イェスパー・ユール『ハーフリアル』読書会のためのメモランダム #04

イェスパー・ユール『ハーフリアル』(松永伸司訳、ニューゲームズオーダー)の第2章「ビデオゲームと古典的ゲームモデル」の第3段落を読みます。

 

■メモランダム4.第2章第3段落:ゲームを定義する目標

4-1.ユールの定義の目標

邦訳では第3段落だが、原書では邦訳第2段落と同じように、第1段落である。

もちろん、ゲームを定義する試みは、これまでにも数多くあった。しかし、この章で提示される定義は、〔これまでの定義とはちがって、〕ビデオゲームとそれ以外のゲームはどういう関係にあるのかとか、ゲームと非ゲームの境界はどうなっているのかといったことを説明することを目標にする。

(第2段落、訳書40ページ/原書p. 23, 28)

 

いったんここで区切ろう。

 

ユールがゲームを定義する際、何を目標とするのかが述べられている。抽出して並べればこうなる。

i) ヴィデオゲームとそれ以外のゲームの関係を説明する定義である

ii) ゲームと非ゲームの境界はどうなっているのかを説明する定義である

  

原文に沿って自分でも読んでみよう。

While many definitions of games have been attempted, the one I will propose here has the goal of explaining what relates video games to other games and what happens on the borders of games.

 

一方では、これまでさまざまなゲームの定義が試みられてきた。他方で私がこれからここで提起してみせる定義では、次の点について説明するのを目標としている。つまり、何がヴィデオゲームをその他のゲームと関係づけているのか、そうした諸々のゲームのあちこちの境界では何が起きているのか。〔こうした点を説明する定義を提案しよう〕

 

 定義の目標を同じく抽出して並べるとこうなる。 

・what relates video games to other games

 何がヴィデオゲームをその他のゲームと関係づけるのか

 

・what happens on the borders of games

 そうした諸々のゲームのあちこちの境界では何が起きているのか

 

“the borders”と定冠詞がついた複数形になっている点を上のように読んでみた。

 

また、「〔これまでの定義とはちがって、〕」という訳者による補足を踏まえると、ユールが提示しようとしている定義は、上記の2つの点で先行する定義とは違っている、ということになる。

 

では、果たして先行する定義にはどのような特徴があるのか。それはユールの言うように、上記2点を目標としていないのか、といった問いを念頭に置いて、先を読むことにしよう。

 

4-2.定義によって理解したいこと

文はこう続く。

そこで求められるのはどんな定義なのかについて、あらかじめスケッチしておこう。われわれが〔ゲームの定義を通して〕理解したいと思っているのは、おそらく次のような事柄だろう。ゲームそれ自体(ゲーム開発者によってデザインされた人工物)が持つ固有の特徴はなんなのか、プレイヤーはゲームとどのように相互行為するのか、遊びはたとえば仕事とはちがうとされるが、それはいったいどういうことなのか――こういった事柄だ。

(第2段落、訳書40ページ/原書p. 23, 28)

 

先ほど見たような2点を満たすのは、いったいどのような定義だろうか、というわけである。

 

3つのことが言われている。

a) ゲーム固有の特徴はなにか

b) プレイヤーはゲームとどのように相互作用するか

c) 遊びは仕事とちがうと言われるが、どういうことか

 ここでは区別のために、先ほどのi、iiとは別に小文字のアルファベットを振っている。

 

ゲームを定義することで、こうした問いに答えたい、という主張だ。

これは、先ほど述べられたiとiiの件とは、どう関係するのだろうか。

 

iとiiは、これから提示されるユールによるゲームの定義の目標だった。もう一度示そう。 

i) ヴィデオゲームとそれ以外のゲームの関係を説明する定義であること

ii) ゲームの境界で生じていることを説明する定義であること

  

a、b、cは、いずれもiiに関係しているようにも見える。つまり、

aのゲーム固有の特徴とは、ゲームではないものとの違いでもある(ゲームと非ゲームの境界)。

bは、ゲームそのものとゲームからすれば、その外にあるとも言えるプレイヤーとの境界(ゲームとプレイヤーの境界)。

cは遊びと仕事の境界(ただし、ここは「ゲームと仕事の境界」ではなく、「遊びと仕事の境界」と言われていることに注意しておこう。これについては、ゲームと遊びの関係をユールがどう見ているかにもよる)。

 

――という具合に、a、b、cは、見ようによっては、ゲームとそれ以外のなにかとの境界に関する問いであると読むこともできる。

 

この場合、iはどうなるか。iは「ヴィデオゲームとそれ以外のゲームの関係」ということで、「ヴィデオゲームとそれ以外のゲームの境界」の話である。と読むと、iはiiの一部であるとも言えそうだ。

 

以上を念頭に置きながら、原文を自分でも読んでみよう。

 

What should the definition look like?

その定義はどのようなものであるはずだろう。

 

We are probably interested in understanding the properties of the games themselves (the artifact designed by the game developers), how the player interacts with them, and what it means to be playing rather than, say, working.

我々として関心があるのはおよそ次のようなことだ。つまり、(ゲーム開発者がデザインする人工物である)ゲームに固有の性質、そうした〔ゲームで遊ぶ〕プレイヤーはゲームとどのようにやりとりするのか、また、例えば、〔そうしたゲームで〕働くというよりは、遊ぶというのはどういうことなのか――こうしたことを分かりたい。

 

ここまでを、私の訳でまとめてみるとこうなる。 

一方では、これまでさまざまなゲームの定義が試みられてきた。他方で私がこれからここで提起してみせる定義では、次の点について説明するのを目標としている。つまり、何がヴィデオゲームをその他のゲームと関係づけているのか、そうした諸々のゲームのあちこちの境界では何が起きているのか。〔こうした点を説明する定義を提案しよう。〕その定義はどのようなものであるはずだろう。我々として関心があるのはおよそ次のようなことだ。つまり、(ゲーム開発者がデザインする人工物である)ゲームに固有の性質、そうした〔ゲームで遊ぶ〕プレイヤーはゲームとどのようにやりとりするのか、また、例えば、〔そうしたゲームで〕働くというよりは、遊ぶというのはどういうことなのか――こうしたことを分かりたい〔定義によってはっきりさせたい〕。

 

4-3.あるべきゲームの定義

以上のようにユールによるゲームの定義の目標やそれによって理解したい問いを確認した上で、次のように続く。

 

そこで、次のように仮定しよう。あるべきゲームの定義は、以下の3つの事柄を説明する必要がある。

1. ゲームのルールから成り立つシステム

2. ゲームとプレイヤーの関係

3. ゲームをプレイすることとゲーム外の世界の関係

 (第2段落、訳書40ページ/原書p. 23, 28)

 

今度は、あるべきゲームの定義で説明すべきことが述べられている。

ここで言われていること自体は、分かりづらい点はないだろう。

ゲームの定義はこの3つのことを明確にするべきだと主張している。言い換えると、この3つの点を説明していない定義は、よろしくない定義だということだ。これはユールも述べているように「仮定」なので、この時点ではなぜそうあるべきかは、特に問わずにおこう。最終的には、なぜこのように定義するのか、説明を期待しよう。

 

ここも原文を見ておこう。

So let us assume that a good definition should describe these three things:

そこで、次のように仮定してみよう。つまり、優れた定義は、次の三つのことを記述するものとする。

 

(1) the system set up by the rules of a game,

(1) ゲームのルールによって構成されるシステム

 

(2) the relation between the game and the player of the game,

(2) ゲームとそのゲームのプレイヤーとの関係

 

and (3) the relation between the playing of the game and the rest of the world.

(3) そのゲームであそぶことと、その他の世界との関係

 

4-4.議論を整理する

ところで、この第3段落は、通して読むと若干混乱してくる。

 

そのつど各セクションで抽出してみたように、ユールはこの第3段落で、いくつかのことを述べている。改めて並べるとこうなる。

 

A) ユールの定義の目標

 i) ヴィデオゲームとそれ以外のゲームの関係を説明する定義である

 ii) ゲームと非ゲームの境界はどうなっているのかを説明する定義である

 

B) この定義によって理解したいこと、明確にしたいこと

 a) ゲーム固有の特徴はなにか

 b) プレイヤーはゲームとどのように相互作用するか

 c) 遊びは仕事とちがうと言われるが、どういうことか

 

C) 優れたゲームの定義が説明すべきこと

 1. ゲームのルールから成り立つシステム

 2. ゲームとプレイヤーの関係

 3. ゲームをプレイすることとゲーム外の世界の関係

 

AとBとCはどう関係しているのか、少々混乱してきた(あくまで私の場合だが)。

 

なぜ混乱したのかを考えてみた。

 

どうもA-iが、BとCにどう位置づけられるのかが、この時点では不明である。

 

A-iiとB-cとC-3はおそらく同じことを述べている。 

A-ii) ゲームと非ゲームの境界はどうなっているか

B-c) 遊びは仕事とちがうとはどういうことか

C-3) ゲームをプレイすることとゲーム外の世界の関係

  

また、B-bとC-2も同じことを述べている。

B-b) プレイヤーはゲームとどのように相互作用するか

C-2) ゲームとプレイヤーの関係

 

残るモンダイは、B-aとC-1である。 

B-a) ゲーム固有の特徴はなにか

C-1. ゲームのルールから成り立つシステム

  

こう並べてみると、ユールはこの二つを関連づけているように感じられる。

つまり、ゲーム固有の特徴とは、それがルールからなるシステムである。だから、よきゲームの定義では、そうしたルールによる構成物であるシステムとしてのゲームを説明すべきだ、という具合に。

 

そういう眼で第1章を読み直すと、「ゲームとはなにか」というセクションにこうある。 

古典的ゲームモデルは、6つの特徴からなる。それらの特徴は、それぞれ次の3つの異なるレベルで機能する。ルールの集合としてのゲームそれ自体のレベル、プレイヤーとゲームの関係のレベル、ゲームをプレイする活動とゲーム外の世界の関係のレベルだ。

(邦訳16ページ/原書p.6)

 

抽出すればこうなる。 

α)ゲーム自体=ルールの集合

β)ゲームとプレイヤーの関係

γ)ゲームプレイとその他の世界の関係

 

先ほど見たB-aとC-1の関係は、ここでいうαに相当する。つまり、ユールにとって、B-aとC-1は同じことを指しているらしいことが分かる。

 

ただし、この時点で読者としては、「ゲーム固有の性質=ルールの集合」という言い換えにはそのまま同意できる準備ができていない。ユールはここで、いわばこの後で述べる定義を先取りして示しているわけである。

 

――という具合に考えると、先ほど述べた混乱は収まる。残るモンダイは、先ほども述べたヴィデオゲームとその他のゲームの関係が、この定義にどう関わるかであるが、これは定義が示されるところで検討すればよいだろう。

 

4-5.こう書いてくれたら混乱しなかったかも

それにしても、ユールはなぜこのように、少々ややこしい書き方をしているのだろうか。

先ほどのA、B、Cの項目名だけを並べ直してみる。

A) ユールの定義の目標

B) この定義によって理解したいこと、明確にしたいこと

C) 優れたゲームの定義が説明すべきこと

 彼は、これから論じるはずの定義について、その目標を述べた(A)。つまり、自分の定義は、これこれのことを説明する定義だ、と。そして、その定義で何を理解したいのかを述べた(B)。そこで優れた定義であれば、説明すべきことを述べた(C)。先に見たようにBとCはほぼ同じことを別言している。

 

ここだけを抽出して考えてみると、ユールがこの第3段落で述べているのは、次のようにまとめられるだろうか。

・ゲームの定義によって理解したいことが3点がある。

・優れたゲームの定義であれば、この3点を説明すべきだ。

 私はなんとなく、このように論が立てられているように読めたために、ユールはなぜ同語反復的に議論しているのだろうと疑問を持ったのだった。これが先に述べた混乱の正体である。

 

おそらく、私は第3節で、こう言われたら混乱せずに読めたのだと思う。

ゲームを定義することで、次の四つの問いに答えたい。

 

1) ゲームに固有の性質とはなにか?

2) ゲームとプレイヤーはどのように関係しているか?

3) ゲームプレイとその他の世界はどのように関係しているか?

4) ヴィデオゲームとその他のゲームはどのように関係しているか?

  

ただし、ユールが自分の新しい定義を「古典的ゲームモデル」と呼んでおり、また、第1章で述べられていたことだが、ヴィデオゲームは古典的ゲームモデルに収まっていない(邦訳16ページ)のだとすれば、上記の4は1から3の問いに答える「古典的ゲームモデル」とは区別する必要がある。 

ユールが、古典的ゲームモデルという定義の他に、ヴィデオゲームをも含む総合的ゲームモデルのような区別を立てておいてくれると、もう一つ話がすっきりするのだが、少なくとも現時点では、そうした見通しは得られていない。

 

これは私の読み方による部分が大きいと思われるけれど、どうも私はユールの議論の運びに対して、素直についてゆけないと感じることが少なくない。機会があれば別途論じるけれども、例えば、第1章の冒頭部分でも、似たような混乱を感じたのだった。そして、検討してみた結果、どうもユールの言葉使いやものごとの分類の仕方に私が違和を感じるためであることが分かってきた。

 

とはいえ、これは表現についての好みのモンダイであるとも思う。引き続き、ユールの言わんとすることによく耳を傾けてゆこう。さまざまな疑問を抱いてテクストと対話することも、こうした精読の愉しみであり、ある違和感から生じる読み込みによって、自分では気付かなかったことを教えられるのだから。

 

■関連リンク

⇒日曜社会学 > 「イェスパー・ユール『ハーフリアル』読書会」

 http://socio-logic.jp/events/201706_Half-Real/

 

■関連文献

ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム

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Half-Real: Video Games between Real Rules and Fictional Worlds (MIT Press) (English Edition)

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