『愉しき哉人生』(77min, 1944)


冒頭、縦書きで「撃ちてし止まむ」の一文がスクリーンに映り、戦時中の作品であることが思い起こされる。それにしても国策に諸手をあげて大賛成、という作家ならいざ知らず、必ずしもそうではない作家は戦時下という状況でどのような作品をつくるのか。そのような状況の刻印を受けた作品は、文脈を離れてどのように見えるのか。この時期の文物に触れるつど、微かにそんな緊張が訪れる。作家は、作品を公開するために検閲を通る条件を満たさなければならない。しかしもし作家が、そのような条件を課してくる戦争や戦争を遂行する国家に対してなにがしかの見解をもつならば、きっと作品の中にその徴を忍ばせるのではなかろうか。


成瀬巳喜男(なるせ・みきお, 1905-1969)監督が1944年(昭和19年)に公開したこの映画『愉しき哉人生』は、戦時中の銃後の庶民生活にスポットを当てている。冒頭に置かれた「幸福」とはなにかを謳った詩も、銃後を護る国民のあり方を訓示したもので、これから観られる映画の文脈を提示する(不覚にも作者と作品名を失念。ご記憶の方がありましたらご教示願います)。


物語はある町にやってきたよろづ屋・相馬太郎柳家金語楼)一家が、商店を営む町の人びとに感化を与えてゆくというもので、どんな生活を営んでおっても、ちょっとの工夫次第、心持ちひとつで幸せになれると、人生を楽しむ術をさまざまに体現してみせる、というもの。のっけから感化される理髪店の主人(横山エンタツ)から、莫迦言ってンじゃないよ、とうけあわない時計屋の主人(渡辺篤)まで人それぞれの反応があるものの、大方は相馬太郎のおおらかで面倒見のよい人柄と行動に触発されてゆく。相馬太郎には娘(山根寿子)と孫娘(中村メイコ)がおり、娘は町の奥様や娘さんたちに、孫娘は子供にと、相馬太郎と同様に人びとのものの見方に影響を与える。


と、こう書けば、なるほど銃後の苦しい生活を前向きに生きるように人びとの気持ち、また戦時下でこの映画を観る人たちを戦争遂行肯定の方向に束ねるための映画か、と得心しそうにもなる。


だが他方で、そのような文脈を念頭におきながら観ても、この映画からはおよそ戦争というものが感じられないのも事実だ。たしかに相馬太郎の娘婿が戦地に出ていることや、町からも出征した者があることが示される。また、相馬が親の言うことをきかない子供に向かって「そんなことでは立派な兵隊さんになれないぞ?」と諭す場面もある。孫娘が「鞭声粛々夜河を渡る」と剣舞を舞う場面を戦争に結び付けてもよいだろう。しかしそれでも、この世界のどこかで戦争が遂行中である、という空気が感じられないのだ。


先に「銃後の苦しい生活」と書いたが、実をいえばこの映画に登場する庶民たちは、戦争の影響によって生活が苦しいということを別段訴えたりはしないし、「欲しがりません勝つまでは」「戦地の兵隊さんを思えばこのくらいの苦労は……」といった掛け声が飛ぶこともない。人びとはそれぞれに、理髪店、時計店、飲み屋、下駄屋、薬屋、本屋、呉服屋、写真館、洋品店、桶屋、たばこ屋を営み、ある者は独り身で、ある者は所帯をもち、またある者は子供を育てている。彼/彼女たちは個々に悩みをもっているのだが、それは戦争の有無にかかわらず日常にあるものばかりだ。


たとえば、写真館の主人(大崎時一郎)は、妻を娶るかどうかで悩んでいる。といっても、彼が悩んでいるのはそれなりの稼ぎができるようになったら許婚を呼び寄せて結婚しようと考えていたのに、商売が上向きにならず、このまま許婚を待たせておいてよいものかどうか、ということだ。写真館主人から相談を受けた相馬太郎はいともあっさり、「結婚なさい」とすすめる。それも戦時下という状況を活用するつもりになれば、結婚を肯定するにせよ否定するにせよ、いくらでも「お国のため」の理屈がつけられたはずだが、相馬太郎はこの悩みを個人的な問題としてごくあっさりと片付ける。


描かれるエピソードは一事が万事この調子で、この映画から戦時下という設定をすっぽりと抜いても、この物語はほとんどそのまま成立してしまうほどだ。


だから、一見、相馬一家による現実の読み換え(心の持ちようで人生は愉しくなる!)のススメは、限りない現状肯定に見えもするのだけれど、それは戦争肯定や戦争協力という色合いを帯びないまま、ただただ人びとの生活をよりよい生活に向けさせるにとどまる。また、そのようにとどまることによって、「よりよい戦争遂行のためのよりよい生活」という当局から期待されたであろう図式をかえって生殺しにしている。


こうなると気になるのは、町にとってのストレンジャーである相馬太郎の正体あるいは来歴だが、映画はこの点については多くを語っていない。ただ二度だけ、町ではほとんど見かけることのない自動車や、またそれとは別に元会社の同僚(?)と思われる友人が訪れる場面があるのみである。彼は誰なのか? そういえば、映画の冒頭、相馬一家が町へ到着する予兆のように、町に突然のつむじ風(こういうのを天狗風というのだろうか?)が吹いていた。あの風はなんだったのか。次に観る機会を得たら、もうすこしなにかが見えるかもしれない。




東京国立近代美術館フィルムセンターNFC)にて、今年生誕百周年を迎える映画監督・成瀬巳喜男(なるせ・みきお, 1905-1969)の特集上映がはじまっている。『愉しき哉人生』は、9月16日(金)16:00、10月20日(木)13:00にも上映の予定がある(2005年08月31日現在、同センター・ウェブサイトによる)。


東京国立近代美術館フィルムセンター > 生誕百年特集 映画監督 成瀬巳喜男
 http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2005-09-10/kaisetsu.html


⇒日本映画データベース > 『愉しき哉人生』*1
 http://www.jmdb.ne.jp/1944/bt000080.htm




以下は、映画書の新刊から。

*1:ただし、同データベースでは作品名が「楽しき哉り人生」となっている。