『永遠のハバナ』(Suite Habana)(84min, 2003)


台詞や解説を抜きに、ハバナに暮らす人びとの一日を映した作品。


一日とは起きてから眠るまでのあいだ、朝食をとり、学校や職場に移動し、勉強や仕事に従事し、昼食をとり、仕事をし、家に帰り、入浴、自分のための活動にむかい、眠りにつくまでのこと。映画は七組ほどの人びとのこうした日常を時間を平行させながら追う。お昼どきにはAが食事をとるところ、Bが食事をとるところ、Cが……というふうに同時刻のそれぞれの行動が並列するように編集されており、相互に関係しあわない人びとの営為がシンクロしたりズレたりするさまが見える。


冒頭に述べたように、なにしろ解説のたぐいははいらないので、中には画面の人物が何をしているのか/しようとしているのかにわかには理解しがたいこともある。街頭に白い紙の筒の束をもっている女性は何を売っているのか? 左官屋の男は誰のお墓に花を捧げているのか? この人物はこれからどこへゆこうとしているのか? 否応なく私たちの眼は彼/彼女たちの言動そのものを凝視し、そこで起こりつつある出来事を自分の動体視力(蓮實重彦)を頼りに観ることになる。


ではここには監督の意図がないのかといえばもちろんそうではなく、被写体の選択にもすでにそのことはあらわれている。たとえばここに映されている人々は裕福ではない。むしろ貧しい人々だ。雨が降れば床の水をはかなければならない家にすむ青年と肥満の母。どうやら妻を喪い子どもの世話をする左官業の男。街頭で紙にくるんだなにかを売っている老婆。キューバを出てゆく男。食品工場の医師。鉄道技師としてはたらく男。靴修理屋。占い師に運をみてもらう女性 etc。


ならばキューバの人びとの経済的な貧しさを訴える映画なのか、といえばそうではない。夕暮れ時、日中の食べるための仕事を終えた人びとの顔がにわかに輝きを増す。念入りに身だしなみを整えた彼らの表情から「これからが私の時間。これからが本番なのさ」という思いが伝わってくる。カメラが追う彼らの姿を観ていると、まるでそれぞれの人のなかに二つの生があるかのように思えてくる。そんな時間をもっている彼/彼女たちが幾分うらやましくさえ思えてきはしないだろうか。


本作はあくまでも人びとの生活の次元に密着しているため、こうしたキューバの現状を形成した歴史や政治について言及されることはない(かろうじて老人たちが日がな観ているTVの画面に、キューバの国旗を降る群衆の姿がくり返し映されることはあっても)。しかしながら、日々の暮らしぶりや街の様子をひたすら眺めるうちに、こうした生活はどのような条件のもとに営まれているのかという疑問が浮かぶかもしれない。そんな疑問に促されたら、別の映像、別の書物に向かいたい。たとえばレイナルド・アレナス(Reinald Arenas, 1943-1990)の作品はいかがだろうか。



ハバナへの旅』安藤哲行訳、現代企画室、2001/03、amazon.co.jp


『夜になるまえに——ある亡命者の回想』安藤哲行訳、文学の冒険国書刊行会、1997/05、amazon.co.jp
ジュリアン・シュナーベルによる映画もある。


『夜明け前のセレスティーノ』安藤哲行訳、文学の冒険国書刊行会、2002/04、amazon.co.jp


『めくるめく世界』鼓直杉山晃訳、文学の冒険国書刊行会、1989/05、amazon.co.jp


ユリイカ第33巻第12号、2001年09月号(青土社amazon.co.jp
 レイナルド・アレナス特集号。


⇒action inc. > 『永遠のハバナ
 http://www.action-inc.co.jp/suitehabana/


⇒The Web site of the Goverment of the Republic of Cuba(英語/スペイン語)
 http://www.cubagob.cu/ingles/
 キューバ政府公式ウェブサイト


⇒在日キューバ大使館
 http://www.cyborg.ne.jp/~embcubaj/


⇒外務省 > 各国・地域情勢 > 中南米 > キューバ
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/cuba/


ウィキペディア > キューバ共和国
 http://ja.wikipedia.org/wiki/キューバ


⇒現代企画室
 http://www.jca.apc.org/gendai/


国書刊行会
 http://www.kokusho.co.jp/