仕事。


なのだけれど、厄介なことは、これを5カ国分同時に進行するというとだんだん言語の境目が(もとよりあやしいわけだがなおのこと)あやしくなってくるというところ。



スペイン語版をいじっているうちに、間違ってイタリア語が混入しているのにであったり、なにか混在してなかろうかと疑心暗鬼でチェックをしているとフランス語版に英語がまざっているように思えたりするのだがじつは英語と同じ単語だったり、なにかの間違いでドイツ語と英語がごちゃごちゃに表示されてしまったり。この作業に従事するあいだじゅう脳裏に浮かぶのは、テオ・アンゲロプロスの監督作品『ユリシーズの瞳』(フランス+イタリア+ギリシア、1995)で、河を航行する船が国境をこえるつど異なる言語でなにやら呼び交わしあう場面。国境があるけれどしかし河はそんな境をおかまいなしに流れている。言葉もまた。



もっとも、なにごとにつけても中途半端な知識と経験しかもちあわせていない愚生の場合、状況としては同じ『ユリシーズの瞳』のなかでも、先の見えない五里霧中にいるようなもの。霧を抜けたとおもったら『ノーマンズ・ランド』(ダニス・タノヴィッチ監督・脚本・音楽、フランス+イタリア+ベルギー+イギリス+スロヴェニア、2001、amazon.co.jp)のようなのっぴきならない状況になっていないことを祈るばかりである。


――ってご覧になっていない方には訳のわからん話ですが、愚生の与太話はともかくとしてこの映画がボスニアセルビアの中間地帯=ノーマンズ・ランドに居合わせてしまったボスニア軍兵士とセルビア軍兵士のあわいに生じるのっぴきならない――しかし笑ってしまいもする状況は一見の価値ありです。