bibliotheca hermetica(BH)というウェブサイトをご存じだろうか。
「自然魔術とカバラ」「占星術」「ルネサンス・バロックの科学と文化」「フィチーノ」「薔薇十字の覚醒」「ルドルフ2世とその宮廷」「ヘルメス主義」……と、ヨーロッパ初期近代の思想――そう、「思想」とでもしか言いようのない多様な知の活動にまつわるコンテンツが満載のウェブサイトだ。主宰者は、ヨーロッパに渡り、精力的な研究活動を続けている平井浩氏(その仕事ぶりは、こちらのページでご覧あれ)。
1999年に開設されて以来、10年以上にわたって更新を続けている長寿サイトで、私も開設されてすぐだったと思うけれど、パラケルススについて調べようと思ってこのサイトに辿り着いた。以来、今日まで圧倒され続けているページの一つだ。
平井さんは、ご自分の学術研究を進める傍ら、サイトを拠点として有志とともにアカデミアの外でも活発な活動を展開されてきた(同サイトで、その様子も垣間見える)。このたび、月曜社から刊行された学術誌『ミクロコスモス――初期近代精神史研究』第1集(ISBN:4901477722)は、そうした平井さんを中心とした知のネットワークから生まれたものだ。
本来なら一つ一つの論文について、読み解きながらコメントしてゆきたいところだけれど、とてもではないが、浅学非才の身には手に余る。ここでは、さしあたって目次を詳しく記すことで、ご紹介に代えさせていただきたい。
・「発刊によせて」
■論文と研究ノート
I. 生命と物質
・菊池原洋平「記号の詩学――パラケルススの「徴」の理論」
・平井浩「ルネサンスにおける世界精気と第五精髄の概念――ジョセフ・デュシェーヌの物質理論」
II. 空間の表象とコスモス
・平岡隆二「画家コペルニクスと「宇宙のシンメトリア概念」――ルネサンスの芸術理論と宇宙論のはざまで」
・桑木野幸司「百科全書的空間としてのルネサンス庭園」
III. ルドルフ二世とその宮廷
・坂口さやか「アーヘン作《トルコ戦争の寓意》シリーズに見られるルドルフ二世の統治理念――《ハンガリーの解放》考察を通して」
・小川浩史「ハプスブルク宮廷におけるディーとクーンラートのキリスト教カバラ思想」
IV. 知の再構成と新哲学
・東慎一郎「伝統的コスモスの持続と多様性――イエズス会における自然哲学と数学観」
・山田俊弘「ニコラウス・ステノ、その生涯の素描――新哲学、バロック宮廷、宗教的危機」
■翻訳
・クルト・ゴルトアマー「初期近代の哲学的世界観、神秘学、神智学における光シンボル」(岩田雅之訳)
Kurt Goldammer, "Lichtsymbolik in philosophischer Weltanschauung, Mystik und Theosophie vom 15. bis zum 17. Jahrhundert", Studium generale, 13 (1960), pp.670-682.
・マルシリオ・フィチーノ「光について」(平井浩訳)
Marsilio Ficino, De lumine, in Opera omnia, Basel, Adam Henricpetri, 1576, pp.976-986.
■動向紹介
・桑木野幸司「ルネサンスの建築史――ピタゴラス主義とコスモスの表象」
・田窪勇人「ノストラダムス学術研究の動向」
・澤井直「ルネサンスの新しい身体観とアナトミア――西欧初期近代解剖学史の研究動向」
(全365ページ、シリーズ「古典転生」第二回配本(別巻I)、定価:3000円+税)
自然科学が、まだ自然哲学だった時代、知の専門分化が進みつつあったとはいえ、まだ一人の人物が多様な領域を綜覧していた時代における知の取り組みに、いくつもの興味ある「星座」を見る試みの数々である。
或る一つの問いを懐き、徹底的に考え抜いてこそ、無数の文献(知の痕跡)の星々の中に、或る形、或る星座が見えてくる。そのようにして見たものを、報告したのがこの論集である。一つ一つの論考が渾身の力で書かれており、読む方も息を抜けない。
などと当たり前かもしれないことをわざわざ書いたのは、最近いくつかの分野の、いくつかの論考や論集を読む機会があったのだけれど、問いが曖昧であったり(あるいは読み手には甚だ分かりづらかったり)、探究が不徹底だったりするものを少なからず見てきたせいか(などと言えば、それは天に向かって唾するようなもので、直ちに我が身にも降りかかるわけだがそれはさておき)、ついそんな調子の延長上で寝っ転がりながら『ミクロコスモス』をぱらぱらとめくり始めた私は、気がつけば座り直してノートをとり、脇に関連文献を置きながら読んでいたのであった。これは滅法面白い。
本日3月13日(土)は、この『ミクロコスモス』の出版記念トークショーが、紀伊國屋書店本店9階で催された。時節柄、そんなことをしている場合ではないのだけれど、これだけは聞き逃すまいと、新宿まででかけていった次第。
ウェブサイトでしか知らなかった平井さんは、勝手に空想していた畸人(だって、『ルネサンスの物質理論における種子の概念』だなんて研究をなさっているのですよ!)とは正反対の、気さくでチャーミングな方だった。そんなことをお知らせしてなにになるか分からないけれど、優しい印象の目は、それと裏腹にものすごい眼力で、なにかビームが漏れているような気がしたのは、10年来舌を巻き続けてきた方を初めて前にして、当方が珍しく舞い上がっていたからかもしれない。
それはさておきイヴェントについて少し触れておこう。まず、平井さんが、同誌編集刊行のいきさつを語り、それから進行役となって、雑誌の目次構成に沿って、菊池原氏、平岡氏、坂口氏、東氏、山田氏、岩田氏、田窪氏、澤井氏のそれぞれに話を訊いてゆくというスタイルで進んだ。
各人が、平井さんとのなれそめと、論文の概要や経緯などを語る。所属も来歴もてんで異なるメンバーが、学術組織や体制の支えもない場所でよくもこうして集まったり、である。そして各人が、どのようにそのテーマと遭遇したのか、研究対象の夢を見ることはあるか(例えば、夢にコペルニクスが出てきたりするか)、自分がその対象に成ったような気持ちになることはあるか、といった質問とそれに対する応えでトークが展開する。質疑応答の時間もあって、それぞれの方に、伺ってみたいことが山ほどあったけれど、2時間ではそうもいくまいと、質問は最初の一度だけにとどめた。
BHでの説明によれば、トークの様子は、いずれYouTubeに動画としてアップされる予定とのことだから、詳しくはそちらをご覧いただくとして、ここでは印象深いエピソードを一つだけ。最後に登壇した澤井直さんは、今回の論考では「ルネサンスの新しい身体観とアナトミア――西欧初期近代解剖学史の研究動向」という解剖学をテーマにしている。彼は、最初文系で学んだのだが、解剖について研究するには、自分でやってみるにしくはないと、解剖学に転じ、いまでは教える立場にいるという(山内志朗さんが、ライプニッツ研究のために中世哲学に進み、さらにイスラーム文献を読むためにアラビア語を学んだという逸話を思い出す)。ガレノスらの解剖学書を読み解き、「同じ」人体を見ているのに、なぜ時代によって違うものが見えてきたのかという問いに取り組むために、自ら解剖を経験する。これはちょっと真似のできないことだと思う。
いまはたまさか澤井さんのことを書いたけれど、それぞれの人に2時間ずつ話を訊いても、興味は尽きないことだろう。なにやら肝心の論集の内容には触れず仕舞いだが、久しぶりのことで、問いに取り憑かれた探求者たちの魅力に触れて、大いに刺激を受けたのであった。
なお、平井さんが最後に告知されていたのだが、『ミクロコスモス』では、広く執筆者を募っているという。プロかアマかを問わず、われこそはと思う方は声をかけて欲しいとのこと。ほら、だんだん読み/書きたくなってきたでしょう?
⇒bibliotheca hermetica
http://www.geocities.jp/bhermes001/
⇒月曜社 > 『ミクロコスモス』
http://getsuyosha.jp/kikan/microcosmos01.html
⇒『ミクロコスモス』ブログ
http://d.hatena.ne.jp/microcosmos2010/
【追記】2010/03/13 22:50
上記イヴェントで、坂口さやかさんが寄稿しているとご紹介していた、『Studia Rudolphina』誌第1号から8号までのPDFは、以下のページで入手できるようです。
⇒Studia Rudolphina >
http://www.udu.cas.cz/rudolphina/bulletin.html
【追記】2010/03/19 02:00
執筆者のお一人である平岡隆二さんのウェブです。「イエズス会の日本布教戦略と宇宙論:好奇と理性、デウスの存在証明、パライソの場所」(『長崎歴史文化博物館研究紀要』第3号、2008年、43-73頁)他、平岡さんの論文へのリンクも設置されています。
⇒Ryuji Hiraoka
http://hiraokaryuji.web.fc2.com/index.html