『本の読み方』といっても、内容をより効率的に吸収するテクニックやら、本の選び方を書いた本ではない。
喩えて言うなれば、人が、日常のなかで、どんなふうに本を読んでいるかということについて、スナップ写真を撮って、それを見ながら、きっとこういうことなんだろうなあと思いを巡らせて楽しむ、そんな随想を集めた本である(実際に著者が撮影したスナップも掲載されている)。
電車のなかで人の肩越しにする読書。ただただ頁をめくる楽しさ。読書の前後に木の上に持ってゆかれたり、胸に抱きしめられる書物。寸暇を使って切れ切れに進む読書。監獄での読書。寝転がり、手と頭以外をリラックスさせてする読書……。
書物と人(の気分や姿勢)と場所とが組み合わさって、無数の読書の風景が生まれる。草森さん(知り合いでもなんでもないのだが、つい、こう呼びたくなってしまう)は、たまさか書物や外で遭遇した読書の風景に、あの独特の距離感とほどよい想像とを伴ったまなざしを注いでいて、それがなんとも快い。
例えば、マーサ・グライムズの『桟橋で読書する女』(秋津知子訳、文春文庫)で、詩を読むヒロインに、思いを寄せる男がトンチンカンなことを言うと、彼女が「「本をぱたんと閉めて」彼を凝視する」というくだりについて語りながら、草森さんはこんなふうに後を受けている。
おそらく、にらんだのだろう。本がもたらす風情、風趣の中に、開いていた頁を「ぱたんと閉じる」というのがある。教師が、はい、今日はここまでとばかり、よくやる無情で、威丈高なしぐさである。
だが、個人でも、だれも見ていないところで、そうすることがある。「ぱたんと閉じる」という一人芝居を打つ。ここには、乱暴なようで、本に対するいとおしさがある。
(同書、57ページ)
こういう名状しがたい風情を見てとる彼の目を、いつも好ましく思う。また、どうするとこんなふうに物事を見ることができるのだろう、とも思う。
もちろん、著者もまた「ぱたんと閉じる」際に、そうしたいとおしさを感じるようなことがあればこそ、こうした読み方がひょいと顔を見せるわけだが、これを読む読み手にも、ああそうかと、一人ぱたんと本を閉じた記憶が甦ってきて、そのことに、今の今まで自分ではついぞ気づくことのなかった妙味が加わるのである。
そんな著者は、読書をどう見ているのか。
読書といえば、頭のみを使うと思っている人が多い。それは、誤解で、手を使うのである。本をもつのにも、手が必要である。頁をめくるにも、手の指がなければ、かなわない。読書とは、手の運動なのである。
(同書、10ページ)
私が、草森さんを信用するには、この一文で足りる。
ともすると、何かの用事(仕事)での読書ばかりになりがちなこの頃、ふっと肩の力が抜けて、周囲の様子に気づかされるような、そんな読書の時間を味わえる一冊であった。
⇒崩れた本の山の中から――草森紳一蔵書整理プロジェクト
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⇒白玉楼中の人――草森紳一記念館
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