書物の荷解きをする


運んでも運んでもある。一向に終わるという気配がない。シシュポスの神話である。


なにがって、書物がはいったダンボール箱が、である。


学生の時分から住んでいる場所の居住スペースが少なくなってくると、窮余の策として当面不要な書物を実家に送付していた。一回には数箱なのでなんということはない、とのんきに構えていたら、それが間違いのもと。(買うときもそうだが)そんなことを数年にわたってつづければ、たまるわけである。


そのつど捨てるなり、ひとに進呈するなり、郵便ポストに投函するなり、電車や喫茶店に置き忘れるなりの対処は施しているのだが、なにせ沈没しかかって船底から水がはいってくる船から手桶で水をかきだしているようなものである。埒があかない。


今日はそのつけをはらうために実家にやってきた。この際だから、お前の部屋は書庫に改築しておいた、というのである。行ってみるとなるほど、もとから一面の壁は下から上まで書棚、という部屋ではあったが、残りの三面も窓以外が床から天井まで書棚になっていた。


というわけで、倉庫に詰まれたダンボールを、二階にあるその部屋まで運びあげているのである。


終わらない、というのは大げさで、実際には五十往復ほどで終わった。本をどれだけ持っているか(持っていないか)などということは、本来どうでもいいようなことではあるけれど、これを運んだり整理したりするとなるとそうも言ってはいられない。たいした量ではなくても、重たいのである。それに、まがりなりにもそれらを書棚におさめようと思えば、まったくのでたらめというわけにもいかない。


運びあげたダンボールを荷解きしながら、これを分類・整理する。分類・整理は運搬とちがって愉しい作業なのだが、正解のないジグソーパズルを組んでいるようなものであり、別の苦しみがある。なかには金融工学の数学を解説した本のように、どこに分類したらよいのか困る(数学? 経済学? 金融工学? てゆうか、金融工学を分類項目にするほどないし)ものもあれば、キャラがたちすぎていて分類を寄せ付けない本がある。


以下に、今日発見されたそんな書物をご紹介したい。