内田魯庵『文学者となる法』(特選名著復刻全集、近代文学館、1980/06)


明治27年、右文社から刊行された文学者作法書、という名の文学批判、という姿を借りて存外まじめに書かれている節もあるがやっぱりどこか人を食ったところのあるはなはだ愉快な一書。


私が参照している近代文学館による「特選 名著復刻全集」の一冊は、昭和55年6月1日発行(第10刷)、発売元はほるぷ。『文学者となる法』をそのまま復刻したもので、復刻されたページの奥付には「明治27年4月15日発行」とある。発売は右文社(東京市牛込区矢来町3番地)。


ページを繰ると、ちょっと読み難いアルファベットの文章が並び、その下に

謹みて遼東の
豚の子
一匹を
今の文
学者各
位の前に呈す


とある(子豚らしき挿絵も添えられている)。遼東の子豚というのは、『後漢書』朱浮伝にあらわれる故事で、昔、遼東の人が白い豚の子を珍しいものだと思ってこれを河東のお上に献上しようとしたところ、かの地の豚はみなふつうに白い。それで白い豚を献上しようとした人は笑いものになったというもの。要するに見聞が狭く世間ではありふれたことを知らないがために自分ひとりで得意になってしまう間抜けのたとえである。豚の子を「今の文学者各位」に呈すということは、ものを知らぬ愚生が、恥をしのんで専門家のみなさんにこの本を呈しますよ、という謙遜の表現なわけだけれど、ここに添えられた子豚の絵をみるにつけてもどうもおちょくっているようにしか見えない(事実おちょくっているのだが)。


さらには口絵がこれまた莫迦げている。馬と鹿にのった男たちが「文学国」の入り口で二人の女性の出迎えを受ける図。傍には「名物骨抜きだんご」の看板(その茶屋のなかでは男がねそべっている)。文学国の内部と思われる遠景には、環になって踊る男女、ボートにのる男女、いずれ外国作家の胸像などがあり、どこにも文学の道に邁進するものの姿は見られない。


さて、のっけからそんな仕掛けに脱力しつつもなんとかページを繰ると、そこには「為文学者経」なるありがたい経が掲げられている(ここではルビを省くが、下記、青空文庫にもルビつきで掲載されているのでご覧のうえ、ぜひ声に出して唱えられたい)。

棚から落ちる牡丹餅を待つ者よ、唐様に巧みなる三代目よ、浮木をさがす盲目の亀よ、人参呑んで首縊らんとする白痴漢よ、鰯の頭を信心するお怜悧連よ、雲に登るを願ふ蚯蚓の輩よ、水に影る月を奪はんとする山猿よ、無芸無能食もたれ総身に智恵の廻りかぬる男よ、木に縁て魚を求め草を打て蛇に驚く狼狽者よ、白粉に咽せて成仏せん事を願ふ艶治郎よ、鏡と睨め競をして頤をなでる唐琴屋よ、惣て世間一切の善男子、若し遊んで暮すが御執心ならば、直ちにお宗旨を変へて文学者となれ。

(「為文学者経」冒頭より)


ともかくお前さんがた、こぞって文学者におなりなさい、とはじまる文学者心得は「第一 文学界の動静を知る法」「第二 文学者となり得る資格」「第三 文学者として学ぶべき一般の見識及び嗜好並に習癖」「第四 交遊に於ける文学者の心得」「第五 著述に於ける心得並に出版者待遇法」と、文学者がわきまえるべきさまざまな事柄を縷々解説する。なかには

小説を書くは最も、最も容易なる仕事なり。天下に恐らく茶漬けをかッこむほど容易きものを求むれバ小説は蓋し其一なるべし。


だなンて心強い(?)お言葉もある。小説を書くことなンざ、茶漬けをかッこむのと一般だというのだからおそろしいことをおっしゃる方だ。これから作家や文学者を目指してみたいと思う諸君はまずもって本書にあたり、気勢をあげてみてはいかがだろうか? 下手な小説作法書を読むより何倍も(それこそ創作に必要な)得たいの知れないエネルギーを注入されること請け合い。


説き来たり説き去る調子のよさについつられて気づけば時は過ぎ最後のページにいたる。

文学者となれ! 文学者となれ! 猫も杓子も文学者となれ! 人気如来に祈請を掛けて一心に大家段に上る工夫を運らすべし。惣て如露如泥なるニヤケ男一ト度粉骨砕身すれば一躍して遊治郎の境界を脱離しあまねく世間に歓待せられるべし。


とアジったあとで(ダメ押しでおちょくったあとで?)、魯庵先生、まだまだ言いたいことはたくさんあれど、「今日は先づお預けとすべし。あア、くたびれた!」と結んでいる(また別の機会に、と言いさして読者にはかない期待をもたせるのは魯庵先生の常套手段でもある)。ついでに両手をのばしておおあくびをする絵までついている。


果たして読者諸賢は読後にもなお文学者になりたいと思うかどうか。まずはご一読、ご一読。


なお、本文には関係ないことだが、右文社を丸ごと復刻した同書の巻末には「ニッケル文庫」の広告がある。ニッケル文庫第一編として「少年小説 大冒険」(定価5銭、郵税2銭)。第二編は「湖處子詩集」(定価5銭、郵税2銭)。第三編が「絵入 狂言記 上巻」(同)、飛んで第六編が十返舎一九先生著「忠臣蔵妙々論」(同)、第七編はその下巻。


そのほか「イソツプそこのけ」の「お伽文学 面白草紙」(定価10銭、郵税2銭)、「お伽文学 面黒草紙」(同)などの広告が掲載されている。「天則評」「国民新聞評」「読売新聞評」「国会評」「毎日新聞評」「東京朝日新聞評」「早稲田文学」「大日本教育新聞」などの書評抜粋も併載。「面白草紙」にいたっては、「仮定の教訓談。幼年児童への土産物。賞品等に至極妙なり。面白いか面黒いか。先づ下に集めた諸評を読んでごろうじろ」と各種新聞評を引用し、さらには「国民新聞及他の諸新聞雑誌上に於ける好評は繁多にして一々掲げ盡し難きにより茲には略して之を掲げず」などとあり興味は尽きない。



本書には、図書新聞が1995年に刊行した版もあり、同書には鹿島茂氏による「ユーモアに溢れた痛烈なる「文学者」批判」という解説がついている。また、目下は『明治の文学 第11巻 内田魯庵坪内祐三鹿島茂編、筑摩書房、2001/03、amazon.co.jp)に収録されている。図書新聞版と「明治の文学」版はいずれもページの欄外に詳しい注釈がついている。


⇒作品メモランダム > 2005/08/04 > 内田魯庵を読むために
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20050804


青空文庫 > 三文字屋金平「為文学者経」
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000165/card891.html