★五十嵐太郎編『READINGS:1 建築の書物/都市の書物』(INAX出版、1999/10、amazon.co.jp)#0362+
ことのついでに、建築書ガイドを一冊ご紹介しておきたいと思う。
本書は、建築史研究家・五十嵐太郎(いがらし・たろう, 1967- )氏の編集による「20世紀の建築・都市・文化論ブックガイド」。
「西洋近代建築」「西洋現代建築」「日本近代建築」「日本現代建築」「建築史」「批評」「都市」「芸術」「文学」「思想」という10のカテゴリーで100冊の書物を取り上げている。それぞれの書物には2-4ページ(二段組)が充てられ、内容の紹介とレヴューがついている。取り上げられている書物と評者については、下記のリンク先に詳しい目次があるので参照されたい(INAX出版のウェブサイトは、書物の詳細な目次が掲載されているのでありがたい)。
さらに、関連書の指示、コラムによる未邦訳書の紹介、巻末には参考文献として、1000冊(20カテゴリー)の書物群が紹介されている。
建築を知るために書物を読んでもしかたがないのではないか? と思うひとがあるかどうかはわからない。しかしながらやはり次のことは何度強調してもよいことだと思う。
建築を学ぶために、旅に出て、実際の建物を見学することは重要である。一〇〇冊の本を読んだとしても、現地でしか知りえない経験は確かに存在するし、行ってみなければ、建築のまわりに展開する都市の状況を理解することは困難だ。このことを否定するつもりは毛頭ない。しかし、現場を重視するあまり、書物を読む経験を不当に貶めるのは間違っている。一〇〇回訪問しても気づかないことを一回の読書が教えるかもしれない。両者は補強しあい、互いに豊かな経験をもたらすのではないか。もしも、建築界が言語や思想への不信感を募らせ、書物を無下に否定する風潮があるとすれば、残念なことである。主知主義が建築をダメにしたと煽動し、わかりやすさのファシズムと現場の経験主義だけで建築の危機を乗り超えようと唱えるのは、あまりにもロマンティックな発想だ。本当にそういう危機があるかも疑わしいし、建築家は頭でっかちで意味不明の文章を書くという紋切り型の批判が仮に正しいとしても、それは読書のしすぎのせいではないと思う。むしろ、読書不足に起因しているのではないか。だから、もっと書物を読むべきなのだ。
(同書、3-4ページ)
読書が不足している、とは量を読むこともさることながら、一冊の書物を充分に読むことも不足しているという意味でもあると思う(これはどちらかというと自戒であるのだが)。読むことの量と質は、相互に関連している。量を読むことによって、充分に読むための眼と手が養われるということがあるから。
五十嵐氏も序文で述べているように100冊で20世紀を総括しうるはずもないけれど、言うまでもなくこれら100冊はそれぞれがさらにn冊の書物とつながりあっている。この100冊を手がかりにするだけで、すでに万巻の関連書への糸口を得たことになる次第。建築にいくらかなりともかかわりをもつ人は——余計なことを言えば、かかわりを持たぬ人はいないわけだが——必携の一冊ではないかと思う。かく申す私も多くのことを本書から教えられている(現在進行形)。コンパクトでとりまわしのよい造本もよい。
雑誌のブックガイドもうれしいのだが、雑誌は期間が過ぎると書店から消えてしまう。できれば各分野について本書のようなブックガイドがいつでも揃っているという状況だとうれしい(思えば、拙サイト「哲学の劇場」は人文科学について本書のような作品ガイドを構築しようという試みであった。いまだ遠く及ばない地点にあるけれど)。
⇒INAX出版 > 『READINGS:1 建築の書物/都市の書物』目次
http://www.inax.co.jp/Culture/pub/101s/index/090.html
この目次を読むと本書でとりあげている100冊の書物と評者の氏名がわかる
⇒INAX出版 > 10+1 series
http://www.inax.co.jp/Culture/top/101s.html
⇒INAX出版 > Photo Archives
http://tenplusone.inax.co.jp/archives/cat_0101photoarvchives.html
⇒architects' café cybermetric > 50's THUNDERSTORM
http://www.cybermetric.org/50/
五十嵐さんの日録
⇒KIRIN > KPO
http://www.kirin.co.jp/active/art/kpo/art/igarashi.html