でも、だから次の創作への意欲もわくわけです。
この点、ヴィデオ・ゲームやソフトウェアは、version という考え方があるので見えやすいところです。
ゲームをつくる場合、はじめにばーっと妄想したことが100だとすると、実際の仕様やプログラムに実装してゆくなかで、最終的にアウトプットされることは10くらいでしょうか(愚生の経験では)。
すると、残り90くらいの妄想は「つぎはなんとかしたいなァ」「ばっちりいきたいなァ」というヴァージョンアップへの意志に転じたりもするわけです。
ジャコメッティなどはこの点で実に徹底していて、肖像画を描くというのに、毎日前日の成果を塗りつぶしてから出発しなおすのだとか。
cf. http://www.logico-philosophicus.net/hedonism/hedonism2003b.htm#20030903
もっともゲーム屋がそれを許されると、永遠に商品としてリリースされないので開発に投資している資本家連が困るわけです。
なンて書いていると、インディペンデントにゲームつくりたいなァとかむらむらしてきますね(ま、口先だけですが)。
てゆうか、かつてゲームなんてそんな風に好き勝手につくられていたわけですが。