イェスパー・ユール『ハーフリアル』読書会のためのメモランダム #09

読書会での報告準備として、イェスパー・ユール『ハーフリアル』(松永伸司訳、ニューゲームズオーダー)の第2章「ビデオゲームと古典的ゲームモデル」を読んだメモを公開しています。

 

■メモランダム9.第2章第2節:言葉の問題

9-1.「遊び」と「ゲーム」

第2章の第2節「言葉の問題(The Language Issue)」に進もう。

この節は3つの段落から成っている。

順に読んでみる。まずは第1段落から。

 はじめに注意しておくべき問題がある。遊びplay)とゲームgame)は、密接な関係を持つものであると同時に、互いに異なるものでもある。このことは、おそらく容易に受け入れられるものだろう。「遊び」は、たいていの場合、縛りのない自由な活動を指す。それに対して「ゲーム」はルールにもとづいた活動を指す。問題は、この区別がまさに当の使用言語に依存しているという点にある。フランス語の「jeu」、スペイン語の「juego」、ドイツ語の「Spiel」などは、いずれも遊びとゲームの両方を意味する。そのおかげで、多くの論者は遊びとゲームを区別しないまま議論している。

(邦訳41ページ/原書p. 28。ただし下線部は原文では傍点)

 

ゲームの定義の検討に進む前に、もう一つ注意すべき点がある。

「遊び(play)」と「ゲーム(game)」という具合に、英語(日本語)で区別される二つの言葉は、言語によっては必ずしも同じように区別されていない。

そこで、論者がどの言語でゲームや遊びを論じているかによって、ゲームと遊びは明確に区別されていない場合がある、というわけである。

 

例によって原文も自分で読んでおこう。

(このメモを始めるにあたって述べたことだが、松永伸司さんによる訳文は、適切であり、読みやすく整えられている。ここでは、英語の原文がどのような語彙をどのような順に並べているか、という文体を自分でも読むことで、なにか気付くことがあれば、というつもりでこのように読んでいる次第)

The first thing to note is that it may be easy to accept that there is a difference as well as a close relation between play and game. Play is mostly taken to be a free-form activity, whereas game is a rule-based activity. The problem is that this distinction is very dependent on the language used, and much confused by the fact that in French, Spanish, or German, neither jeux, juego, or Spiel has such a distinction.

 

まず次のことに注意しておきたい。つまり、「遊びplay)」と「ゲームgame)」の間には密接な関係と同じく違いがあるということは受け入れやすいだろう。「遊び」はたいていの場合、自由な形の活動のことだ。他方で、「ゲーム」はルールに基づいた活動を指す。そこで問題は、両者の区別が〔論者の〕使う言語にまさに依存しており、また、フランス語、スペイン語、ドイツ語では、jeuxjuegoSpielという語が、そうした区別をしていないためにたいへんな混乱をもたらす点にある。

 

なお、原文は改行がなく、この節全体が一つの段落から成っている。

 

9-2.英語の場合、デンマーク語の場合

邦訳の第2段落は次のように続く。

 

 英語にも若干の混乱のもとがある。「play」は名詞としても動詞(「you play a game」のように)としても使われるが、「game」は、ほとんどの場合、名詞として使われるからだ。結果として、英語では、ふつうゲームはあそびの部分集合と見なされる。一方、スカンジナビアの諸言語では、「leg」(遊び)と「spil」(ゲームをもっとはっきり区別する。また、それぞれに対応する動詞もあるので、「遊びを遊ぶ」(「lege en leg」)とか「ゲームをゲームる」(「spille et spil」)と言うことができる。それゆえ、デンマーク語でゲームについて論じる場合、ゲームが遊びの部分集合であるということは自明ではない。それに対して、ドイツ語でSpielについて論じる場合は、そもそもゲームと遊びを区別すべきかどうかというところからして自明ではない。このことは、たとえばヴィトゲンシュタインやカイヨワのような、遊びとゲームをそもそも明確に区別しない言語を使う論者の英語訳にはっきりとあらわれている。

(邦訳41-42ページ/原書p. 29)

 

ご覧のように、言語の比較考察が続く。英語では、playとgameは区別されるものの、それぞれの語は使われ方が異なっており、ゲームが遊びの一部であると見なされる、とユールは述べている。彼は品詞の区別にも注意を払っている。

他方で、デンマーク語では、legとspilを明確に区別しているという。

 

語学学習サイトのduolingoで、まさにこの二つの語(の動詞形)についての質問が提示され、次のように回答が寄せられている。

Q. What's the difference between 'leger' and 'spiller?'

A. Leger is generally an unorganized, unstructured, spontaneous game (such as kids might play in the yard) while spiller is the opposite: structured, planned, with rules (such as a board game, a video game, etc).

The same goes for the equivalent nouns en leg and et spil which both translate to a game. Notice that these are used in strict pairs to describe doing the activity:

Vi leger en leg, but
Vi spiller et spil, both of which mean we play a game.

 (https://www.duolingo.com/comment/4334609から)

 

いま読んでいる第2段落は、原語ではこう書かれている。

In English, this is also a bit muddled since “play” is both a noun and a verb (you play a game), whereas “game” is mostly a noun. In English, it is common to see games as subset of play. Scandinavian languages have a stronger distinction with leg = play and spil = game with verbs for both – you can play play(“lege en leg”) and game game (“spille et spil”), so to speak. When writing about games in Danish, it is therefore not self-evident that games are a subset of play, whereas while writing about Spiel in German, it is not obvious that one should distinguish between games and play from the outset. This manifests itself with the English translations of writers such as Ludwig Wittgenstein and Roger Caillois who write in languages with no clear play/game distinctions.

 

英語でも、両者はいくらかごっちゃになっている。というのも「遊び」は名詞でもあり動詞でもある(you play a game)。他方で、「ゲーム」はたいていの場合名詞だ。英語では、よくゲームを遊びの部分集合と見なす。スカンディナヴィアの諸言語では、leg(遊び)とspil(ゲーム)をより明確に区別しており、共に動詞がある。例えば、「遊びを遊ぶ(lege en leg)」「ゲームをゲームする(spille et spil)」と言うことができる。そういうわけで、デンマーク語でゲームについて書く場合、ゲームが遊びの部分集合である、ということは必ずしも自明とは言えない。他方で、ドイツ語でSpielについて書く場合、はなからゲームと遊びを区別すべきであるということは明確でない。こうしたことは、ルートウィヒ・ウィトゲンシュタインやロジェ・カイヨワが書いたものを英語に訳す際にあらわになる。というのも、彼らが使う言語〔ドイツ語、フランス語〕では、遊びとゲームの区別ははっきりしていないからだ。

 

そういえば、ユールは第2章の冒頭でもウィトゲンシュタインに触れていた。(こちらをご覧あれ

 

また、日本語の場合はどうなのか、という点については「ゲーム」と「遊び」という具合に、gameのほうをカナで音写して日本語に取り込んでいる。また、playも「プレイ」と音写することもあれば「遊び」と訳される場合がある。

日本語の「ゲーム」という語については、先頃「ゲームと人間――魔法円から人は何を持ち帰るのか」(『atプラス』第32号、太田出版、2017/05)というエッセイで少しばかり論じておいたので、興味のある向きはご覧いただければ幸いである(関連する記事はこちら)。


9-3.ルールに基づくゲーム

第3段落は次のとおり。

 もちろん、英語で論じる場合も、「game」という言葉自体が重要なわけではない。たとえば、「大きな獲物を狙う」(big game hunting)と言う場合の「game」は、〔われわれが関心を抱いている意味でのゲームとは〕異なる事柄だとふつう考えられるだろう。そこで、次のことをはっきりさせておきたい。この章の焦点は、ルールにもとづくゲーム(rule-based game)という意味でのゲームにある。

(邦訳41-42ページ/原書p. 29)

 

冒頭の「もちろん~重要なわけではない」という文は、少々意味をとりづらく感じる。これはすぐ後で原文を確認することにする。

第2文は、gameという語について、本書が対象とするカードゲームやボードゲームやスポーツやヴィデオゲームという場合の「ゲーム」とは別の意味について触れている。gameという英語も多義だが、本章では「ルールに基づくゲーム」という意味でこの語を使うという次第。

 

原文はどうなっているか。

At the same time, even within the English language, our focus is not on the letter sequence g-a-m-e, since we probably consider big game hunting to be a slightly different thing. To clarify, the focus here is on the set of games that we can describe as rule-based games.

 

同時に、英語の場合でも、私たちとしてはg-a-m-eという綴り〔で表現されるもの全体〕に注目しているわけではない。というのも、私たちとしては、「大きな獲物を狩る」(big game hunting)〔という意味でのgameについては、ここで考えたいこととは〕少し別のことであるとみなすだろう。はっきりさせておくなら、ここで焦点を当てたいのは、ルールに基づくゲームとして記述できる一群のゲームなのである。

 

――というわけで、このように読んでみれば、邦訳の「英語で論じる場合も、「game」という言葉自体が重要なわけではない」という訳文も腑に落ちる。

 

9-4.『ルールズ・オブ・プレイ』の場合

以上が第2節である。

ここで参考のために、ユールも参照しているケイティ・サレンとエリック・ジマーマンの『ルールズ・オブ・プレイ――ゲームデザインの基礎』(拙訳、ソフトバンク クリエイティブ)〔Katie Salen and Eric Zimmerman, Rules of Play: Game Design Fundamentals (MIT Press, 2004)〕を見てみよう。

f:id:yakumoizuru:20170712014215j:plain

(翻訳に使った原書。ページを分解して持ち歩いたため、ページはバラバラ)

 

というのも、同書の第7章と第8章は、「ゲームを定義する」「ディジタルゲームを定義する」と題して、ユールと同様の考察を行っているからである。

サレンとジーママンは、同書第7章「ゲームを定義する」の冒頭近くで「遊びとゲーム」という節を置いている。そこでは「遊び(play)」と「ゲーム(game)」という二つの言葉が比較されている。議論はこんな具合。

初めの一歩として、ゲームというものが、それに負けず劣らず複雑な遊びというものと、どう関わっているのかを確認しよう。さてそこで、当たり前過ぎると思うかもしれないが、こんな問いを立ててみる。「遊び」と「ゲーム」という言葉は違うものか。それとも、この二つの言葉は同じものを指しているのか。ちなみに英語では、この二つの言葉ははっきりと区別されている。他方で、デイヴィッド・パーレットが『オックスフォード版ボードゲーム史』で指摘しているように、他の言語でも同様とは限らない。例えば、ドイツ語とフランス語では、「ゲームで遊ぶこと(to play a game)」と表現しようと思えば、「遊び(play)」と「ゲーム(game)」という言葉に対して、根が同じ派生語を使い分けることになる。つまり、フランス語では、”on joue à jeu”だし、ドイツ語なら”man spielt ein Spiel”となる)。というわけで、遊びやゲームという言葉にはさまざまな定義の仕方があるけれど、ゲームと遊びという言葉を、互いに関係してはいるものの、別の観念〔アイディア〕としてそれぞれに異なる意味を与えて区別している英語には強みがあるというわけだ。

(『ルールズ・オブ・プレイ』邦訳、上巻、142ページ/原書p. 72。ただし〔〕内はルビ)

 

一旦ここで区切ろう。

彼らは、パーレットの議論を援用して、英語、フランス語、ドイツ語の場合を比較している。英語ではplayとgameは別の語だが、フランス語とドイツ語では同根の語を使い、区別されないという話は、ユールも踏襲している。

ただし、サレンとジマーマンが、game/playの区別について、独仏語に対する英語の優位を確認している点については、先ほど見たようにユールは、英語の場合も若干混乱すると指摘していた。また、デンマーク語ではgame/playに相当する語が、名詞としても動詞としても使えると述べており、この点についてサレンとジマーマンの議論にはないものを付け加えている。

 

続きを見てみよう。

 さて、遊びとゲームには、実に込み入った関係があることが分かっている。遊びは「ゲーム」と比べて、広くもあり狭くもあるけれど、どちらになるかはどんな枠組みで見るかに拠っている。ある見方をとれば、「遊び」のほうが広い用語で、「ゲーム」がその一部として含まれることになる。また別の見方をとれば逆も真なりで、「ゲーム」のほうが広い用語で、「遊び」がその一部として含まれることになる。こうした両者の関係を次のように分けて考えておこう。

 

関係その一 ゲームは遊びの一部である
 それこそ野原で二匹の犬が楽しげ〔プレイフル〕に追いかけっこをしていることから、童謡を歌っていることや、オンラインRPGの集い〔コミュニティ〕まで、人が「遊び」と呼んでいる活動全般について考えてみると、そうした遊びのあり方〔フォーム〕のうち、一部だけが、私たちが「ゲーム」という言葉で考えている事柄であるように思える。例えばドッジボールをするのはゲームで遊ぶことだ。つまりプレイヤーは、明確に形を整えられた一連のルールに従って勝負を競う。しかし他方で、シーソーで遊ぶとか、ジャングルジムでやんちゃをするといった活動は、ゲームとは言えない遊びのあり方だ。思えば、ほとんどの遊びは、まとまりという点で見ると、ゲームよりゆるかったり、そもそもまとまりがなかったりするものだ。とはいえ、中には形が整えられている遊びのあり方もあって、そうした遊びのあり方はゲームであるとみなしてよい場合が多い。こう考えてみると、「ゲーム」は「遊び」の一部〔部分集合〕であることははっきりしている。これは、類型的〔タイポロジカル〕な扱い方〔アプローチ〕であり、遊びとゲームの関係を、両者の実際のあり方〔フォーム〕に沿って定義するものだ。

 

関係その二 遊びはゲームの構成要素である
 今度は別の方向から見ると、ゲームは遊びを含んでいると考えてみることができる。本書はまるごとゲームについて書かれた本だが、そのゲームを構成する要素の一つが遊びというわけだ。遊びという経験は、ゲームを考察したり、理解するための数あるやり方の一つにすぎない。ということは、ゲームという幅広い現象の中で、ゲームの遊びというものは、ゲームの一側面だけを表しているというわけだ。遊びは、ゲームという大きな概念にとって不可欠の要素であるとはいえ、「遊び」はせいぜい「ゲーム」の一部に過ぎない。両者の関係をこんなふうに考えてみるのは、先ほどの類型的な扱い方と比べると、むしろ概念的な扱い方である。このやり方では、遊びとゲームとがゲームデザインの領域に位置づけられている。

 (邦訳143-144ページ/原書pp. 72-73)

 

ご覧のように、サレンとジマーマンは、「ゲーム」と「遊び」を、一方が他方を含むという関係で二通りに整理している。

前者の「ゲームは遊びの一部である(games are a subset of play)」という見方は、ユールが「英語では、ふつうゲームは遊びの部分集合と見なされる」と述べていることに対応している。

後者の「遊びはゲームの構成要素である(play is a component of games)」のほうは、「ゲームにはあらゆる遊びが含まれている」という意味ではないことに注意しよう。”play is a subset of games”ではなく”play is a component of games”と書かれているのはそのためだ。

このことを理解する上では、シリアス・ゲームと呼ばれるゲームを考えるとよい。シリアス・ゲームとは、娯楽のためだけではなく、ゲームで遊ぶことを通じて、知識が増えたり、エクササイズを行えたりといった、娯楽以外のなんらかの効果をもたらすゲームを指す。この場合、シリアス・ゲームには「遊び」だけではない要素が含まれている。

 

こうしたゲームと遊びの関係については、もう少し考えられることがありそうだが、その前に、『ルールズ・オブ・プレイ』の今読んできたくだりについて始末をつけておこう。上記の二つの関係を述べた後で、こう続く。

 遊びとゲームを巡るこうした二つの扱い方は、きっと相反するように見えるだろう。しかし、これは言葉を巧みに操ってみせただけ、という話ではない。ここで大事なことは、「ゲーム」と「遊び」という二つの言葉には、決定的な違いがあるということだ。英語は、おそらく例外的にこの二つの言葉を分けているのだが、これは非常にありがたい区別だ。ゲームをうまく定義するには、いましがた説明した二つの意味で、ゲームと遊びをはっきりと区別せねばならない。

(邦訳144ページ/原書p. 73)

 

彼らは英語がそうであるように「ゲーム」と「遊び」という二つの語をはっきり区別して考えることを重視している。

特に、ユールも指摘していたように、英語のgameが名詞で使われがちであるのに対して(動詞形もある)、playは名詞であり動詞でもある。つまり、人の営みとしてゲームを捉える場合、「play=遊ぶ」という動詞が必要である。この点で、フランス語やドイツ語のようにgame/playが別の語になっていなかったとしても、「遊ぶ」に相当する動詞があることには注意しておこう。モンダイは、遊ぶという営みの対象として名指されるものが、その動詞と同根の語なのか、それとは違う語なのか、という違いだ。

 

9-5.日本語の場合

この点、日本語ではどうか。

a. ゲームで遊ぶ
b. 遊びでゲームする
c. ゲームする
d. 遊ぶ

という具合に表現できる。a、b、cの三つは、ほぼ同じ意味で捉えることができる。ただし、cについてはbとの対比で、遊びではない状況でゲームをすることが考えられるかもしれない。例えば、

e. 仕事でゲームする
f. 勉強でゲームする
g. 研究でゲームする

という具合に、必ずしも「遊び」とは言い切れない状況でゲームをする場合がありうる。cはその点で、「遊び」とは限定されていないといえばされていない。

dは「遊ぶ」であり、これはゲームとは限らない遊びが含まれるだろう。例えば、「友だちと一緒に遊んだ」という場合、ゲームをする場合もあるが、ゲームはせず、一緒に買い物やお茶に行ったり、海や公園に行ったりすることも指す。

 

9-6.ゲームと遊びの関係

また、頭を整理するために言えば、「ゲーム」と「遊び」の二つの言葉について、形式的には次のような関係を考えることができる。

1. ゲームは遊びの一部である
2. 遊びはゲームの一部である
3. ゲームと遊びは一部重なっている
4. ゲームと遊びは等しい
5. ゲームと遊びは等しくない

1と2は、サレンとジマーマンの区別。3、4、5はそれぞれ、図にすれば下のようになる。

f:id:yakumoizuru:20170712014108j:plain

(『ルールズ・オブ・プレイ』上巻とその余白のメモ)

 

仮にゲームには遊びを含むとともにそれ以外の要素が含まれると見なせるなら、3の図にも意味はありそうだ。

 

4は「ゲーム」は「遊び」とぴったり重なっている。言葉としては違うけれど、まったく同じ意味という状態を指している。そのように限定してこの二つの語を使うことはできるものの、それぞれの語の来歴を考えると、同じ語とは言いがたい。あるいは、gameを「遊び」や「遊戯」と訳すのであれば、その場合は「ゲーム=遊び」と見なしているとも考えられる。

 

5は、そもそも「ゲーム」と「遊び」は別のものであり、重なるところはないという見立てである。これは経験的に考えづらい。とはいえ、先ほど考えてみたように、遊びとしてではなくゲームを行うことがあるとすれば、その場合、ゲームは遊びではないとも言える。仮に「ゲームする」という動詞を認めるなら、それを「遊び」として捉えるか、それ以外の例えば「仕事」として捉えるか、というふうに、見立て次第であるということにもなる。

 

■関連リンク

⇒日曜社会学 > 「イェスパー・ユール『ハーフリアル』読書会」
 http://socio-logic.jp/events/201706_Half-Real/

 

■関連文献

ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム

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Half-Real: Video Games between Real Rules and Fictional Worlds (MIT Press) (English Edition)

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atプラス32(吉川浩満編集協力)

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