拙著へのこのような読解とご批判(id:contractio:20040623)、とてもありがたいことです。ありがとうございまする>contractioさん
「政治」という概念の使い方についてのご批判に関してはもそっと考えさせていただくとして、「心」についてはこのように考えていました。
(断りをいれているとはいえ cf pp.80, 159-160)ご指摘のように「心(的)」を「超越概念」として使っているのはたしかです。
ところで「心(的)」という概念にどのような内容を与えるかということがひとによりバラバラなまま、しかしながら心と脳の関係という問題が立てられ、議論がたたかわされていることよなァ――という次第を示し、整理することが第一目標でした。そこでその「心(的)」という概念にどのような内容が与えられることがあるかという個々のケースは紹介したものの、「じゃあ本書でいう『心(的)』ってなによ?」というところは未定義のままにしました*1。
「心(的)」という概念が論者やその関心に応じてどのように定義されているかということは、もっとはっきり明示したほうがよかったな、とこれを書きながら思いました。
つづきはまた今度書きます。
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*1:「おばあちゃんを喪った悲しみ」という例を頻出させているため、「心を悲しみみたいなものに等置するつもりか?」という疑念を持つ方もいるかもしれませんが、これは「心(的)」という言葉で日常的に想起されることの一例というつもりなのです。