小林秀雄全作品 別巻1 感想(上)』(新潮社、2005/02、amazon.co.jp)#0240


1958年(昭和33年)から5年にわたって雑誌『新潮』に連載して中断。書物としての刊行を禁じたベルクソン論。第五次全集刊行にあたって別巻として刊行され、第六次全集である「全作品」でも同様に収録される。第五次全集の刊行時に編集部によって付された「緒言」は、このたびの特別収録にあたって説明をしている。以下は本書巻頭の言葉から抜粋したもの。

……著者の没後十数年を経る間に、かつての『新潮』連載稿に拠って、著者を、あるいはベルグソンを論じる傾向が次第に顕著となり、もし現状で先々までも推移すれば、著者の遺志は世に知られぬまま、著者の遺志に反する形で「感想」が繙読される事態は今後ともあり得るとの危惧が浮上した。よって、著作権継承者容認のもと、第五次「小林秀雄全集」および本全集「小林秀雄全作品」に別巻を立ててその全文を収録し、巻頭に収録意図を明記して著者の遺志の告知を図ることとした。著者には諒恕を、読者には著者の遺志に対する格別の配慮を懇願してやまない。


結果的には図書館でコピーを拵える手間が省けるのだから有り難いわけだけれど、この説明はいかにも苦しい(たしか第五次刊行時に山城むつみ氏が批判していたように思う)。単行本としての出版を禁じるのは著者の自由だけれど、連載していた雑誌を探して読むのは読者の自由だろう。小林秀雄の遺志を伝えることが目的なら、遺志のみを全集の末尾に添付しておけばよく、本文を収録する必要はない。本文も刊行するから読んでもこれを論じないように、ということはよもや含意されていないと思うけれど。結局のところ、今回の本の帯にも「……晩年には出版も禁じた」とあり、著者による出版禁止はむしろ売り文句としての機能を担わされているようにも見えてしまう。