2010年上半期のあれこれ


ご無沙汰しております。


2010年の前半は、一橋大学大学院で、「新たなる百学連環――芸術篇」なる講義を担当しておりました。これは、前学期で担当した、哲学・思想篇の姉妹篇です。なにしろ、百学連環とは、学術全般を見渡そうという話なので、学術、つまり、学問と技芸術(Science and Art)の両方を視野に入れることになります。


とはいえ、私を同大学院にお呼びくださっている武村知子さんの采配で、たまさかそのようなことになっただけなのではありました。


さて、芸術篇では、作品そのものをとことん知覚する、ということを目標に掲げて、各種芸術作品に向き合い、自分が何を知覚したかということを観察し、できれば記述するという実践を兼ねた講義を目論んでみました。


そこで扱った題材は、ブルースとロックンロール(主にチャック・ベリー)、ソフォクレスの「オイディプス王」、夏目漱石吾輩は猫である」、マルセル・デュシャンです。本来この後に、物理法則を表す数式やコンピュータのプログラムを扱う予定でしたが、これは時間切れで果たせませんでした。


このうち、漱石の『猫』論については、なんらかの形で再構成してみたいと考えています。これは、『吾輩は猫である』という小説を、一種の学術諷刺小説として読むと、何が見えてくるかという議論です。そのつもりで読んでゆくと、必ずしも評判がよろしくないこの小説に(曰く、人物の区別がつかない、構成がない、そもそも面白くない etc.)、さまざまな企みが施されていることが浮かび上がってくるのです。おそらくそれは、現代における学術の状況についても、示唆するところがあると思います。


さて、そんな講義を行いつつ、春から夏にかけては、3冊の書物の準備を進めておりました。


刊行予定の順に並べると、一つは、茂木健一郎さんと斎藤環さんによる往復書簡書『脳と心――クオリアをめぐる脳科学者と精神科医の対話』(双風舎、2010/08/25刊行予定)の編集協力。


もう一つは、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社、2010/09/10刊行予定)という拙著。


最後は、『Rules of Play』の翻訳書(上下2分冊で、ソフトバンククリエイティブより刊行予定)。上記2冊の作業を終えて、目下はこの上巻の原稿を整える作業中です。


以上3冊については、刊行が近づいてきたら、改めて詳しくお話ししたいと思います。


また、芹沢一也さんと荻上チキさんが主宰するシノドスメールマガジン「αシノドス」で連載させていただいていた「思想誌空間」も、最終回を書き終えて連載終了となりました。「思想」という日本語を巡る観念史の企てです。当初立てた予定からすると、その一部を書いたに過ぎませんが、これも機会があれば、まとめ直したいと考えています。


近々形になる原稿としては、雑誌『考える人』(新潮社)次号への寄稿があります。前回は、「はじめて読む聖書」特集のブックガイドを担当しました。今回は、「ドリトル先生のイギリス」特集ということで、博物学を中心に、ドリトル先生物語全体を、いっそう楽しく読むための補助線をあれこれ引いてみるつもりです。


ドリトル先生物語全巻はもちろんのこと、関連文献の山(文字通り、机にはヴィクトリア朝の文化や社会、科学、博物学、動物学、冒険、見世物等々に関する文献が山積みです)のなかに在る、さまざまなつながりを見えるようにしたいと目論んでおります。


一橋では、冬学期に「映像文化論」という主に学部生向けの講義を担当する予定です。映画以前の幻灯(マジックランタン)や、映画以後のコンピュータによる映像(ストリーミング再生するムービーに限らず、演算によってリアルタイムに生成される映像も含む)も視野に入れて、映像について考えてみたいと思いつつ、準備をしているところでした。同時に開講される(かもしれない)ゼミ形式のコマでは、あるお題について、参加者に映像を編集していただく予定です。観るだけでなく、つくってみて考える、という次第。


目下は、そんな作業の合間を縫って、500冊くらいのブックガイドを構想中です(twitterで背中を押してくださった皆さん、ありがとうございます。すっかりその気になっております)。テーマを100くらい考えて、それぞれに10冊ずつ挙げたら、それで1000冊。テーマを50に絞って、それぞれ10冊ずつ挙げたら、これで500冊。500冊、1000冊も挙げたら十分だろうと思われるかもしれませんが、候補となる書目を思いつくままリストアップしてゆくと、100冊、200冊はあっという間に埋まってしまいます。ですから、むしろうまく選ぶことを心がける必要があるわけですが、逆にいっそのこと、絞らずに「これは」と思う書物を全部挙げてみてはどうかと思ったりもしています。


などなど、例によって(?)大風呂敷ばかり広げております。