クレメント・グリーンバーググリーンバーグ批評選集』 (藤枝晃編訳、勁草書房、2005/04、amazon.co.jp)#0388


アメリカの美術批評家・クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909-1994)が書いた批評から、15編を選んで訳出した一冊。グリーンバーグの邦訳書としては、『近代芸術と文化』(Art and Culture)(瀬木慎一訳、紀伊国屋書店、1965[1961])につづき二冊目となる。


いま、美術批評という営為がどのような状況にあるのか、寡聞にして知らないのだが、門外漢の目から21世紀初頭の日本の状況を眺めるにつけても、美術なり文学なりの批評が力をもつとはどのようなことであるのかを想像するのはむつかしい。建築家の磯崎新氏や美術家の岡崎乾二郎氏のように一人で作家と批評家を兼ねる人物を見れば、なるほど批評は創作に活力を与えうるのだな、ということは比較的見てとりやすい。あるいは何人かのすぐれた批評家たちの仕事が作家に影響を及ぼしていることが感じられる場合がないわけではない。


しかしたとえば、グリーンバーグの評伝のなかでつぎのような一節を読むと、いやでも彼我の差が思いやられるのである。


Florence Rubenfeld, CLEMENT GREENBERG: A Life (University of Minnesota Press, 1997)

「1959年か1960年から、クレム〔Clem、グリーンバーグの通称〕は展覧会を企画するようになりました。人びとは彼がとても能力にあふれた人材と関係をもっていたことを知っていました。60年代から70年代に、クレムは途方もない力を発揮していて、このことは少なからぬコレクターが彼の趣味にしたがって作品を集めていたことにも関係しています。美術館のディレクターやキュレイターも同様にしたがっていました。彼は巨大な影響力を持っていたのです。そこには確固たる力のネットワークがあって……キュレイターやディーラー、とくにその状況〔シーン〕につてのない者たちは、彼の言葉を法としてうけとめたものです。」

(Florence Rubenfeld, CLEMENT GREENBERG: A Life, 1997; 2004, p.25)


上記はグリーンバーグとの交流のあった美術史家・美術批評家のロザリンド・クラウス(Rosalind Krauss, 1940- )がインタヴューで述べた言葉だけれど、一人の批評家が趣味の判定者としてこのような権勢を保つというケースがその後どれほどあっただろうか。


ところでそのグリーンバーグの美術批評において重要な概念のひとつに「モダニズム」がある。


美術におけるモダニズムとは教科書的にいえば、19世紀末から20世紀前半にかけてヨーロッパを中心に興った前衛的な潮流を指し示す言葉だ。このモダニズム(modernism)を「近代主義」「現代主義」というふうに日本語に置き換えると歴史的にもさまざまな要素が想起されてややこしいことになるのだけれど、語源にもどって整理すれば、「古きもの」(antiqui)に対する「新しきもの」(moderni)という対比に端を発していることがわかる。


ボードレール『ボードレール批評』(全4巻、阿部良雄訳、ちくま学芸文庫、筑摩書房)
このようにモダンをひとまずは古きものから新しきものを区別する契機として念頭におけば、たとえば19世紀末には伝統社会化していたブルジョワ的文化(つまり古いもの)に対する批判としてモダニズムの運動が起こったという図式もわかりやすくなる。言い換えれば、モダンはプレ・モダンとセットで考えなければよくわからないものになる。「新しさ」とは当然のことながらそれが対抗する「古さ」(古典/伝統)を前提としてのみ言われることだから(余談になるが、小泉八雲が東大の文学講義において、こうした新旧が対立する機微を「古典主義」と「ロマン主義」という言葉で整理していたことが思い出される)。


20世紀後半の「ポストモダン思想」の流行もすぎさったいま、なぜくだくだしくも「モダン/モダニズム」についてこのようなことを書いているのかといえば、かつて自分がこの用語につきあたったさいに、しばらくその意味をとらえかねて往生した経験があるからなのだった(日本語に移された「近代」という言葉はさらにややこしいのだがこれについてはまた機会を改めてメモをつけよう)。単純ながらいったんは上記のように整理することで、その図式にとらえきれないことがらにもうまく目を向けることができるようになる。


エドゥアール・マネ「草上の昼食」/「しかし、まごうことなき現厳然たる事実として、根本的に新しいものであることを明らかにする現象としてのモダニズムの到来は、一八六〇年代初めのマネの絵画を措いて他にない」(グリーンバーグ「モダニズムの起源」より)
とまあ余計なお世話はともかくとして、グリーンバーグは本書にも収録されている「モダニズムの絵画」(1960)のなかで、絵画におけるモダニズムの問題を追及している。彼は批判哲学を遂行したカントを最初のモダニズムだと規定したうえで、それでは絵画におけるモダニズムとはどのようなことであるのかを論じてゆく。モダニズム、つまり、さきの整理を用いて言い直せば古きもの(伝統/古典)への抵抗を、絵画はどのようになすのか。それは「自己批判」である、とグリーンバーグは考える。伝統的な絵画が自明のこととして吟味しないままにおいた絵画の条件を自己批判すること。絵画を他の表現形式から区別する本質を探究すること。


このグリーンバーグの形式化がどこまで進み行くのか、関心のある向きは本書にあたられたい。彼がたどりついた帰結に賛同するか反対するかはともかくとして、一度はこのような形式化を徹底してみることはどのような領域に属していても必要なことではないかと思うし、そのような意味でグリーンバーグの批評はいまも読むに値する。モダニズムといえばなんとはなしにもう終わったことだ、と思う向きもあるかもしれないけれど、上記したようにそれは「もう終わった」りするものではない。グリーンバーグの批評を受けていえば、モダニズムとは、伝統・歴史のある作品領域においてつねに問題となることであって、19世紀末から20世紀前半という特定の歴史的状況にのみあてはめてすむ問題ではないのだ。


Clement Greenberg, The Collected Essays and Criticism (The University of Chicago Press)
グリーンバーグは一方で上記のような抽象度の高い議論を展開し、他方では(当然のことながら)具体的な作家や作品によりそった批評を大量に書いている。そのことは彼が1939年から1969年までに書いたエッセイや批評から330本を選んで編集した『The Collected Essays and Criticism』(Edited by John O'brian, 4 volumes, The University of Chicago Press, 1986-1993)を見てもよくわかる。作品の大半を占めるのは折々に開催された美術展の批評、具体的な作品評価なのだ。


グリーンバーグに限らないことではあるが、こうした現場に根ざした具体的な仕事(そのつどの判断)と、抽象化・形式化された議論とがどのようにかかわりあっているのか/いないのかを見ることも彼の批評に触れるたのしみであり読みどころのひとつではないかと思う。本邦訳書はさきに述べたように15本のテキストを収録している。下記のようにバランスとしては理論的な仕事の比重がおおきくなっているものの、第三部に具体的な論評も収められているのでいま述べたような機微を見てとるにも簡便な構成。

・第一部 文化
 ・1 アヴァンギャルドキッチュ(1939)
 ・2 さらに新たなるラオコンに向かって(1940)
 ・3 モダニズムの起源(1983)


・第二部 美術
 ・1 モダニズムの絵画(1960)
 ・2 イーゼル画の危機(1948)
 ・3 コラージュ(1958)
 ・4 新しい彫刻(1949)
 ・5 「アメリカ型」絵画(1955)
 ・6 抽象表現主義以後(1962)
 ・7 ポスト・絵画的抽象(1964)
 ・8 「フォーマリズム」の必要性(1971)


・第三部 芸術家
 ・1 フィラデルフィアにおけるマネ展(1967)
 ・2 セザンヌ(1951)
 ・3 七十五歳のピカソ(1957)
 ・4 マティスの影響(1973)


さてそのグリーンバーグ(ミスター・モダニズム)の批評選集が、21世紀初頭に日本語に移されてどのように読まれるのかということ自体、興味あるところだけれど、それに関して門外漢なりにすこしばかり気になるのは、本書を有効に読みとくために必要なバックグラウンド的知識にどうやってアクセスできるのか、ということだ。


目下唯一流通することになるグリーンバーグ書ということを鑑みるなら、訳者による文脈の提供・補完が望まれるところだが本訳書にはそういう意味での親切さはない。もっともそうした事柄に関心があるなら自力でなんとかしなさい、ということなのだろうしそれはそれで正しいと思うのだが、いまこの状況でグリーンバーグの書物を出すのなら、なぜ人がそれを読んだほうがよいのかというセールストーク(教育的配慮)をもうすこししてもよいのではないかと感じた。


『批評空間 臨時増刊号 モダニズムのハードコア』(太田出版、1995)
これを補完する書物はいくらもあるのだけれど、管見では日本語で読めるものとなるとぐっと数が少なくなる。一冊だけあげるなら、『批評空間 臨時増刊号 モダニズムのハードコア——現代美術批評の地平』浅田彰岡崎乾二郎松浦寿夫編、太田出版、1995、)は本書を読むにあたって必読の文献というよりもはや教科書である。グリーンバーグをはじめ、マイケル・フリード、T.J.クラーク、ロザリンド・クラウス、ベンジャミン・ブクローといった美術批評家たちの論考や討論に加えて、「モダニズム再考」という題で行われた共同討議(磯崎新柄谷行人浅田彰岡崎乾二郎)ではモダニズム批評の流れとその可能性/限界を敷衍して同書全体の読まれるべき文脈が提供されている。田中純、丸山洋志の両氏を迎えてのセミナーもモダニズム批評を現代につなげる議論として有意義である。同書については別の機会にもそっとくわしくメモをつくろうと思う。(ちなみに、本書グリーンバーグ批評選集』は、この臨時増刊号で刊行が予告されていた書物でもある)


10年前、言い換えればグリーンバーグが歿した直後というタイミングで刊行された同書はいまもなお日本語で現代美術批評にアクセスしようと思う読者への模範的な文献でありつづけている。残念なことに目下品切れで入手しづらいのがネックである。新書も高いと感じる大学生がいるという噂も耳にする昨今、3500円といえば新書5冊分の超高額商品ということになるのかもしれないけれど、内容にてらしても高いどころではない。どこかで見かけたら迷わず手にされることをおすすめしたい。それにしてもこうした美術の良書が美術界からではなく『批評空間』から刊行されたことにいまさらながら軽い驚きを禁じえない。


岡崎乾二郎+松浦寿夫『READY FOR PAINTING! 絵画の準備を!』
なお、同書に関連して述べると、モダニズムを論じて刺激の多い岡崎乾二郎氏と松浦寿夫氏の対談集『READY FOR PAINTING! 絵画の準備を!』(セゾンアートプログラム、2002)が、近く増補・改訂をほどこされた上で刊行されるとの噂を耳にしている。こちらもたのしみに待ちたい。


気のせいかもしれないけれど、美術関連書には未訳の重要文献が山ほどあるのに一向に邦訳される気配がないのは、たんに受容がないからなのか業界に固有の慣習や問題があるからなのだろうか。たとえば書店の哲学・思想や文学の棚に比べても、美術/批評書の棚は極度に貧しく見える。グリーンバーグ批評選集』刊行を機にこうした状況の挽回を、と気楽に言えないのはどうしてか。


しかし業界のことはともかくとして、一読者としてはグリーンバーグが読まれうる契機ができたことを素直に喜びたい。


『美術手帖』第57巻第859号
昨今手にとった雑誌では、美術手帖第57巻第859号、2005年1月号(美術出版社)が、「特集=ART BOOK GUIDE 2005——プロが読んでる美術の本 27テーマ300冊」という特集を組んでおり、美術書への入り口を探している読者には有益な手がかりを提供していると思う。


勁草書房
 http://www.keisoshobo.co.jp/


⇒CLEMENT GREENBERG(英語)
 http://www.sharecom.ca/greenberg/default.html
 グリーンバーグのテキスト、関連資料など