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2006年の印象に残った書物

book


【追記】2007年01月10日:07を追加。
【追記】2007年01月08日:06を追加。
【追記】2007年01月07日:05と「美術」の項目(書目のみ)を追加。01のコメントを加筆訂正。
【追記】2007年01月05日:04を追加。


2006年中に目を通した書物のなかから、印象に残ったものをご紹介します(これらの書物にかたちを与え、世に送り出し、一読者の手元に届くまでのすべての過程にかかわるすべての関係者に感謝の意をこめて)。


まずはジャンルを気にせずとりわけ印象に残った10冊について、短いコメントつきでご紹介(順不同)。



★01:三中信宏系統樹思考の世界——すべてはツリーとともに』講談社現代新書1849、講談社、2006/07、ISBN:4061498495


限られた知覚能力と記憶力をもつ人間が、どうしたら複雑きわまりない(とは人間の立場から見てのことだが)世界やそこで生々流転する諸現象ををうまく把握することができるか。


古来、 そのためのさまざまな方法が編み出されてきたが、わけても系統樹は、時間の流れを視野にいれながら現象同士の関係を可視化するものだ。


本書は、その系統樹がいかに 使いでのあるツールであるか、ということを生物学に限らないあれこれの具体例をつうじて縦横無尽に教え手渡してくれる。


著者の三中氏は、そのブログでも専門領域に限らぬ知の健啖家ぶり(の一端)を披露して読者を彷徨に誘う人。本書の冒頭でも、のっけから現行の学問分類を系譜のなかで相対化し、そんな小さい壁なんぞはどんどん乗り越えちゃましょうと自ら率先して見せてくれるのが頼もしい。


どうかするとツリーの威力を知る前に、ドゥルーズガタリ千のプラトーの冒頭で、「ツリーよりリゾームだ」(大意)というスローガンを受け取って、あるいはクリストファー・アレグザンダー「都市はツリーではない」(セミラティスだ)などを読んだために、なんとはなしにツリーに対してマイナスの印象を持っている読者もいるかもしれない。


しかし、本書を読むことで、かつて生物学の時間に習った記憶だけがうっすらと残る系統樹なるツールの、思ってもみなかった豊かさに驚かされるに違いない。


いや、たとえ系統樹思考がすぐに読者の役に立とうと立つまいと、この際それはおいておこう。理系だろうが文系だろうが、こんなに愉快な本を読まずに放っておく手はないと思うばかり。


書物を手にしたら必ず 一度はカヴァーを外す者としてもうれしいおまけつき。本書で興味を呼び覚まされた読者は、『生物系統学』東京大学出版会、1997/12、ISBN:4130601725もぜひ。


*本書と次の書物については別途もう少し詳しくメモランダムをつけてみるつもり。



★02:ブレイエ『初期ストア哲学における非物体的なものの理論 附:江川隆男「出来事と自然哲学——非歴史性のストア主義について」』江川隆男訳、月曜社、2006/06、ISBN:4901477250
 Émile Bréhier, La théorie des incorporels dans l'ancien Stoïcisme(1908)


古今東西、哲学思想を眺めるときのひとつのキーは、その思想が物質と非物質をどのように扱っているかという点にある。


仮に、物質だけが存在するという唯物論と、精神だけが存在するという唯心論を極とすれば、その他の思想は、物質もあるし必ずしも物質とはわりきれない心(精神)のようなもの、つまり非物質もあるというグレーゾーンにあり、ここから「して、その身体と心の関係やいかに」という難問が生じることもまた古来心身問題として議論が絶えないトピックの一つ。


初期ストア派は、あらゆる対象を物質の相のもとに見ようという唯物論的な志向をもつのだが、それでは果たして非物質的なものを否定しさっているかといえば、そうとも言い切れないものがある。そしてこうした境界線には常に考慮すべき興味深い問題が潜んでいる。彼らもまた、この物質と非物質のせめぎあう場所から、独特の物質観、独特の言語観を生み出した。その顛末に着目した本書がおもしろくないはずがない。


また、訳者江川隆男氏による論考は、そのストアの思考を現代において活性化させるための手がかりに満ちている。読者はストア‐ブレイエ‐江川の思考が、読み手の脳裏で相互に触発しあう得難い愉悦に遭遇するにちがいない。


おりしも京都大学学術出版会から刊行中の「西洋古典叢書」の『初期ストア派断片集』(全5巻、後述)邦訳が完結し、この1月にはストアとブレイエから触発を受けたドゥルーズストア派論とも言える『意味の論理学』小泉義之訳、河出文庫の新訳が登場するという。これらの書物とも接続すれば、本書を読む経験は、さらに豊な関係へと繁茂してゆくだろう。


月曜社
 http://getsuyosha.jp/index.html



★03:ポール・クローデル『繻子の靴 あるいは最悪必ずしも定かならず——四日間のスペイン芝居』(二分冊、渡邊守彰訳、岩波文庫岩波書店、2005/10-12、ISBN:4003750411
 Paul Claudel, Le Souiler de Satin (1928-29)


ポール・クローデルの集大成的作品の日本語訳に、ついに真打ち登場。長年にわたるフランス文学研究と舞台演出経験、多様な言語態を駆使した碩学達意の訳業は、日本語に新たな富をもたらした。


舞台は黄金期と呼ばれる16世紀スペイン。アフリカ北海岸の総指揮官ドン・ペラージュの美しい妻ドニャ・プルエーズとコンキスタドール(征服者)ドン・ロドリックの幾重もの壮大な恋のすれ違い劇。


台本の冒頭におかれた「神ハ曲ガリクネッタ線デ真ッ直グニ書ク」というポルトガルの諺、「全てが一時的で、進行中であり、ぞんざいでばらばらだが、熱狂の中での即興という印象を与えなければならない。(中略)秩序は理性の楽しみだが、無秩序は想像力の愉悦である」だなんて序文を読まされたら、それだけで胸が踊ってこないだろうか?



原書版は、folioのペーパーバックスでも550ページ。これが岩波文庫上下分冊で各巻520ページとはつまり上下あわせて1050ページに及ぼうというヴォリューム。これいかに、と思えば、なんと上下巻あわせて400ページが訳註、年譜、解題にあてられている。台本にあらわれるただの一言、ただの一行にどれほどの知と読みと問題が畳み込まれたものか、読みぬくとはこういうことかと書物のかたちからして迫ってくる。


かくなるうえは、ぜひ渡邊氏の演出によって全幕上演も実現していただきたいと願うばかり。なお本書は、第43回日本翻訳文化賞、第60回毎日出版文化賞(文化・芸術部門)を受賞した。



また、訳者渡邊氏が1950年代半ばの留学以来となるパリ経験を多面的に綴った『パリ感覚』岩波現代文庫岩波書店、2006/06、ISBN:4006001592も昨年復刊され、これも待望久しかったやはり渡邊訳によるロラン・バルトラシーヌ論』みすず書房、2006/10、ISBN:4622072343、同書に対するレーモン・ピカールからの酷評に反批判の刃をつきつけた『批評と真実』(保苅瑞穂訳、みすず書房、2006/08、ISBN:4622072351——この際は着々と刊行が進む「ロラン・バルト著作集」、全3巻が完結した「ロラン・バルト講義集成」も——も刊行された。さらには渡邊氏、松浦寿輝氏、浅田彰氏による鼎談「バルト・ラシーヌクローデル(『文學界』2007年1月号、文藝春秋社)なども併せて読まれたい。


空中庭園
 http://www5d.biglobe.ne.jp/~teien/


岩波書店
 http://www.iwanami.co.jp/


⇒Société Paul Claudel > Le Soulier de satin(仏語)
 http://www.paul-claudel.net/oeuvre/soulier.html



★04:国書刊行会編集部『書物の宇宙誌——澁澤龍彦蔵書目録 COSMOGRAPHIA LIBRARIA』国書刊行会、2006/10、ISBN:4336047510


それ自体が一個の〈驚異の部屋〉に違いない、と読者の空想を掻き立てる澁澤龍彦の書斎を紙上に再現した驚異の書物。その蔵書、一万予冊。


調査は行き届いており、書物の並び方を棚ごとに上から下へ、左から右へと、その並び順まで記録している点が重要だ。というのも、書物同士をどのように並べるかということ(書物の良き隣人関係)にも、書斎の主の思想が如実にあらわれるのであり、それらの書物がばらばらに存在するときには出現しようのないなにかが、並び合った書物のあわいに生じるからだ。まさに精神のミクロコスモスである。


同書に収録された龍子夫人の言葉によれば、龍彦は必要な書物をよく選んで書架に入れたというのだからなおのこと(もちろん書物の並びとは、絶えず代謝するものであってみれば、あくまでも本書に記録された状態は、書斎の主の死とともに運動をやめたその最後の姿であることも忘れてはならない。)


よく組まれた書店や古本屋の棚が、見るものにとってたいへんな刺激と発見のきっかけを与えるように、このCOSMOGRAPHIA LIBRARIAもまた読者をおおいに触発するだろう。



近年の類書としては、江戸川乱歩の書斎から探偵小説関係の蔵書目録を編んだ『幻影の蔵——江戸川乱歩探偵小説蔵書目録』山前譲新保博久編、東京書籍、ISBN:4487797586が印象に残る労作だった。


国書刊行会
 http://www.kokusho.co.jp/


⇒Dracomania
 http://www.kit.hi-ho.ne.jp/yuga/



★05:赤木昭夫『反情報論』(双書時代のカルテ、岩波書店、2006/11、ISBN:4000280813


情報とはなにか。この簡単な問いが存外厄介だ。同書で著者は、情報理論分子生物学、物理学、経済などの諸領域における情報という概念の用法を批判的に検討にかけ、サールの言語哲学を援用しつつ人間にとって情報とはなにかを整理している。


書名の「反情報」とは、「情報というものはよろしくない」という非難の意味ではない。どうしたって情報というものとつきあっていく以上は、これに翻弄されないように向かい合いたい。そのためには、現行あいまいなままに使われるこの言葉を、一度は批判的に吟味しておこうというほどの意味だ。


下記URLに書評を掲載してみた。


⇒哲学の劇場 > GP-MAP > 赤木昭夫『反情報論』
 http://www.logico-philosophicus.net/gpmap/work/AkagiAkio001.htm



★06:伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス(岩波セミナーブックス42、岩波書店、1993; 講談社学術文庫1780、講談社、2006/09、ISBN:4061597809


本書はかつて岩波セミナーブックスの一冊として1993年に刊行された書物が文庫化されたものだが、やはり2006年の印象に残る一冊として挙げておきたい。


書名に見える「十二世紀ルネサンス」とはなにか。いわゆるルネサンスの時代に、古典復興がもてはやされたわけだが、その土壌のひとつとなった古代ギリシアの遺産が大々的にヨーロッパにもたらされたのがこの12世紀のことである。


このとき、西欧文明はイスラム文明と接触し、アラビア語に翻訳・保存されたユークリッドアルキメデスアリストテレスの多くの作品をはじめとする古代ギリシアの文献をあらためてラテン語に訳出することで吸収する。


『十二世紀ルネサンスは、この文明の遭遇の時代になにが起きたのかということについて概観を与えると同時に、実際に文献がどのように翻訳されたのかといった具体的な資料を提示している。


それはまさしくラテン世界で一度は息絶えたギリシアの学術イスラムを経由して再輸入され蘇生(renaissance)する場面に立ち会い、文化のケミストリーをつぶさに観察することにほからず、知が言語と地域の差を越えて伝播する様子に興奮せずにはいられないだろう。


著者もときおり示唆しているように、このような文化の大規模な移入でただちに想起されるのは、明治維新前後とそれに先駆けた江戸時代の日本である(2006年は、岡田袈裟男氏の瞠目すべき江戸言語文化研究『江戸異言語接触——蘭語・唐話と近代日本語』笠間書院、2006/04、ISBN:4305703084が刊行された年でもあった。同書については「言語」関連書の項目で述べたいと思う)。両者において生じたことを並べてみると、いっそう興味ある論点が浮かび上がってくるだろう。



では、イスラーム世界はどのようにギリシアの文化を導入したのか、という点については、ディミトリ・グタス『ギリシア思想とアラビア文化——初期アッバース朝の翻訳運動』(Greek Thought, Arabic Culture: The Graeco-Arabic Translation Movement in Baghdad and Early Abb Asid Society)(山本啓二訳、勁草書房、2002/12、ISBN:4326200456 [Routledge, 1998])に詳しい。本書に関心を抱いた読者は、きっとこのグタスの書物にも深い満足を覚えると思う(2007年には新著が予定されていてこちらもたのしみだ)。


ダニエル・ジャカール『アラビア科学の歴史』(知の再発見双書131、創元社、2006/12、ISBN:4422211919は、上記の経緯をめぐる入門的な書物として簡便。


講談社
 http://www.kodansha.co.jp/


Wikipedia > Renaissance du XIIe siècle(仏語)
 http://fr.wikipedia.org/wiki/Renaissance_du_XIIe_si%C3%A8cle
 ウィキペディアで「12世紀ルネサンス」をとりあげている6言語のうち、フランス語版の項目がもっとも詳細に論じている。


Wikipedia > Renaissance of the 12th century(英語)
 http://en.wikipedia.org/wiki/Renaissance_of_the_12th_century


⇒中世哲学会
 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsmp/



★07:グレッグ・イーガンディアスポラ山岸真訳、ハヤカワ文庫SF1531、早川書房、2005/09、ISBN:4150115311
 Greg Egan, DIASPORA(1997, ISBN:1857984390)


もう20年前のことだけれど、ウィリアム・ギブスンニューロマンサーISBN:415010672X)をはじめて読んだとき、そこにたちあらわれる未知の世界に投げ込まれて、くらくらと強烈な眩暈に襲われたことをいまでも覚えている。なにが起きようとしているのか、にわかにはわからないまま、しかし、なにかこれまでに体験したことのないことが目の前で展開しつつあるという感覚が、ページを繰る手の原動力だった。


本書ディアスポラの最初の数ページを目にしたとき、ニューロマンサーの読書経験にも似た眩暈に襲われてぞくぞくとした。この感覚は、それから数度読み直すなかでもまったく失われていない。


しばしばミステリ小説では、ページが進むにつれて積み上げられてきた証拠や登場人物たちの経験や言葉が、探偵によって提示されたものの見方一つで、がらりとその意味を変えてしまうという場面が描かれる。探偵の一言によって、それまで読んできた少なからぬページの内容が、その直前までとはまったく異なる意味をもつこの感覚は、しばしば「どんでん返し」と呼ばれるものだ。ディアスポラの冒頭十数ページは、この意味の読み替えが絶えず生じているような状態、小さなどんでん返しが次々と生じている状態なのではないかと思う。


あとからあらわれる記述によって、それまで不明瞭だった言葉に新たな意味が見えてくる。次の一文でまた更新され、その次の文でさらに更新され……。いや、もちろん文章が線状に書かれる以上は、どのような文章においても、多かれ少なかれこうした現象は起きているのだろう。しかし、イーガンのこの小説は、積極的にこの方法を採っており、その濃度は尋常ではない。


もちろんそれには理由がある。(これは邦訳の裏表紙に書いてあるレヴェルのことなのでネタバレにならないと思うが)小説の冒頭からしばらくのあいだひたすら記述されているのは、あるソフトウェア内で〈人格〉が起動し、つぎつぎと外部の状況とインタラクションしながら内部の構成を組み替え生成していくそのさまなのである。



作家は、このソフトウェアが起動する様子を、淡々と、まるで登場人物の内心を描写するかのように記述していくのだ。そう、順列都市その他のイーガン作品になじみのある読者なら、身体から分離した精神、コピーされ、ダウンロードされ、プログラムとして実行される人格をめぐる記述が目の前で精密に展開していることに気づくかもしれない。イーガン初体験の読者は、ひょっとしたらただただとまどうかもしれない(だが、意味がわからず放り投げてしまいそうな場合、訳者も示唆しているように、わからないところを飛ばし読むべし、だ。『指環物語』の冒頭で挫折するのがもったいないのと似たような意味で。人格が生成される過程を過ぎれば、むしろ今度は読みさすのが難しいだろう)。


それにしても毎度のことながら、いったいどうしたらこの作家は、ロジックと電子の流れが形成する無味乾燥なコンピュータのなかに、このように人の気を惹いてやまない科学的空想世界の綺想を創出できるのかと不思議でならない。それはまるで、数十行のプログラムからあたかも生物の行動をおもわせるようなふるまいが〈創発〉するソフトウェアを見ているような気分でもある。じつはグレッグ・イーガンなどという作家(肉体人=本書に登場するいわゆる身体をもった人間)などはおらず、オーストラリアにあるサーバからこれらの物語がつむぎだされているのではないか、思わずそんな空想も誘われるのだった。


イーガンの次回作は、2008年に刊行が予定されているIncandescenceのようだ。待ち遠しい。


⇒Greg Egan's Home Page(英語)
 http://gregegan.customer.netspace.net.au/


ハヤカワ・オンライン
 http://www.hayakawa-online.co.jp/


★08〜10は後ほど追記の予定


■A. 出版・編集・書物


まずは、出版・編集・書物にかかわる書物から数点。



★11:斎藤昌三『少雨荘書物随筆』山口昌男監修、知の自由人叢書国書刊行会、2006/01、ISNB:4336047154)
★12:八木福次郎『書痴斎藤昌三書物展望社平凡社、2006/11、ISBN:4582833136
★13:『出版巨人物語』書肆心水、2006/01、ISBN:4902854112
★14:長谷川郁夫『美酒と革嚢——第一書房長谷川巳之吉河出書房新社、2006/08、ISBN:4309017738
★15:大塚信一『理想の出版を求めて——一編集者の回想 1963-2003』トランスビュー、2006/11、ISBN:4901510428
★16:『水声通信』2006年11月 No.13「特集=何のための出版?」水声社、2006/11、ISBN:4891765941


★17:井上進『書林の眺望——伝統中国の書物世界』平凡社、2006/11、ISBN:4582441149
★18:西野嘉章チェコアヴァンギャルド——ブックデザインにみる文芸運動小史』平凡社、2006/05、ISBN:4582833322


★19:Jean-Noël Jeanneney, Google and The Myth of Universal Knowledge(translated by Teresa Lavender Fagan, The University of Chicago Press, 2006, ISBN:0226395774)
★20:Peter L. Shillingsburg, From Gutenberg to Google: Electronic Representations of Literary Texts(Cambridge University Press, 2006, ISBN:0521683475)


★21:中公文庫編集部『中公文庫解説総目録 1973-2006』(中公文庫、中央公論新社、2006/10、ISBN:4122047463
★22:鹿野政直岩波新書の歴史——付・総目録1938〜2006』岩波新書岩波書店、2006/05、ISNB:4004390095)


11から15は、出版史にかかわる書物。斎藤昌三については、東洋文庫に入っている『閑板 書国巡礼記(1998/08、ISBN:4582806392も併せて読みたいところ。13は、岩波、講談社、新潮社の創始者の文章を集めたもので、本書に限らず書肆心水の掘り起こし企画はありがたい。16の『水声通信』の特集号は、19世紀フランスの編集者エッツェルを論じた私市保彦「十九世紀を駆けぬけた編集者エッツェル」、イギリスの出版社ヴィクター・ゴランツをめぐる山崎勉「ヴィクター・ゴランツとその出版社」などの論考・講演ほか。



17、18は、文字通り未知の書物世界へ誘い案内してくれる格好の書。17は、『中国出版文化史——書物世界と知の風景』名古屋大学出版会、2002/02、ISBN:4815804206で中国出版史に門外漢を誘ってくれた著者が、さらに奥深く未知の世界を案内してくれる一冊。お隣韓国については未読だが、『韓国の出版事情——初めて解き明かされる韓国出版界の現状』(出版メディアパル、2006/05、ISBN:4902251108)、『図説 韓国の古書——本の歴史』日本エディタースクール出版部、2006/11、ISBN:4888883726)が2006年に刊行されている。



19は、フランス国立図書館館長によるGoogle Book Searchプロジェクト批判の書 Quand Google défie l'Europe: Plaidoyer pour un sursaut (2005)の英訳。20は電子テキスト登場後の世界から、手稿、書物、テキストを再考にかけた本。書店の棚にこの二冊とともに平積みになっていたSven Birkerts, The Gutenberg Elegies: The Fate of Reading in an Electronic Age(FABER AND FABER, 1994; 2006, ISBN:0865479577も手にとり目を通したのだが、どうも既視感があると思って調べると、これはかつてスヴェン・バーカーツグーテンベルクへの挽歌——エレクトロニクス時代における読書の運命』(舟木裕訳、青土社、1995/12、ISBN:4791754298)として邦訳されたものであった(2006年度版には新しい前書と後書が追加されている)。


検索やコピー&ペーストについてはディジタルのほうがはるかに便利だが、繙読、概観(書物全体のブラウジング)、書き込みほかマーキングは紙の書物のほうがはるかに便利で、一読者(ユーザー)の観点から申上げると、目下のところディジタルが完全に紙にとってかわることは考えられない(書物を同じ使い方ができるディジタル機器があらわれれば別だが)。


要するに書物を読むということは、単にテキストを眼から脳へ入れるというだけにとどまらず、脆弱な記憶力を補うためにそのつどページに付箋をつけ(なければページの角を犬の耳のように折り)、触発されたことや不明な点、関連事項などを書き込んで、再読、三読のためのマーキングを施すこと、レディメイドの書物を自分専用のものへとカスタマイズする過程でもある(一読で終わる場合はこの限りではないかもしれないが)。


ディジタルでもこれらの仕組を模倣して実装するテキスト・リーダーは存在しており便利には違いないのだが(例えばquestiaなど)、やはり書物の手軽さには到底かなわない。やりたいことをさっとやるまでに介在するステップ(手続き)がどうにもまだるっこしいのだ(これは、文章を書こうと思ってコンピュータに向かうときに感じるそこはかとない不自由さに通じるものだと思う。いくつかの言語や図や記号を織り交ぜて文を書こうと思ったらどれほどメンドウなことか!〔これでもかつてに比べれば随分とよくはなっているのだが〕)。


しかし、だからといってディジタル環境がまるで存在しないかのように書物をつくりつづけたり、単純に両者を対立するものと考えるのもあまり実りのないことだろう。こうした議論を喚起しつづけていた雑誌本とコンピュータ(あるいはそれに代わる議論の場)の不在(発行=大日本印刷/発売=トランスアート、2005年夏に第2期第16号で終刊)が惜しまれる。



21は中公文庫の総目録。創刊以来の書目が網羅されており壮観。一点だけ不満だったのが、後に番号を改めて再刊した書目について、初出の番号ではなく再刊の番号でのみ記載されていること。どうせなら、初出・再刊ともに記載していただきたかった。有料でかまわないから、各社文庫で同様の目録を刊行していただけまいか(近年では岩波文庫が総目録を作成した)。


22は鹿野政直氏による岩波新書の歴史」に、新書目録をつけたもの。同趣旨のものとしては、1998年に岩波新書を読む——ブックガイド+総目録』(ISNB:4004390052)岩波新書の50年』(1988/02、ISBN:400439001Xがある。


岩波新書中公新書文庫クセジュで新書を読み育ったせいか、新書というとその道のヴェテランが非専門家に向けた言葉で、しかし内容を落とすことなく語るもの、あるいは百科全書の一項目を一冊にしたものというイメージがいまだについてまわる(だから自分に新書の依頼がきたときには驚愕・当惑したのだけれども)。とはいえ、ヴァリエーションが広がること自体は大歓迎。問題は回転がはやすぎて見通しが立たないことか(見通す必要があるのかと言われればそれもそうなのだが)。


今年は岩波文庫が創刊80周年ということで、第一回配本書目の復刻のほか、新しい文庫目録の刊行が予告されている。



上記には挙げなかったが、自分で私家版をこしらえて、装幀(の真似事)をしてみたいと思い、最初に手にしたのが吉野敏武『古典籍の装幀と造本』印刷学会出版部、2006/06、ISBN:4870851849であった。勉強にはなれど、到底真似ができようとは思えず、あらためて和田誠『壮丁物語』白水uブックス白水社、2006/12、ISBN:4560720894)を手にする年の暮かな。


松岡正剛氏の壮挙『千夜千冊』を挙げたいところだが、大幅に改訂増補されたという書物版は未見。


印刷博物館
 http://www.printing-museum.org/


JETRO > 産業レポート 日本の出版産業の動向(2006年10月)
 http://www.jetro.go.jp/jpn/reports/05001297


Google Book Search(英語)
 http://books.google.com/


⇒Bibliothèque nationale de France(仏語)
 http://www.bnf.fr/
 フランス国立図書館のウエブサイト。


⇒[KAZE]風
 http://kaze.shinshomap.info/index.html
 新書マップ


最初の10冊以外は手短に済ませようと思いつつ、結局長くなってしまった。orz


■B.美術



★23:ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『残存するイメージ——アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』(竹内孝宏+水野千依訳、人文書院、2005/12、ISBN:4409100203
★24:ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお——アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』橋本一径訳、平凡社、2006/08、ISBN:4582702627
★25:アビ・ヴァールブクル『ルターの時代の言葉と図像における異教的=古代的予言』伊藤博明+富松保文訳、ありな書房、2006/07、ISBN:475660692X
★26:ブルーノ・ムナーリ『デザインとヴィジュアル・コミュニケーション』(萱野有美訳、みすず書房、2006/12、ISBN:4622072106
★27:デイヴィッド・ホックニー『秘密の知識——巨匠も用いた知られざる技術の解明』(木下哲夫訳、青幻舎、2006/10、ISBN:4861520835
★28:ポーラ・フィンドレン『自然の占有——ミュージアム、蒐集、そして初期近代イタリアの科学文化』伊藤博明+石井朗訳、ありな書房、2005/11、ISBN:4756605885
★29:マリオ・プラーツバロックのイメージ世界——綺想主義研究』(上村忠男+廣石正和+尾形希和子+森泉文美訳、みすず書房、2006/06、ISBN:4622071991
★30:マーティン・ケンプレオナルド・ダ・ヴィンチ——芸術と科学を越境する旅人』(藤原えみり訳、大月書店、2006/11、ISBN:4272600486
★31:ビューレント・アータレイモナ・リザと数学——ダ・ヴィンチの芸術と科学』(高木隆司+佐柳信男訳、化学同人、2006/05、ISBN:4759810587


★32:辻惟雄『日本美術の歴史』東京大学出版会、2005/12、ISBN:4130820869
★33:山本勉『仏像のひみつ』朝日出版社、2006/05、ISBN:4255003637
★34:青木茂『書痴、戦時下の美術書を読む』平凡社、2006/08、ISBN:4582833365
★35:岡田温司ヴィーナスの誕生——視覚文化への招待』みすず書房、2006/04、ISBN:4622083183
★36:白倉敬彦『夢の漂流物〔エパーヴ〕——私の70年代』みすず書房、2006/08、ISBN:4622072327
★37:椹木野衣『美術になにが起こったか 1992-2006』国書刊行会、2006/11、ISBN:4336048010
★38:野村仁『見る——野村仁|偶然と必然のフェノメナ』(CD-ROM付、赤々舎、2006/12、ISBN:4903545059


#コメントは後ほど。


つづく



■C.写真
■D.コンピュータ
■E.ゲーム
■F.映画
■G.建築
■H.音楽
■I.文学・批評
■J.言語
■K.科学・科学史
■L.数学
■M.宗教
■N.歴史
■O.経済
■P.哲学・思想
■Q.漫画
■R.辞書・事典・全集
■Z.その他