前回のメモで読んだ第2章題5-6段落について、読解の続きです。
■メモランダム7.第2章第5-6段落の補足(ホフスタッター)
7-1.ホフスタッターの議論
ユールは、ゲームを定義することの意味を説くために、ダグラス・ホフスタッターの本から「生産的集合」という概念を借り、文字「A」の定義の例を紹介していた。
ユールが引用しているホフスタッターの議論を見ておこう。
そこで言及されていた「生産的集合(productive set)」とは、ダグラス・ホフスタッターの『メタマジック・ゲーム――科学と芸術のジグソーパズル』(竹内郁雄+斉藤康己+片桐恭弘訳、白揚社、1990)〔Douglas R. Hofstadter, Metamagical Themas: An Interlocked Collection of Literary, Scientific and Artistic Studies, Basic Books, 1985〕に現れる言葉だ。
実際には、こんなふうに書かれている。
メタ数学の用語でいえば、任意の概念上の(あるいは意味的な)カテゴリーは生産的な集合であると表現できる。これは前節の記述に対応する厳密な数学的概念で、どんな有限の手続きをもってきてもその要素をすべてもれなく数え上げることはできないが、つぎつぎにより複雑な手続きをとっていくらでもよく近似することができるような集合を指す。このような集合の存在とその性質は、一九三一年のゲーデルの不完全性定理の結果として、はじめて世に知られた。
In metamathematical terms, this amounts to positing that any conceptual (or semantic) category is a productive set, a precise notion whose characterization is a formal counterpart to the description in the previous paragraphs namely, a set whose elements cannot be totally enumerated by any effective procedure without overstepping the bounds of that set, but which can be approximated more and more fully by a sequence of increasingly complex effective procedures. The existence and properties of such sets first became known as a result of this famous result...
(邦訳249ページ/原書pp. 261-262。ただし下線は山本による)
「生産的集合(productive set)」とはメタ数学の概念である。
上記邦訳のうち、「どんな有限の手続きをもってきてもその要素をすべてもれなく数え上げることはできないが」という部分は少し気になるので、原文に即して読んでみよう。原文は上にも掲げたようにこう書いてある。
a set whose elements cannot be totally enumerated by any effective procedure without overstepping the bounds of that set
どんな実行可能な〔効果的な〕手続きを用いたとしても、その集合の境界を越えることなくして、要素を完全には数え上げられないような集合
邦訳では、意図してか、参照している原書の版がちがうのか、原文にある” without overstepping the bounds of that set”に相当する文がないように見える(私が見ている邦訳は1990年9月25日発行の第1版第2刷)。
また、”effective procedure”を邦訳では「有限の手続き」としている。辞書的に直訳すれば「効果的な手続き」「有効な手続き」「実効的な手続き」となるだろうか。現在の計算機科学では、「実行可能手続き」と訳されたりもする。もっとも、手続きが有限でなければ、私たち人間にしろ、性能に限りのあるコンピュータにしろ、実行できないわけだから、結果的には「有限の手続き」といってもよいのだろう。
この点の理解のために、計算機科学の教科書から、”effective procedure”の説明を引用してみる。
(略)計算可能性の概念は、単に数値計算に限定されるものではなく、一般に、「機械的に実行できる手続き(procedure)とはチューリング機械の動作として記述できるものである」とみなされるようになっている。とくに、ある問題を解くための手続きが、いかなる具体例に対しても必ずいつかは停止して結果を出すことが保証されている場合、その手続きは実行可能(効果的)手続き(effective procedure)あるいはアルゴリズム(algorithm)とよばれる。
たとえば、与えられた実係数の1元1次方程式ax + b = 0を解く問題を考えたとき、これを解く手続きは明らかに存在し、どのような実係数a、bが具体例として与えられても(すなわち、任意の方程式に対して)、必ず解を出して停止することができる。したがって、この手続きはアルゴリズムである。
(富田悦次+横森貴『オートマトン・言語理論 第2版』(北森出版、2013)、178ページ。ただし下線は山本による)
つまり、コンピュータを使って数学の問題を解くような場合、有限の手続き(例えば、数式に対する操作)によって答えを出せる場合、そのような手続きを「実行可能手続き」とか「効果的手続き」というわけである。
これは英語の"effective procedure"を訳したもの。裏返していえば、有限の手続きでは答えを出せない問題もある、ということが含意されている。要するに、数学のある問題について、有限の手続きで解けますか、解けませんか、という区別をする話だ。「アルゴリズム」という語と言い換えられると説明されている。
――という補足を踏まえて、先ほどのホフスタッターの引用を今度は拙訳で見直そう。
どんな実行可能な〔効果的な〕手続きを用いたとしても、その集合の境界を越えることなくして、要素を完全には数え上げられないような集合
実行可能な手続きでは、要素を完全に数え上げられないような集合があって、こういうものを「生産的集合(productive set)」と呼ぶわけである。実際には、自然数に関する話。後に触れるように、これを文字「A」について用いるのはホフスタッターも述べているように比喩である。
7-2.ホフスタッターはなぜ生産的集合について論じているのか
ところで、ホフスタッターは、なぜ生産的集合について論じているのか。ここでユールが例に挙げていた文字「A」が関わってくる。
先ほどの引用は、ホフスタッターの『メタマジック・ゲーム』の第13章「メタフォント、メタ数学、そしてメタ思考」と題された文章が出所だった。その章では、ドナルド・クヌースによる「メタ・フォントの概念(The Concept of a Meta-Font)」が検討されている。
クヌース先生といえば、コンピュータ科学の世界では知らぬ者のいない大先生。彼は数式を含む文章をコンピュータで美しく印刷できるようにするTEXというシステムの作者としても知られている。
(余談――私は1990年に大学に入学した。私が通ったキャンパスでは、レポートはすべてLaTeXというソフト(というか言語)を用いて作成することが義務づけられていたと思う。たしかにこの言語を使ってレポートを書くと、数式や脚注などもきれいにつくれるのでよいのだが、当時はなぜこんな面倒なことをするのだろうかと疑問に感じたりもした。クヌース先生ご自身は、自分の必要からこのプログラムを書いたということを後で知り、改めてTeXのありがたさを感じ直したということがあった。とは、ただの思い出話)
メタ・フォント(Meta-Font)とは、これもまたクヌース先生が考えたことの一つ。せっかくだから「メタ・フォントの概念」の冒頭を読んでみよう(こういうことをしているから、先に進まないのだった……)。
アリストテレスの哲学作品に『メタフィジクス』〔形而上学〕と称されるものがある。なぜそう呼ばれるかといえば、その本は、彼の著作を並べる際の慣習で、『フィジクス』〔自然学〕の後ろに置かれるためである。20世紀になって、人びとは、このギリシア語の接頭辞がもともとどんな意味だったかを忘れてしまっている。「メタ(meta-)」とは、この語で修飾されるものならなんであれ、そこに超越論的な性質を付け加えるものだ。〔例えば、〕メタサイコロジー(精神はそれを含んでいる身体とどう関係しているかを研究する分野)〔メタ心理学〕、メタマセマティクス(数学の根拠の研究)〔メタ数学、超数学〕、メタリングイスティクス(言語がどのように文化と関わるかの研究)〔メタ言語学〕などがある。メタ数学では、メタ定理(定理についての定理)を証明する。また、コンピュータ科学ではメタ言語(言語を記述する言語)を使うことが多い。「メタ」が頭につく新しい造語は、現代の私たちが物事を外側から、より抽象的な水準から見ようとする傾向を反映したもので、私たちはそれをいっそう深い理解であると感じる。
こうした意味で「メタ・フォント」とは、単にフォントを描くだけでなく、フォント・ファミリーをどのように記述するかという図式のことである。そうした記述では、文字を描く手続きについて、およそ正確なルールを与えるものだ。また、そのルールは、理想的に言えば、変化するパラメータとして表現されるだろう。そこで、単一の記述は実際には、たくさんの異なった〔文字の〕描画についてその条件を指定する。そういうわけで、メタ・フォントのルールは、パラメータの設定によって、様々な異なる個々のフォントを定義するだろう。
(Knuth, “Concept of a Meta-Font,” in Visible Language, XVI 1, Winter 1982, p.3)
――という具合で、メタ・フォントとは、一群のパラメータによってさまざまなフォントを描くためのルールの集まりといってよいだろう。
ホフスタッターは、このクヌース先生の論文の主張を「コンピュータの出現によってあらゆる文字の形を統一的に扱うことが可能になりつつある」と拡張した上で、その要点を次のようにまとめている。
(1)ありとあらゆる「A」という文字の形の下に唯一の究極的な抽象形「A」が存在し、それを有限個のパラメータをもったアルゴリズムとして記述できる――有限個のノブの付いたソフトウェア機械とでも呼べるようなものの存在。(ノブというかわりに自由度、またはパラメータといってもよい。)
(2)そして考えうるすべての個々の「A」は、この機械のノブをある値に合わせることによって得られるということ。
(邦訳248ページ/原書p.261)
これをさらに、有限個のパラメータで、あらゆる「A」という文字を描くためのアルゴリズム(実現可能な手続き)をつくれる、と要約してもよいだろう。
「パラメータ」という語が分かりづらいかもしれない。これは数学やコンピュータの分野では、内容が変化する変数の一種。例えば、車というオブジェクトを、位置、重さ、速度といった変化する可能性のある要素で表現するような場合、これらの位置、重さ、速度などを、この車のパラメータなどと称したりする。
(図:多様な「A」の形。『メタマジック・ゲーム』から)
つまり、クヌース先生は、フォントというものを、有限のパラメータ(内容が変化する変数)の集合体として表現できるんじゃないか、と提案しているわけである。もし、そうできれば、フォントを構成する各種パラメータの内容(数値)を変えることで、いろんなフォントを自動的に作れちゃうでしょう、という話だ。
ホフスタッターは、クヌース先生自身はそこまで言っていないが、と断った上で、この議論を、ありとあらゆる「A」という文字を生成するアルゴリズム、という具合に言い換えている。そして、そうしたことは不可能であるというのがホフスタッターの見立てだ。
「文字A」というようなカテゴリーによって定められる「空間」全体を埋めつくすことは無限の創造力を必要とする業であって、有限の存在(機械的なメカニズムであれ生きものであれ)には、けっしてすべての可能な「A」、そして「A」だけを生成することはできない(略)と私は思っているからである。
人生は有限だから誰も無限の創造をすることはできない、というあたりまえのことをいっているのではない。たとえば「文字A」というカテゴリーの(無限に多くの)具体例のすべてを理論上は生成できるような、「秘密の処方箋」を誰ももつことはできないという自明ではない主張をしているのである。実際、そんな処方箋は存在しないと。別の言い方をすれば、無限の時間が与えられてあなたが考えることのできるすべての「A」を書ける――すなわち、あなたの処方箋の能力をフルに引きだすことができる――としても、「A」の張る空間のほとんどの部分はカバーできないということである。
(邦訳249ページ/原書p. 261)
「秘密の処方箋」の原語は”secret recipe”で、「秘密の妙案」という感じで読んでもよいだろう。
それはともかく、こうした前提があって、ユールが引用した「生産的集合」の議論が出てきたわけである。上記に続く箇所は、先ほども引用したが、今度は拙訳で書いてみよう。
以上のことをメタ数学の用語でいえば、実質的に、どんな概念(あるいは意味)のカテゴリーも生産的集合であると仮定することに等しい。生産的集合とは、厳密な概念であり、その性質は、前段落の記述に形式的に対応している。つまり、どんな実行可能な〔効果的な〕手続きを用いたとしても、その集合の境界を越えることなくして、要素を完全には数え上げられないような集合である。ただし、実行可能な手続きをだんだんと複雑にしてゆくことで、いっそうよく近似できる。
そして、こうした生産的集合というものは、ゲーデルの不完全定理の結果として出てきたものだ、という次第。ここでは省略するが、ホフスタッターは、これに続くくだりで、ゲーデルの定理について、譬えを用いて解説している。
それに続いて述べられている次の文章を読んでおくと、ユールがなぜ「生産的集合」という概念を援用しようと考えたのかが、理解しやすくなるかもしれない。
与えられたシステムでは証明できない真理を追加することによって、ちょっとばかり強力なシステムを作ることができる。しかしこのシステムも、もとのシステム同様、ゲーデルの魔力から逃れることはできない。諺で有名なオランダの少年が、漏れた部分を指でおさえるたびに新しい漏れ口が出現するような堤防を想像してみよう。彼に無限の指があったとしても、堤防の壁には彼の指でおさえられていない部分がいくらでも見つかる、というしだい。少なくとも一つの証明できない真理を含むシステムのことを不完全であるといい、どうやってもこの不完全さから逃れられないとき、本質的に不完全という。このまったくあきれるほど頑固な性質をもった集合のことを生産的と呼ぶのである(くわしくはロジャースの本参照)。
「意味的なカテゴリーは生産的な集合である」という私の主張は、もちろん数学的に証明できる事実ではなく、一つの比喩である。私以前にもこの比喩を使った人たちがいた。とくに論理学者のエミール・ポストやジョン・マイヒルがそうである。そして、私自身も以前、このことに関して書いたことがある(第23章参照)。
(邦訳251ページ/原書p.263)
という具合で、ホフスタッターは、生産的集合というメタ数学の概念を、一種の比喩として使っているわけである。そう、比喩であることに注意しよう。
彼がここで参照せよと述べている文献は、次のとおり。
★Hartley Rogers, Jr., Theory of Recursive Functions and Effective Computability (MIT Press, 1967)
★Emil L. Post, “Absolutely Unsolvable Problems and Relatively Undecidable Propositions: Account of an Anticipation,” in The Undecidable, edited by Martin Davis, Raven, 1965, pp. 338-443
★John Myhill, “Some Philosophical Implications on Mathematical Logic: Three Classes of Ideas,” Review of Metaphysics 6, no. 2 (Desember, 1952), pp. 165-198
特にホフスタッターによる以下の主張は、ユールの議論に近い形をしているように思う。
どんなに多くの変種を(たとえば)ヘルベティカ〔という書体〕に追加していったとしても、人はいつでもまったく新しい思いもよらなかった変種を思いつくことができる――たとえば丸型ヘルベティカ、飾り付き丸型ヘルベティカ、フレア付きヘルベティカというふうに。
どんなにたくさんのノブ――あるいはさらに新しいノブのワンセット――をヘルベティカ機械に追加したとしても、必ずいくつかの可能性を抜かしてしまうのだ。私たちは、有限のパラメータ化では予測しえない新しいヘルベティカの変種を永遠に発明することができる。(略)既存の字体からヒントを得て、ヘルベティカを新しい方法で変形したものをいくらでも想像することができる。
(邦訳259ページ/原書pp. 271-272。ただし〔〕内は山本による補足)
ここではヘルベティカという字体とその変種について述べられている。これをゲームに置き換えて読めば、ユールが言わんとしていたことに近い。また、文中の「ノブ」は、ゲームに共通の性質と読み替えればよい。
■関連リンク
⇒日曜社会学 > 「イェスパー・ユール『ハーフリアル』読書会」
http://socio-logic.jp/events/201706_Half-Real/
■関連文献
⇒Donald E. Knuth, The Concept of a Meta-Font (1982)〔pdf〕
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今回の議論に直接関わるわけではないが、近年出た類書から。