悪書の要

★同書 「第七章 悪作家」

少しは悪作家を読もう。但し、悪意からではなく。それは見事である。我々の心の中に愚かな書物に対する憎悪を養おう。愚かな書物に対する憎悪は、それ自身においては極めて無用な感情である。しかし、もしそれが我々の心の中に良書に対する愛と渇望とを蘇らせるとしたならば、それは価値がある。


このさいの「善悪」の規定はともかくとして。自分としておもしろくない本が、おもしろい本へのアペリティフ(食前酒)として働くことはしばしばあることで、「あの作家の本とはどうも馬があわないんだよなァ」といいながら、新刊が出るつど手にするのもじつをいえばそんな欲望の経済が働いているからなんではないか、とまたぞろエエ加減なことを思う。


なんでリメイクしているのかわからないほど不出来なリメイク映画(もはや、re-make ではなくして、un-make てなもんである)を観たあとで、オリジナル版のすばらしさを再確認するのもこれに似ている。