★エーリオ・ヴィットリーニシチリアでの会話』(鷲平京子訳、岩波文庫赤715-1、岩波書店、2005/02、amazon.co.jp)#0223
 Elio VIttorini, Conversazione in Sicilia (1941)


スペイン内戦(1936年)に衝撃を受けて、親ファシズム党から反ファシズム党へ転じたイタリアの作家エーリオ・ヴィットリーニ(1908-1966)による反ファシズム小説。ファシスト政権下の1938年から翌年にかけて書き継がれた。


小説は、15年ぶりに故郷のシチリアに母を訪れる男・シルヴェストロの眼にうつる現在と、それに重ね合わせられる過去の記憶を中心に、それ自体が回想として構成されている。小説はこんな風にはじまる。

私は、あの冬、漠とした怒りの虜になっていた。その謂〔いわ〕れを言うつもりはない、そのことを語りはじめたのではないから。ただし、これだけは言っておこう。その怒りは漠としており、猛々しくはなく、生き生きとしてもいなかったが、いずれにせよ、失われた人間の類ゆえの怒りであった。ずいぶんまえからそうだった、そして私はうつむいていた。声高な新聞の貼出しを見るたびに、私はうなだれていた。

(同書、p.6)


「あの冬」とは、1936年から37年にかけての冬、つまりスペインの共和国政府(1936年2月に成立した人民戦線政府)に対して軍部を中心とする保守勢力が起こした反乱とそれにつづく内戦(1936/07/18-1939/03/28。内戦は共和国政府の敗北に終わる)を指している。イタリア・ファシズム政権とドイツ・ナチズム政権はともに反乱軍支持にまわり、スペイン市民に対する無差別爆撃を行っていた。


小説には、スペイン内乱やそれに加担するイタリア・ファシスト政権についての直接的な言及はなく、読み手側にこの作品が書かれた背景にたいする準備がなければシチリアの人々の飢えと病気にあえぐ貧しさを描いた佳作として読まれるかもしれない。しかも「エピローグ」には、作家によってつぎのような言葉まで添えられている。

曖昧さや誤解を避けるために、注記しておくが、この〈会話〉の主人公が自伝的でないのと同様に、彼を取り囲み寄り添っているシチリアという土地は、たまたまシチリアであるにすぎない。つまりシチリアという名前が、ペルシアやヴェネズエラという名前よりも、私には快く響くからにすぎない。ともあれ、思うに、すべての手記は瓶のなかから見出されるであろう。

(同書、p.303)


「反ファシズム政権」を企図して書かれた小説として名高い作品が、なぜこのようにむしろ文脈を曖昧にするように書かれたのか。簡単に言えば「二枚舌」の戦略である*1。表向きには警察による検閲を通るように言葉や人物の多義性と時間の多重性を導入しながら、しかしながら人々には真意であるファシズム批判として読まれるようにしくむこと。


だから時代がくだって必ずしもその文脈を共有していない人々の眼には、一見民衆の貧しい生活を描いたレアリズモ文学作品にしか見えないかもしれない。


そのような事情を予想してのことだと思われる。この邦訳書には、訳者・鷲平京子(わしひら・きょうこ)氏による100ページを超える懇切な「解読『シチリアでの会話』」がついており、この作品がどのような文脈において書かれたか、作家がなにを企図していたのか、当時の人々はこの作品をどのように受け取ったのか、ということが解説されている。できれば、まずは作品そのものを読み、「解読『シチリアでの会話』」を読んだあとでもういちど作品に向かう、という順序で読まれたい。


なお、ストローブとユイレによる映画シチリア! ひどすぎる、世界を侮辱するなんて』(Sicilia! Troppo male offendere il mondo)(1998, 66min)は、この小説に基づいた作品。


また、目下日本語で読めるヴィットリーニ作品には以下のものがある。


『人間と人間にあらざるものと』(イタリア叢書2、松籟社、1981/01、amazon.co.jp


⇒作品メモランダム > 2004/12/18 > 『シチリア! ひどすぎる、世界を侮辱するなんて』
 http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/20041218#p2

*1:単なる連想に過ぎないけれど、スターリン圧政下の芸術家たちがいかに「二枚舌」を駆使しながらひ表面的な従順さとはうらはらに抵抗でもありうるような創作を続けたかについては、亀山郁夫氏による『磔のロシア スターリンと芸術家たち』(岩波書店、2002/05)、『熱狂とユーフォリア スターリン学のための序章』(平凡社、2003/11)がとてもおもしろく有益。



★安東孝『インタビュー』(青幻舎、2005/01、amazon.co.jp)#0224


東孝(あんどう・こういち, 1954- )によるインタヴュー集。サイ・トゥオンブリの作品との出会いをつうじて「すべての理屈を捨て私自身の眼を信じることにしよう」と考え、作品においても「できるだけ言葉を使わないコミュニケーション」を心がけたという安東氏は、美術作家、建築家たちへのインタヴューを集めた本書の意図について「あとがき」で次のように述べている。

しかし、ここ数年、アート・建築・デザインを言葉で伝えることについて考えてきました。作品の本質を深く理解するためには、どんな考えで形ができているのかを知らなければいけない。形のための形ではなく、思想、哲学をもった形を作家の言葉で直接伝えることが、今のこの時代には必要なのではないだろうかという思いから、この本を企画しました。私は、変革期を迎えている21世紀は、答えより問題、問題より物差しが重要だと確信しています。この本では、18人のアーティスト・建築家・デザイナーに、言葉(思考)がどのように形(造形)になったかを聞きました。言葉と形の関係のインタビューはそれぞれの独自の物差しを問うことになり、21世紀の新しい物差しになると思います。

(同書、「あとがき」より抜粋)


インタヴューを受けているのは、つぎの18名。


アート=舟越桂森村泰昌、宮島達男、杉本博、岡崎乾二郎、辰野登恵子


建築家=青木淳隈研吾坂茂妹島和世内藤廣岸和郎


デザイン=葛西薫(グラフィックデザイナー)、浅原重明(プロダクトデザイナー)、内原智史(ライティングデザイナー)、田山淳朗(ファッションデザイナー)、水谷壮市(インテリアデザイナー)、宮城俊作(ランドスケープデザイナー)
(青幻舎の紹介文をもとに加工)


それにしてもこの装幀はも少しなんとかならなかったのだろうか。


なお、2005年02月19日(土)に、青山ブックセンター本店にて関連イヴェントが開催される予定とのこと。


■「葛西薫インタビュー」
■日 時=2005年02月19日(土) 15:00-17:00
■場 所=青山ブックセンター本店内カルチャーサロン青山
■定 員=120名
■入場料=500円(予約制)
■連絡先=03-5485-5511
■WEB = http://www.aoyamabc.co.jp/


⇒青幻舎
 http://www.seigensha.com/f_index.htm


⇒ANDO GALLERY
 http://www.interzone.or.jp/~aginc/index.html


木下順二『To Be, or Not To Be 木下順二対談集』(筑摩書房、1972/05)#0225


劇作家・木下順二(きのした・じゅんじ, 1914- )の対談集。1960年から1970年代の、政治の季節を背景に行われた対談。1968年を考えるための補助線が得られないだろうかとひもとく。対談相手とタイトルは以下のとおり。

野間宏「時代と人間 シェイクスピア親鸞にふれて」
森有正「現代と人間 危機のなかにある自覚に立って」
・日高六郎「天高く気濁る 一九六一年の文化状況」
・瀬長亀次郎「沖縄・人間回復のための抵抗 平静で正常な民族意識確立のために」
作田啓一「何ゆえに裁きうるか」
・竹内実「民話劇の構造」
丸山真男「現代劇の方法意識」
・西郷竹彦「戯曲のことば 作者・主人公・観客」
・茨城のり子「民俗のことば」
清岡卓行「現代劇の復活」
・木場瀬卓三「現代戯曲の原理」
・北森嘉蔵「自己否定による創造」
遠山茂樹「冬の時代 ドラマと歴史学の両面から」
・平田清明「芸術とマルクス
・江藤文夫「終章としての対話」


『情況』第3期第6巻第2号、2005年3月号(情況出版、2005/02)#0227

・田原牧「三大妖怪と思考停止の狭間で 第二次ブッシュ政権と中東情勢」
・ハリー・ハルトゥニアン「アメリカ、その不完全な近代」
江川隆男「図式から共通概念へ ドゥルーズのカント論をめぐって」
・高祖岩三郎+酒井隆史+平沢剛「差異性の出会い/コアリションに向けて」


☆特集=新たなる階級闘争

・S.イングランダー「都市再編のなかでの自律空間の闘争」
渋谷望「難民と階級問題」
矢部史郎「新たなる階級闘争とは何か」
・田中伸一郎「たった二つの、私を包摂しえない階級」
・グレープフルーツ「フリーターのための階級闘争準備案 一」


☆書評特集=丸川哲史『帝国の亡霊』
・桜井大造+丸川哲史「再び歴史に参入するために」
・究極Q太郎「『帝国の亡霊』 あるいは「パロディとしての日帝本国人」
倉数茂「痕跡の史学 丸川哲史『冷戦文化論』を読むための四つの視点」
・濱村篤「台湾で『風土』を読む」
安藤礼二「領土の不確定性 丸川哲史『帝国の亡霊』書評」


☆特集=ネグリ『ヨブ 奴隷の力』
仲正昌樹的場昭弘「ネグリ『ヨブ 奴隷の力』をどう読むのか」
的場昭弘アントニオ・ネグリ著『ヨブ 奴隷の力』を読む」
・木畑壽信「力への隷属 情熱の受肉、あるいは、生成への意志」


・貞包英之「浄化された死、あるいは情報の海(上)」


ほか


⇒Situation Online(情況出版)
 http://situation.main.jp/